(現在の岩壁風景)
郵便局長であった〔夏目庄吉〕さんが、なぜ、滝畑の岩壁に「磨崖仏」を彫ろうと思ったのか?・・その理由ははっきりとは解っていないのです。
しかし、このような説があります。
この滝畑には、高野山へと通じる道がありました。
が、その道幅は狭く、急な崖近くを通らねばなりませんでした。
旅人たちはよくそこで足を滑らし、中には亡くなられた方もあったということです。
その話を知った〔夏目庄吉〕さんが、旅の無事を祈願する為、「磨崖仏」を彫ろうと決意された・・という事なのです。
〔庄吉〕さんは、元々『仏教』に造詣が深く、たいへん信心の篤い方だったそうです。
大正時代の終わり頃、〔庄吉〕さんは滝畑地区の人々の協力を得て、岩壁近くに立派な足場を組み、磨崖仏製作に取り掛かります。
〔庄吉〕さんは毎日、市街地にあるご自宅から、滝畑まで片道10キロの山道を、自転車で漕いだり押したりしながら通い続けられました。
暑い日もあったでしょう。
寒い日もあったでしょう。
が、〔庄吉〕さんは強靭な精神力と体力で、一人滝畑へと走り続けられました。
又、帰宅後は翌日に備え、道具なども丹念に整備されていたそうです。 つづく
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紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (中編)
紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (前編)
(はじめに~)
大阪は「河内長野市」に、『滝畑(たきはた)』という地区がある。
ここに、大阪府下最大の『ダム』があり、その周辺はキャンプ場などのレジャー施設になっている。

一昨年、妻と一緒にこの『滝畑ダム』を見学に行った。
その時驚いたのが、このダムの巨大さよりも、ダム北側の岩壁に掘られた巨大な『磨崖仏』だった。
おそらく案内版を見なければ、知らずに通り過ぎたであろうこの二体の巨大な(観音様・お地蔵様の)仏像群。
僧侶という仕事をしているので、いやでも目を凝らし探して見た。・・そして思った。
この岩壁に掘られた二体の仏像、いったい誰が?何の目的で?いつ?彫られたのか?・・僕の興味はダムよりも(失礼!)そっちの方に向いてしまった。
そして又(笑)、ムクムクとその『磨崖仏』完成までのエピソードを調べたくなり、出来ることなら、その『紙芝居』を作ってみたいと思った。
・・それから一年。ここに来る度に、少しづつ資料を集め始めていたそのような時、『かわちながの観光ボランティア倶楽部』〔滝畑地区担当〕の方々と知り合うご縁を頂いた。
こちらの倶楽部の方々も、滝畑の磨崖仏の「紙芝居」(のようなもの)を作りたいと考えておられ、それを使って見学者の方に説明案内したいと思っておられたらしいのだ。
「これはご仏縁だ!やはり、今作らねば・・。」と勝手に決心し、(又ご依頼もあったので)倶楽部の方々からいろいろと資料を頂きながら、なんとか(故人のプライバシーにも考慮し、想像力を膨らませながら)完成までこぎつけた。
それが、今回の紙芝居である。
尚、実際の《生》の紙芝居を、『滝畑ダム』現地の大迫力の中で、ボランティアガイドさん案内の元に見られたい方は、『河内長野市市役所商工観光課』(電話)0721-53-1111〔かわちながの観光ボランティア倶楽部〕まで、お問い合わせ頂ければ幸いである。(要予約2名以上で、参加者1名につき100円の運営協力費をお願いしたいとのことだ。)又、この時『紙芝居』も可能かを聞いて頂きたい。)
前置きが長くなったが、それでは紙芝居のダイジェスト版を見て下さい。・・はじまり、はじまり~
皆さん、『磨崖仏(まがいぶつ)』って知ってますか?
