住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その2)

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お兼(カネ)は戸口まで出て行き、僧たちに言いました。
(お兼)「あのぉ・・、すみません。主人がダメだと申しますので・・。」
 それに対してお弟子は、
(弟子)「・・どこでも良いのです。縁先でもかまいません。」と言いますと、奥からぬっと赤い顔をした主人の左衛門(サエモン)が現れて、
(左衛門)「くどい人だ!帰って下さいな。・・わしは、あんた達が大嫌いなんだ!・・あんた達は〔善い事〕しか、しなさらんのでしょう。・・わしは〔元武士〕だが、今は猟師です。毎日、獣を殺して生きてます。又、生活の為に非情な〔金貸し〕もやって人を泣かしております。・・わしは悪い事しかしませんから、あんた達とは、おのずと肌が合わんのです。」と言いました。
 するとそれを聞いて、
(親鸞)「私は親鸞と申しますが、・・いえいえ、悪い事をしているのは、この私も同じでございます。」と答えられました。
 それを聞き、左衛門は、
(左衛門)「へぇっ、何をおっしゃいますやら。・・うぃーヒィック(酔いとしゃっくりの音)・・あんた達はまったく偉いよ。・・難しいお経を読んで実践されてるだからね。殺生もしなければ、人も怨まない。・・わしなんかぁ、今朝もニワトリを一匹殺しましたよ。又、貧乏人を虐めましたよ。・・結局わしは、毎日悪い事ばかりして生きている。・・しかし、そうしなけりゃ生きていけんのだ。・・あんた達とは違うんだ!」と興奮しながら左衛門は叫んだのでした。
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 見るに見かねた〔お兼〕は、
(お兼)「お坊様、すみません。この人、今日はひどく酔っぱらっておりまして・・。いつもは違うのですが・・。この人、この頃毎日、自分の行いに悩んでおりまして。・・本当に失礼な事を申してすみません。」
 するとお聖人は、
(親鸞)「ご主人、あなたは良いところに気づいていらっしゃる。私とよく似た気持ちを持っていらっしゃる。」と言われました。

(左衛門)「うぃーヒィック(又また酔いとしゃっくりの音)、はっはっはっ、何ですって!私とあんたが似てるですって。・・似てたまるかいっ!早く出てゆけ! 出てゆかんとこの杖をくらわすぞ!」と、左衛門は杖を奥から持って来て、お聖人に振りかかりました。
(弟子)「なっ何をなされますかっ!何も殴らなくても!・・お聖人様、こんな家、早く出ましょう!」と言い、庇いながら外に飛び出しました。
(お兼)「申し訳ありません、申し訳ありません。お怪我はありませんか?・・どうか許してやってくださいね。すみません、すみません。」
(親鸞)「心配なさるな、私は大丈夫です。私はあの人をむしろ〔純〕な人だと思います。・・・さぁみんな、どこか別の場所を探しましょう。」と言われ、去ってゆかれました。
 しかし、近くに休める場所などあろうはずがありません。
 その夜、
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(左衛門)「うーん、うーん。」
(お兼)「お前さん、どうされましたか?そんなにうなされて。・・起きなされ!・・まぁ、それにひどい汗!」
(左衛門)「あぁっ、夢か。・・恐ろしい夢だった。」
(お兼)「どんな夢をご覧になったのですか?」
(左衛門)「うん、わしがいつものようにニワトリを絞め殺そうとすると、いつの間にか、そのニワトリの顔がわしの顔に変わっておって、わしが絞め殺されそうになっておる。・・そんな夢じゃった。」
(お兼)「あの宵に来られたお坊さん方を、叩いた罰ではありませんか?」
(左衛門)「そんな馬鹿な。・・しかし、宵の事は気になってなぁ。酔っていたとはいえ、本当に馬鹿なことをした。ひどい事をしてしまった。・・あぁっ、もう一度会ってちゃんと謝りたい。・・ひょっとすると、まだ近くに居られるかもしれん。 お前、ちょっと外を見て来てくれんか?わしは汗を拭くから。」
「はいっ」と言って戸を開けたお兼は、びっくり。
(お兼)「お前さんっ、たいへんです!」
 つづく