『磨崖仏』とは、自然の岩壁に彫刻された仏様(仏像)のことです。
大阪は、河内長野市『滝畑』という所に、この磨崖仏があります。
この仏像は、昔のお坊さんが彫ったものではありません。
又、プロの彫刻家が刻んだものでもありません。
実はこの仏様、一人の『郵便局長』さんが彫ったものなのです。
その方の名は、『夏目庄吉』さんとおっしゃいます。
夏目さんは、河内長野ご出身で、『特定長野郵便局・初代郵便局長』をなさっておられました。
この方が、50才近くになられた時、突然、滝畑地区の岩壁に『磨崖仏』を彫ろうと決心されるのです。
その理由は・・? つづく
紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その5:〔最終回〕)

またもや世界は一瞬、眩しいほどに輝きました。
そして気がつくと、又、元の世界に戻っていました。
その時です。後ろから幾人かの人の声が聞こえて来ました。
「お~い、長一さーん」、「お前さーん」、「お父ちゃ~ん」、「兄さーん」と。
長一が振り返ると、そこには、
妻と子、そして弟、長屋の住人の方たちが大勢で立っていました。
「お前さん、探しましたよ。長屋の方たちがあなたの名前の書いた財布を拾ったと、家まで届けて下さったのよ。」と妻が言いました。
長一は「・・お前っ、私が解るのかい?」と言うと、
妻は「何、言ってるの?当たり前でしょ。皆さん、心配してあなたが自殺でもしないかと、町中探し回って下さったのよ。」と言いました。
その時、弟が前に出て来て「兄さん、心配したよ。」と言うと、
長一は「お前、生きてるのか?!」と言い返しました。
弟は「当たり前だろう。それはこっちのセリフだよ。長屋の女将さんたちは、もう心配してあそこの路地裏のお地蔵さんをずっと拝んで下さっていたんだよ。」と言いました。
長一は「あぁ・・、そうなのか。・・お地蔵さまを。あっありがとうこざいます。皆さん!」と言うと、
子供たちが「お父ちゃーん!!」と言って長一に飛びつきました。
(長一)「あぁっ、生きてることは素晴らしいことなんだ。
・・ああっ、素晴らしき哉、人生!」と、長一は子供たちを抱きかかえ叫びました。
・・・・。
(一人前地蔵)「・・という訳で、今、私の身体は眩しいほどに〔後光〕が輝いておるのでございます。
もう、半人前ではありません。
一人前地蔵です。
えっ?、その後〔長一〕一家はどうなったかって?
はい、今では長一も借金を返して、皆で幸せに暮らしておりますよ。
何っ?、お前が又魔法を掛けたのかって?
いいえ、人の命の大切や、その絆に気づいた者は、自然と《幸せの光》が入って来るものなのでございますよ。
皆さんも、そこんとこ、よ~く覚えておいてくださいよ。
それじゃ、このへんで失礼しましょうか。おさらばです。・・さようなら。」
めでたし、めでたし。 おしまい
紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その4)

「お酒の飲みすぎだ。・・そうだ、貧乏長屋に行ってお水を一杯もらおう。」と、町に着いた長一は、長屋へと向かいました。
・・が、長屋に着いた長一はびっくり。
長屋は誰も居ない空き地になっていました。
「おかしいなぁ、・・確かにここは、長屋だったはずなのに・・?」
そこで、再び私(地蔵)が姿を現し、
(半人前地蔵)「だから言ったろう。・・お前がこの世に生まれなかったので、貧乏長屋は住人たちは、お前からお金が借りれず、皆〔夜逃げ〕してしまったのさ。・・そして長屋は無くなり空き地になった。つまりそういう事だ。」
「嘘だっ!・・これは幻だ!」と、長一は叫びました。
その時です。
偶然、目の前を長一の嫁が通り掛かりました。
「あっ」と叫んで、長一はその女性の元に走って行きました。
(長一)「おいっ、おまえ!・・お前まで私を知らないなんて言わないよなぁ?!」と、その女性の肩をつかみました。
そして、「大変だったんだよ。・・せっかくお金を借りたのに、途中で落としてしまったんだよ。」と言うと、
その女性は、「はっ離して下さい!私はあなたの顔も見たことありません!馴れ馴れしく触らないで下さい!・・変なことすると人を呼びますよ!」と叫びました。
長一は慌てながらも「何を言うんだいっ!お前の夫の長一だよ。私の子供たちは、いったい今どこに居るんだい?!」とさらに聞くと、
その女性は、「離してください!私はずっと独身です。子供も生んだことなどありませんっ!・・誰かー、助けてー!」と叫びました。
その声を聞いて、町の人達が集まってきました。
「どいつだ、どいつだ!娘さんをかどわかす奴は!・・お前かっ!」と、町の住人たちは棒や箒を持って迫ってきました。
「うわーっ!」と叫び、その場から長一は全速力で駆け出しました。
(長一)「お地蔵さまー!助けてくださいー!」 
そして長一は、いつしか、元居た橋の上に戻っていました。
そこで、再び私(地蔵)が、姿を現し、
(半人前地蔵)「どうだった?長一。
・・一人の命は、大勢の人の人生に深く関わっているんだ。
・・君がこの世から欠けると、すべて何か変わってしまうのさ。まぁ、それは善いことも悪いこともあるんだが・・。
君の場合、もし君が居なかったら、弟は助からない。そして君の妻は結婚しない。・・当然、君の子供たちは生れない。
そして、貧乏長屋の住人たちは、大勢苦しむことにもなる。
『自分一人が居なくなっても、世の中何も変わらない』なんて、思っちゃいけないのさ。」と言いました。
(長一)「わっわかりました。お地蔵さま、お願いです。元に戻してください!もう二度と生れなかったら良かったなんて思いませんから!」と言って、長一はその場で泣き崩れてしまいました。
そこで、再び私(地蔵)が、「ちちん、ぷいぷいっ」と言って錫杖を振ると・・、
つづく(次回、最終回)
紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その3)

そして(半人前地蔵の)私が、錫杖(しゃくじょう=杖)をパッと振ると、なんと目の前の世界が、一瞬ピカッと光り輝きました。
そして、言いました。
(半人前地蔵)「さぁ、長一。望みどおり、君の存在を消して上げたよ。・・君は生れなかったことにした」と。
すると長一は、「変なこと言わないで下さいよ。ちゃんと私はここに居ますよ。・・それじゃ、ここに居る私はいったい誰なんですか?」と言い返しました。
(半人前地蔵)「誰でもないよ。君は〔名無しのゴンベェ〕だ。町の人は、誰も君を知らないはずだ。嘘だと思うなら、町に行って聞いてごらん。」と言い、一度私は姿を消すことにしました。
(長一)「そんな馬鹿なことがあってたまるか!? これは夢だ。・・なんだか死ぬ気も失せてしまった。・・あれっ?聞こえ無い方の耳が聞こえるぞ。不思議だなぁ・・」と、長一は一人事を言って家に帰ることにしました。
家に帰って、長一はびっくり。
なんと、家が無いのです。
その時偶然、となりのご隠居が外に出てきたので、長一はあわてて聞いてみました。
「ごっ、ご隠居さん、私の家を知りませんか?」と。
するとご隠居は、「あんた、この辺じゃ見かけん顔じゃなぁ・・。この昔の質屋の事を言っておるのか?・・ここは、十年前に店主が亡くなって潰れてしもたよ。」と答えました。
(長一)「えっ?!でも、ここには二人の子供が居て、その一人が、わたし・・」と言いかけるとご隠居は・・、
「何だって?ここには一人しか子供は居らんかったよ。しかし、その男の子も小さい頃、池で溺れて死んでしまってなぁ・・。気の毒なことじゃった」と言って立ち去りました。
(長一)「なんてこった!やはり、ここは私の家だったんだ。・・でもいったい、なぜだ?!」
そこで私が姿を現し、説明してやりました。
(半人前地蔵)「だから言ったろう。お前は生れなかった事にしたと。・・だから当然、弟は一人っ子で、助けるお前が居ないので、池で溺れて死んだんだ。・・そして、跡取りを無くしたお店は潰れる。当然のことさ」と。
「そんな馬鹿な!」と長一は叫んで、町へ向かって走り出しました。
つづく
紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その2)

(長一)「お地蔵さまっ、私程、運の悪い男は居りません!・・それでもう死ぬより他ないのでございます。
実は、私の家は小さな『質屋』をやっておりまして、私の妻と子と弟と、どうにか慎ましく暮らしております。
質屋を経営しておりますと、〔貧乏長屋〕の住人達が、二束三文の所帯道具を持って来て、『お金に変えてくれ』とやって来るのでございます。
私は、『ダメだ、こんなオンボロな品物!』と言いたい所ですが、『お金が無ければ家を出て行かねばならない』と頼まれれば、とても断れません。
・・それで、気がつくと私の店も『火の車』になっておりました。
・・そう、私は小さい頃からついてないのです。
幼い頃、弟が池で溺れました。それを助けようとして私が風邪を引き、片方の耳が聞こえなくなりました。
又、大人になって、都会に勉強に行こうと思ったその時、父親が急死して、私が店を継がざるを得なくなりました。
・・結婚して子供も出来ましたが、貧乏で何一つ善い事がございません。
そして今日、とうとう生活費が無くなり、高利貸しにお金を借りに行ったら、その帰りに大事な『財布』を落としてしまったのです。
こうなったら、もう死ぬしかございません。
ヤケクソになって、つけで酒を飲み、死ぬ決意をしたのでございます。
自殺したら、きっと高利貸しも金の催促には来ないでしょう。
私なんか、死んだ方がまだ価値があるのです。」と、そう長一は話しました。
長一の話を聞いた(地蔵の)私は、思わず言いました。
(半人前地蔵)「君は立派な人間だ。困ってる人をたくさん助けているじゃないか。・・いいかい、自分が死ねば皆が幸せになるとでも思っているのかい?」
すると長一は、「はい、きっとそうなります。
・・そうなんだ!私なんて居ない方が良いんだ。いや、最初から私なんか生れなければ良かったんだ。
・・私なんか居なくても、世の中、何も変わりはしません。」と、言い返しました。
(半人前地蔵)「そんな事、言うもんじゃない!