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その1)

・・今年は〔親鸞(しんらん)聖人750回大遠忌〕の年。
 普通の人はだいたい〔50回忌〕ぐらいで仏事を終えるのだが、この方は特別だ。・・まぁ、それだけ偉大な御方(聖人)なのであろう。
 では、その偉大な御方のお考え(思想・哲学)は、どんなもんだったのだろうか?
 「750回忌まで、盛大にお勤めされる方の人生って、いったいどんなだったの?」・・と、このような素朴な疑問を檀家さんから尋ねられ、この紙芝居を作ろうと思った。
 さて、ではその「紙芝居」の原案はどうしようか?・・とは僕は迷わなかった。
 正直いって、この作品しか浮かばなかった。
 そう、それは「倉田百三」氏の名作『出家とその弟子』である。
 高校の教科書にも掲載されたこの作品。フィクションがかなり入っているものの、僕の想像する「親鸞」像はこの作品しかない。
 この作品、倉田『親鸞』像であるが、きわめて僕の好きな親鸞聖人なのである。だから紙芝居にした。
 この〔全三部作〕になる、僕の作った作品では、一番長くなった『紙芝居』を、この記念すべき年に発表したいと思う。
 前置きが長くなった。
 それでは、はじまり、はじまり~

 『出家とその弟子』第一部「悪をせねば生きれぬ人」
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 昔むかしの鎌倉時代。
 親鸞聖人とお弟子さん達が、関東におられた頃のお話です。
 この日、親鸞聖人と二人のお弟子は、旅の途中、大雪に出遭ってしまわれました。
(弟子)「お聖人様、大変な吹雪になってしまいましたなぁ・・。」
(親鸞)「ほんに困ったのぉ・・。日も暮れてしもた。」
(弟子)「あっ、あそこに灯りが一つ見えまする。あの家に一夜の宿を頼んでみましょう。」
 三人は雪の中、その家を訪ねました。
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 トントン、トントン・・。
(弟子)「もぉし、もぉし・・、」
(子:松若)「父ちゃん、母ちゃん、誰か戸を叩いているよ。」
(母:お兼)「ほんと、何か御用ですか?」

(弟子)「・・旅の僧でございます。この吹雪で難儀しております。恐れ入りますが、一夜の宿をお願い致すことは、出来ますまいか?」
 
(お兼)「お前さん、旅のお坊さんですって。この雪で泊めて欲しいとおっしゃっておられますわ。」
(父:左衛門)「何っ、・・ダメだダメだ。お断りだ!・・わしは坊主が大嫌いなんだ。帰ってもらえ!」

 何ちゅう事を、言いやがるんでございましょうか、この左衛門。
 でも、何か理由がありそう・・。 つづく

紙芝居:「意地悪(いじわる)くん」 (後編)