そんなに自分の存在を粗末に言うのなら、・・いいだろう。では君の願いどおりに、君の〔存在〕を最初から消してやろうじゃないか!」と、私は思わず言ってしまいました。
(長一)「はぁ?」
(半人前地蔵)「はぁ、じゃない。望みどおりに、君は最初から生れなかった事にしてやると言っているんだ。
私は仏だ。不思議な力が使えるのさ。ちちんプイプイ・・。」と私は呪文を称えました。
すると・・。つづく
紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」 (その1)
(映画『素晴らしき哉、人生!』)
今年の夏、東北(仙台)の震災ボランティアセンターに行った時、「今、被災地で『素晴らしき哉、人生!』という、古いアメリカ映画がヒットしている。・・この映画をミニシアターやビデオで、皆見ながら心を癒している。」という話を聞いた。
僕は思わず、『そんな、被災地の人を癒す映画があるのか?!』と驚き、大阪に帰ってから、急いでDVDを探して買って見た。
そしていつしか、このお話を日本バーションにして、紙芝居化したいと思い、先週ようやく完成した。
それでは、日本版『素晴らしき哉、人生!』のお話をご覧下さい。はじまり、はじまり~
〔半人前地蔵〕「皆さん、お初にお目に掛かります。ワタクシ〔半人前地蔵〕と申します。
えっ?なぜ、半人前なのかって?・・それは、まだ私は〔地蔵〕として見習いだからなのです。
それで、まだ〔後光〕も光っていないのですよ。・・ああ、早く人間になりたい!・・じゃなくて、早く一人前になりたい!
そうそう、そんな私に本日、ビックチャンスが来たのです。
・・と申しますのは、先ほど、お釈迦さまに呼び出されまして、極楽の宮殿に参りましたら、次のように云われたのでございます。
〔お釈迦さま〕「おっほん、半人前地蔵よ。・・今、地上で人生に悲観し、自殺をしようとしている男がいる。・・お前は、その男の下に行って命を助けよ。・・そして、その男に『あぁっ、素晴らしき哉、人生!』と叫ばせてみよ。・・もしそれが出来たら、お前を一人前にして後光をプレゼントしてやる。・・どうじゃ出来るか?」と、おっしゃられたのです。
〔半人前地蔵〕「それで、もう私は嬉しくて嬉しくて、『ハイッ!』一声でお受けし、今からその男の下に向かうのでございます。 
おおっ、居りました。今、橋の上から飛び降りようとしております。・・確か、男の名は〔長一〕と云ったはず。
「おーい、長一! 死んではならん!」と、私は急いで彼を呼び止めました。
すると、長一は驚いて「あっ、お地蔵さま!」と叫び、その場でしゃがみ込んだのでございます。
彼はひどく酔っておりました。
私は言いました。
「長一っ、なぜ、死のうとした。一つしか無い命。粗末にしてはならん!」と。
すると彼は、自分が死のうとしていた訳を話し始めたのでございます。」 つづく
紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (後編)

日本に帰国した〔空海〕さまは、嵯峨天皇の後押しで、京都の〔東寺〕を任され、密教を広めました。
又、誰でも入れる学校『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)』を作り、子供たちに給食など、無料で配ったりしました。
さらに、弟子たちと東奔西走し、民衆の救済、社会事業の展開とめざましい活躍をされました。
故郷の讃岐の国、満濃池(まんのういけ)の治水事業もその一つです。(ついでに余談ながら、唐から〔うどん(みたいな食べ物)〕も持って帰って来て、空海さんが作り方を教え広めたという伝説もある。・・だから、讃岐=うどんなのかぁ・・だが、あくまでも伝説である。)
そして和歌山県の高野山も、空海さまが〔密教〕の根本道場の地として、開かれた聖地です。
この高野山にて、62歳で、空海さまは亡くなられます。
その時、朝廷からも多くの弔辞が贈られ、国を挙げて、空海さまの死(入定)を悲しまれます。
その86年後、醍醐天皇から『弘法大師』という号を賜るのです。
話は変わりますが、今尚、空海さまを慕って、高野山にはたくさんの方がお参りに来られます。
お参りの人が称える『南無大師遍照金剛(なむだいし へんじょう こんごう)』というのは、