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 次の日、いじわる君は、隣町を歩いていると、
 行く手の大きな屋敷の門の前に、人だかりがしていました。
 そしてその真ん中で、みすぼらしい身なりの女性が、うずくまってシクシク泣いていました。
 「いったい、どうしたのですか?」と、いじわる君は側の太ったおじさんに聞いてみると、
 するとおじさんは、「なぁに、たいしたことではないさ。あの女は、このお屋敷の女中なんだよ。それで、お屋敷の旦那さんにお金を借りたんだが、貧乏で返せなくて・・、それで追い出されて泣いているのさ。」と、言いました。
 いじわる君はそれを聞いて、「そうですか。気の毒に。・・それで、あの女性の名前は何というのですか?」と尋ねると、
 「あの女の名を聞いて、どうするつもりなんだい?・・でも、まぁ教えてやろう。 実はあの女の名は〔金持ちよ〕っていうんだよ。けっさくだろう!わぁははははっ」と笑いながら、おじさんは答えました。
 いじわる君は又、びっくり。
「これは、いよいよ不思議だ。〔金持ちよ〕さんなのに、貧乏で追い出されるなんて!」
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 その夜、いじわる君は、柔らかい草の上に横になって、夜がふけるまで考えました。
 「〔元気〕君が早死にして、〔金持ちよ〕さんなのに貧乏。・・そして僕は、〔意地悪夫〕。
 あの二人は、とても良い名前を付けて貰ったのに、気の毒な人たちだった。
 ・・でも、僕はどうだろう。
 みんな面白がって、僕をからかうけれど、僕は「意地悪」なんかしたことがない。
 名前のことは、そんな気にする必要はないかもしれないな・・。
 とにかく、明日は、約束の三日目だ。もう一日、名前探しを続けてみよう。」と、思いながら休みました。
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 その最後の日、いじわる君は別の町に向かって、歩きはじめました。
 すると、「もしもし、坊や、町にはどう行けば良いのか、教えてくれんかのぉ?」と一人のおじいさんが、尋ねてきました。
 「はい、この道をまっすぐに行けば良いのですよ。ほら、向こうに屋根がたくさん見えるでしょう。・・おじいさんは、遠くから来られたのですか?」と、いじわる君が言うと、
 「うんにゃ、わしは、その町に住むものなんじゃが、すぐに道に迷ってのぉ~。もう、毎日毎日、迷子なんじゃよ。ふぉふぉふぉ」と笑いました。
 いじわる君はそれを聞いて、「おじいさん、あのう、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」と尋ねました。 
 すると、おじいさんは、「わしの名は、〔迷わぬべぇ〕というのじゃ。ふぉふぉふぉ」と笑いながら答えました。
 いじわる君は、それを聞いて「うーーん」と唸り、座り込んでしまいました。 
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 「僕は、《名前さがし》の旅をして来たけれど、名前ばかり良くても、何にもならないようだ。
 もう、これ以上《名前さがし》は止めにして、学校に早く帰って勉強しよう。 
 良い名前だけが、僕を幸せにしてくれるわけじゃないんだ!・・だから、どんな名前だっていいじゃないかっ!
 僕はもと通り《意地悪夫》で良いんだ!
 ・・そうだ、そう呼ばれる度に、『意地悪になってはいけない!』と、自分自身にそう言い聞かせよう!」
 いじわる君は、そう決心して、明るい気持ちで学校に帰ることにしました。
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 学校では先生が待っておられ、「どうだね、良い名前は見つかったかね?」と、尋ねられました。
 いじわる君は、「先生、良い名前は多くありました。・・しかし、その人たちは名前とは逆に不幸でした。
・・それで、僕はもう名前のことは気にしない事にしました。そして勉強に励むことに決めました。」と、明るく答えました。
 それを聞いて、いかにも嬉しそうに先生は、「君は本当に良いことに気がついた。・・その通りなんだよ。(モンキッキーとか、)良い名前に変えるより、良い人になろうと努めることが大切なことなんだよ。さぁ、益々これから勉強に身を入れて、頑張りなさいよ!」とおっしゃいました。

 『名前探しの旅』を終えたのち、いじわる君は、熱心に勉強に身を入れ始めました。
 そんな姿を見た友達たちは、やがて誰一人、その名前でからかう者はいなくなったということです。 おしまい  『依名得運本生物語』より

紙芝居:「意地悪(いじわる)くん」 (前編)

(はじめに~)
 昨年(2010年)の赤ん坊『命名ランキング』ナンバー1は、男の子が〔大翔(はると・ひろと)〕、女の子が〔さくら〕だそうだ。(明治安田生命(株):発表)
 名前というのは、親の願いが一杯詰まっていて、結構、名前負けしてしまうような〔名前〕も多い。(『直樹』という名の僕も、完全に名前負けしているその一人である。)
 又、最近では、その反対に親が遊び半分のような気持ちで(外国人の名を漢字で当てはめたような)〔名〕を付けてるようなものも多く見かける。(国際化社会やから、それもエエか?)
・・だが、一昔前にあった『悪魔くん』命名騒動は、どうも頂けん。 なぜなら、その子の人生を、名によって左右してしまうかもしれんからだ。

 では、名を変えたら、その人の運命は好転するのだろうか?・・僕は、そうとも言えんような気がする。(やはり行動が伴わねば、名を変えただけでは、ダメだろう。)
・・でもでも、本名〔松山数夫〕が、〔松山まさる〕になって、〔一条英一〕になって、〔三谷謙〕に変わって、最後《五木ひろし》になって売れた芸能人もいるので、芸能界では、名も大切なのかも・・。でも、それはやはり、実力が伴ってたからなのやろなぁ・・。
・・ああっ、頭の中が分裂して来た!(もともとかもしれんが・・〔笑い〕)

 さて、釈尊も自分の息子の名を(子は修行の妨げという意味で)〔ラーフラ=妨げ〕と名付けた。今なら大問題の部類に値するだろう!?・・この話は、いずれゆっくりしたい。)

 さてさて、横道ばかりにそれたが、今からお話する『紙芝居』の主人公の名は、「意地悪(いじわる)」と言った。
 誰が付けたのか、・・もちろん本人は『大不満』であった。
 さぁ、そんな『いじわる君』の〔名前〕の悩みのお話です。はじまり、はじまり~。
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 昔むかしのインドのお話です。
 ある町に、お坊さんになる学校がありました。
 そこに、一人の珍しい名前の生徒がおりました。
 その名を『意地悪夫(いじわるお)』と言いました。
 本当のところ、この子は「意地悪」なんか、一つもした事がないくらい優しい子でした。
 しかし、仲間の生徒がおもしろがって、何度もその子の名を呼びからかいました。
 いじわる君は、できるだけ気に掛けないようにしていたのですが、或る日、とうとう我慢できず、先生に相談しに行くことにしたのでした。
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「先生、僕に違う別の〔名前〕を付けてもらえませんか? 意地悪なんかしてないのに、そう呼ばれるのがとても辛いのです。お願いします。」と、いじわる君はそう言いました。
 それに対して先生は、
「そうか、そんなにその名が嫌なら、変えるが良い。
 だが、せっかく変えるのだから、君の一番好きな名前に変えるのが好かろう。・・それでは、明日から《三日間》ほど旅に出て、好きな名前を探して来なさい。」と、言われました。
 いじわる君は大喜び。
 次の日、早速仕度を整え出発しました。
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 最初の日、村の公園に行きました。
 そこには、たくさんの子供たちが遊んでいて、みんないろんな名前で呼び合っています。
 でも、どれもみんな、聞いたことがあるような名前ばかりでした。
 「せっかくだもの、もっと珍しい名前を探してみよう!」と、いじわる君は、その場を後にしました。
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 そして、いじわる君が町に入った時のことです。
 向こうから〔お葬式〕の行列がやって来ました。
 その中で、まだ若いお母さんらしき人が、涙を拭き拭き歩いて来るのが見えました。
 いじわる君は、そっと、そのお母さんらしき人に近づいて尋ねました。
 「あのー、どなたが亡くなられたのですか?」と。
 するとその女性は、
 「まぁ、坊や。 ちょうどあなたと同じぐらいの男の子が、病気で亡くなったのよ。・・可哀想に、こんなに早く亡くなるなんて・・。」
 いじわる君はそれを聞いて、「それは、お気の毒です。お悔やみ申し上げます。・・あの~、それでその子は何というお名前だったのですか?」と聞くと・・、
 すると女性は、「それがねぇ、この子の名は『元気』君と言ったのよ。・・名前負けしたのかしらねぇ。」と答えました。
 それを聞いて、いじわる君はびっくり。「・・可哀想になぁ。『元気』という名前なのに、そんなに早死にしてしまうなんて。」
 そう、いじわる君は思いながら、合掌してお葬式の列を見送りました。 つづく

紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(後編)

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(播磨屋忠四郎)
「ところでなっ・・、
津波と云うのは、沖から波が来るだけではないんだっせ。
 海辺近くの海底から、水が吹き上がってくる事もあるので、海辺近くに畑を持っておられる方は、泥水の噴出しに十分注意をしてくだはれや。
 又、今回、海辺から遠く離れた〔大和の古市〕という所でもな、池の水が大地震の後、突然溢れ出し、多くの家が押し流されたと伝え聞いてますんで、大きな川や池の側の住民も、十分注意してくだはれや。
ファイル 705-2.jpg(現在の奈良市:古市町の池中古墳/新池)
 「さてさて皆様方、これまでお話しさせてもらいました事をよーく踏まえて、地震の後には〔津波〕が起こるかもしれんので、地震の後には舟には避難したらあきまへんねんで。・・津波は普通の高潮とは違いまんねんからな。
 又、日頃からの〔火の用心〕も大切でっせ。お金や貴重品なども大切に保管しとくようにな。・・たのんまっせ。」
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 「さぁっ、そろそろわしも御浄土に還る時刻や。・・この話も終りにしまひょか。
 そうそう、大事な事を言い忘れとった。
 どうか、心ある人は、わてらが刻んだこの石碑を、後世まで大切に残して、伝えていって欲しいんや。
 そして願わくば、この彫った文字が読めんようになってきたら、
どなたか、墨を入れて、又、みんなに読めるようにしてもらいたいんや。
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 ・・・おおっ、大丈夫なようやな。この平成の時代までも、ちゃんと何度か、墨を入れ直してる後が見えるわ。 よかった、よかった。おおきに、おおきに。
 それでは皆様方、御元気で。又、御浄土で会いまひょな。
 ほな、さいなら。
・・・んんっ、還ろうとしてんのに止めるお前は誰や?
・・えっ、〔ハッタり屋観念四郎〕ってか? 変な名前やなぁ、ひょっとして、わしのパクリか?・・まぁええわ。何の用事や?
・・ええっ、なんぞ言いたい事があるって?・・それも、みんなに言いたいけど、恥ずかしいから代わりに言うてくれってか。写真だけで勘弁してくれやて。
・・そっちの方がよっぽど恥ずかしいと思うけどなぁ・・。まぁええわ。ほなっ、皆さんに写真で挨拶せぇ。わしが声出したるから。・・ええか、準備オッケイか?・・よっしゃ、」 
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 『皆様方、地震の後の津波には、くれぐれもご用心でっせー。』 おしまい

尚、この紙芝居の実践風景は、下記の『イベント坊主』さんのホームページで見れますので、恐いもの見たさの方、いや、御関心おありの方は、覗いて見てください。

http://blog.zaq.ne.jp/hounjisportspark/article/623/

紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(中編)

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 上の写真は、今も残る『安政大津波』の石碑である。
 すぐ近くに〔京セラドーム〕が見える。
 この碑は、現在、大阪市浪速区の〔大正橋〕のたもとにある。(何度か移設されたらしい。)
 この場所は、大きな川が縦(南北:木津川)、横(大阪湾から西東:尻無川~道頓堀川)に交差している地点にある。(やはり、水の氾濫には弱いかもしれない。)
 ここに来ると潮の匂いがした。・・海が近いのだ。 
 では、続きをどうぞ。
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(播磨屋忠四郎)
「・・前回からのつづきや。
 津波は、雷のような音と共に、一斉に大阪の町に押し寄せて来た。
 安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東掘まで四尺(約1・2m)の深さの泥水が流れ込んで来たんや。」
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 「両川筋に停泊していた多くの舟の綱や碇が切れて、川の水は逆流し、安治川橋・亀井橋・日吉橋、等々の橋は、みんな崩れ落ちてしもたんや。
 それで、舟に避難していた多くの人が、犠牲になってしもた。」
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 「又、〔道頓堀川〕に架かる大黒橋では、大舟が川の逆流によって横転して、小舟を下敷きにして、川をせき止めてしもたんや。
 それであたり一面、あっという間に壊れた舟の山が出来、溢れた水が河岸の小屋を壊していった。
 その破壊の音や、助けを求める人の声が付近一帯に広がり、正に地獄のようになったんや。 
 今日はここまでや。・・次回で終わりやで。」

紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(前編)

(はじめに)
 今年の四月半ば、大阪市内のある老人ホームで、『稲むらの火』という紙芝居をさせて頂いた。
 その時、一人の男性から「住職さん、大阪にも昔、津波が来たんやで!・・一度、浪速区大正橋のたもとに行ってみなはれ。慰霊碑が建ってるで。」と言われ、驚いた僕はすぐ現地に行ってみた。
 するとその通り、その慰霊碑は建っていて、その横の掲示版に、この「慰霊碑」が建った由来とその時の津波の様子、被害状況、そして後世の人間たちへ備えまでが書かれてあった。(しかも、現代語に訳され。)
 その内容を読んだ僕は、再び驚き、是非この話を紙芝居にしたいと思った。
 そしてこの度、試行錯誤の上、ようやくこの「紙芝居」が完成した。
 拙い絵と文章はお許し願いたい。
・・が、これがノンフィクションであるというだけでも、この話の発表は意義がある事だと思っている。
 この時期だからこそ、見て頂きたい一作である。
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(播磨屋忠四郎)
「皆様方、この石碑をご存知でっか?
 これは大阪の浪速区、大正橋のたもとに建つ、江戸末期『安政大津波』の慰霊碑でおまんねや。
 そう、大阪にもかつて大津波が来て、ぎょうさんの犠牲者を出しましてんで。
 えっ、お前は誰かって?・・わては〔播磨屋忠四郎〕というこの石碑を建てた商人のひとりでおま。
 えっ、なんで、江戸時代の人間がしゃべっているかとお尋ねでっか?
 それはでんな、平成に起こった『東日本大震災』をあちらの世から見てまして、大阪の人間にも『これは他人事ではないで!』と知らせたかったから、時空を越えてやって来ましてん。」
ファイル 703-2.jpg(今も残る石碑)
 「わてとわての仲間たちは、あの大津波の様子を、この石碑の裏に彫って、後世の子孫たちに、くれぐれも備えて欲しいと思い、建てましてんで。
 では、その様子を今から話しまひょか・・。」 
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 「そう、あれは〔安政元年(嘉永七年)〕、平成の世から云うと、およそ150年前。
 紀州の国(和歌山県)で、《稲むらの火》が燃えたあの日、あの時刻、大阪にも大地震が起こったんです。
 世に言う『安政の大地震』でんな。
 実は、この地震の前の日にも大きな揺れがあって、町の人々は火事を恐れて、水の上なら安心やと、舟に避難する者が多かったんですわ。
・・が、後で考えたら、これがあかんかったんやなぁ・・。」 
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 「安政元年(1854年)十一月五日の夕刻。
 大阪を大地震が襲ったんや。
 そして、恐れていた通り、おちこちで火事が起こりましてん。
 しかし、それより恐ろしい『大津波』が海よりやって来ようとしておりましてん。 つづく・・でおま。

紙芝居:「讃岐の源太夫!」 〔後編〕

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 〔源太夫(げんたゆう)〕が木に跨り、阿弥陀さまを呼び続けて、何日かが経ちました。
 或る日、偶然通り掛かった村人の一人が、その声を聞いて「何をしていなさる?」と尋ねました。
 すると源太夫は、
「坊主が、『西の方に向かって歩いて行き、〔阿弥陀〕さんを呼んだらその仏さんが返事をしてくれる』と言うたので、西に向かってここまで来たんじゃ。・・しかし、もうこれ以上は西に行けないんで、この木の上で〔阿弥陀〕さんを呼んでおるんじゃ。」と答えました。
 そこで村人は、
「あんたはそう言うけど、本当に阿弥陀さんは返事をして下さるんかい?」と問うと〔源太夫〕は、
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「そうじゃ、聞こえてくる!・・わしが鉦を打って『阿弥陀さんよぉー』と呼ぶと、向こうから『おおい、仏はここにおるぞー。』と答えてくれる」と言いました。
 そこで村人が「そりゃ本当か?!」と言うと、源太夫は、
「本当じゃ、今からわしが仏を呼んでみる。そしたら、阿弥陀さんが返事をしてくれるから、耳を澄まして聞いてみろ。わしが呼んだら必ず答えてくれるのじゃ。」と言って、懸命に鉦を打ち、
「阿弥陀さんよぉー、阿弥陀さんよぉー!」と呼びました。
 しかし、村人には何も聞こえてきませんでした。
 けれども、木の上の源太夫は嬉しそうに「どうだ、仏さんの声が聞こえただろう。」と言うのです。
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 そこで、村人は村に帰って、皆に「変わった男がおるんじゃ。木の上に座って、ずっと仏さんの名前を呼んでおるんじゃ。」と言いました。
 その次の日、その話を聞いた大勢の村人達が、岸壁まで行って見ると・・、
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 木の上で〔源太夫〕は、眠るかのように息絶えておりました。
 そして不思議なことに、その口から真っ白い一本の《蓮の花》が咲き出ていたという事です。 おしまい

(あとがきにかえて)
 この紙芝居は、『今昔物語集十九』を元にして、〔芥川龍之介〕の『往生絵巻』という短編戯曲を参考に作った作品である。
 とくに、大感動的な話ではないのだが、なぜか僕はこの作品に心が引かれ「紙芝居」化した。
 悪党:源太夫に、いったいどのような心の変化があって、阿弥陀様探しの旅に出たのであろう?
 芥川氏の戯曲には、『(説法を聞き、)見共はその時、体中の血が一度に燃え立ったかと思う程、急に阿弥陀仏が恋しゅうなった・・・。』と書かれてある。
 自分はどうしようもない悪人である自覚と、死後の恐怖を〔源太夫〕は、常に持って生きていたのか・・?
 きっとこの話(今昔物語)に、芥川氏も何か感じる処があったに違いない・・だから戯曲にされたのだろう。
 人は、自分の心の中の悪を常に自覚し、何かにすがりたいと(常に)思う。・・僕も同じだ。だから、源太夫に共感してしまう。
 最後に、讃岐から西に西に向かうと、一番先は『愛媛県』の〔佐田岬〕になる。
 源太夫は、その岸壁から、海以外、果ては何も見えなかったという。
 しかし、実際は〔佐田岬〕から、九州の〔大分県〕が見える。(舟を使えば、もっともっと西へ行けるやんけ。)
 だから、おそらく〔源太夫〕は『西へ西へ』と言いながら、南西へと緩やかに曲がってしまい、最終的に『宇和島』か、〔高知県〕の『足摺岬』ぐらいに行ってしまったのではなかろうか?
 そうすれば、果ては太平洋であり、話が通る。
 僕はこの紙芝居を書きながら、ずっとそんな事を考えて『地図』を眺めていたのであった。 おわり
 
 
 

紙芝居:「讃岐の源太夫!」 〔中編〕

 そして〔源太夫(げんだゆう)〕は、お寺の和尚さんに対し、「悪人でも救ってくれるという《仏》がいるというのは本当か?!」大声で叫びました。
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 和尚さんは、目をパチクリさせて驚きながらも、
「そうだ、本当だ。いかにも罪深い者でも〔阿弥陀仏〕という仏様は、みんなお救い下さるのだ」と答えました。
 すると源太夫は、
「嘘は言うまいな!・・・・・・すると、このワシも救ってくれるというのか!」と、詰め寄りました。
 村人達はどうなることかと、ハラハラして見ておりますと、和尚さんは、今度はゆっくりと、
「そうだ、お前のような悪党だって、阿弥陀仏様のお慈悲はもらしはしない。」と言いました。
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 そこで源太夫は、今まで持っていた獲物を投げ捨てて、
「・・それならワシは、その阿弥陀さんとやらに会ってみたいと思うのだが、いったいどこに行けば会えるのじゃ?」と尋ねると、和尚さんは、
「阿弥陀仏さまは、ここから西の方、遥か彼方の《お浄土》という所に居られるから、西に向かって声の限り阿弥陀様を呼んでみるがよい。
 そしたらきっと、その呼び声に答えて返事してくだされよう。」と言われました。
 すると源太夫は、「よし、わかった。」と言って、そこを立ち去ってゆきました。
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 そのあくる日、源太夫は、髻(もとどり)を切り落として、どこでどう手に入れたか、身に白装束を羽織り、手に小さな鉦を持って、朝早く自分の家を旅立ち、西に向かって歩き始めました。
 そして、鉦をチンチン鳴らしながら、大きな声で、
「阿弥陀さんよぉ~、アミダさんよぉ~~!」と叫び続けながら、一筋に歩いて行きました。
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 山を越え、川を越え、ひたすら西に向かって、何日も何日も歩きました。
 そして、とうとう岸壁に出ました。
 もう行けません。
 ところが岸壁に、海に向かって一本の大きな木が出ていました。
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 そこで源太夫は、その木に登って、行けるところまで進みました。
 下は海です。
 そして源太夫は、その木の枝の股の処に座って、懸命に鉦を鳴らし、西に向かって、
「阿弥陀さんよぉ~、アミダさんよぉ~~!」と叫び続けました。
 つづく

紙芝居:「讃岐の源太夫(げんだゆう)!」 〔前編〕

 『今昔物語集』より
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 今は昔、讃岐の国(今の四国・香川県)に、〔源太夫(げんだゆう)〕という男がおりました。
 この男、若い頃から悪いことばかりして、村の嫌われ者でありました。
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 或る日のこと、源太夫は自分の子分をつれて、山へ猟に行きました。
 そして、その日の夕方、獲物の鳥やウサギを手に持って、山から下りて来ました。
 しかし、どこでどう間違えたか、道に迷い、道でない所から駆け下りたところ、そこはお寺の境内でありました。
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 そのお寺の中では、ちょうど〔法座〕が開かれており、お寺の和尚さんが、高座の上で大きな声で〔仏様のお話〕をされておりました。
 源太夫は、血のしたたる獲物を持ったまま、何気なく本堂から聞こえてくるお話を聞いておりますと・・・、
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 ちょうどその時、和尚さんが、
「・・いかなる恐ろしい罪を犯そうとも、阿弥陀(あみだ)仏さまの願いは『一人も残さず救います』と云う教えなのじゃ。皆さん、わかりましたかな」と、お話されたところでした。
 その時、源太夫は何を思ったか、土足でづかづかっと本堂の中へ入ってゆきました。
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 今まで熱心に、そのお説教を聞いていた村人たちはびっくり!
 見れば、あの村で悪評高い源太夫だったからです。
 その源太夫、高座の和尚さんに向かって、一声叫びました。
「おい!坊主、今お前が言ったことは本当か?!」と。 つづく

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