空海さまが若い時、太陽が満遍なく照らすのを見て、自分は(ダイヤモンドのような光の輝き=金剛)太陽みたいになりたいと思った、まさに『太陽のように遍(あまね)く照らす空海さま、ありがとう!』という意味なのです。(あったかハイムさんみたい・・)
空海さまは、あらゆる分野で活躍されました。
あの『色は匂えど散りぬるを 我が世 誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず』という、『いろは歌』も、空海さまが諸行無常という仏教の教えを、子供にもわかり易く伝えようと、作られたものだと伝わっています。
医療・教育・建築・土木など、あらゆる分野でその才能を発揮された、弘法大師:空海さま。
そして、今、流行の『四国遍路八十八ヵ所霊場めぐり』も、空海さまの足跡を慕ってめぐる旅でもあるのです。 おしまい
紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (中編)

真魚青年、いや、もう〔空海〕様とお呼びしましょう。
空海さまは、滝に打たれたり、狼のいるような恐ろしい森の中で、幾日も修行を続けられました。
百日もの間、百万遍の真言を称え続けるという『虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)』という行を修められたり、又、室戸岬に回り、同じ行を繰り返されました。
その室戸岬の御蔵洞(みくらどう)という洞窟で、この行をしていた時、不思議なことが起こりました。
ある朝、谷がこだましたかと思うと、明けの明星が、空海さまの口の中に飛び込んだのです。
「何じゃ、これは!・・この身体中、みなぎる不思議な力は!(アリナミンVXが効いたのか!・・とは言わず)」と、空海さまは感動に身を震わせました。
この時、空海さまは、今まで見えてなかった物がはっきりと見えたような気がしたのでした。
四国で不思議な体験をした空海さまは、都に戻ると、『秘密仏教=略して〔密教〕』に関心を持たれ、猛勉強を再び、開始されました。
そして、「もっと深く『密教』を学ぶには、やはり正統:密教の伝わる唐の国へ渡って学ぶしかない!」と、一大決心をします。
運良くその頃、遣唐使船が嵐に遭い戻って来ていて、新たに乗船する人を募集していました。
「今しか、機会はない!アタックチャーンス!」と、空海さまは頭を剃り正式な僧侶(仏弟子)となり、縁を頼って、遣唐使の一人に加えてもらうことになったのでした。
こうして空海さまは〔遣唐使〕として、唐の国に渡ることになりました。
長崎の港を出た〔遣唐使船〕は、途中、たいへんな嵐に遭い、海を漂いながらも、なんとか無事に大陸に到着しました。
こうして、空海さま一行は、それから徒歩で唐の都:長安に入ったのでした。 
長安に着いたのち空海さまは、インドのお坊様から〔インドの古語:サンスクリット語〕を学び、さらに密教の正統を継ぐ〔青龍寺〕の『恵果(けいか)』和尚のところに入門しました。
そして1000人を越す弟子の中から、恵果和尚は、なんとっ、空海さまを選び、密教のすべてを伝授されたのでした。(こののち、中国仏教は、時の権力者によって滅ぼされます。・・ひょっとすると、恵果和尚はその事を予知していて、すべて丸ごと、日本へ移したのかもしれません。・・余談でした。)
こうして空海さまは、密教の正統を受け継ぎ、日本へと帰国するのでした。 つづく
紙芝居:「弘法大師 空海さま」 (前編)

『おだいしさま』と親しまれる〔弘法大師 空海〕様。
この〔弘法大師〕というのは、醍醐天皇から贈られた〔おくり名〕です。
お坊さまとしての名は〔空海(くうかい)〕とおっしゃいます。
それでは、この〔空海〕様とは一体どのような御方だったのでしょうか?この紙芝居を通して、(前半生を中心に)見て頂きましょう。
空海さまは、今からおよそ1000年以上も前、四国は讃岐の国(今のうどん県、いや香川県)の『佐伯(さえき)氏』という豪族の御子として生れました。
幼名は『真魚(まお)』といい、小さい頃から大変利発な少年だったそうです。
真魚少年は、一族の大きな期待を背負って、11歳の時、京の都に出ます。
都で真魚少年は、おじさんから勉強を教わりました。
そして猛勉強の末、18歳で当時の日本でたった一つの大学に入学しました。
真魚少年は、地方豪族の子としては、まずは無難なエリートコースに乗ったのです。
しかし授業に飽き足らず、大学を抜け出して、いろいろな所に勉強に行き出しました。(今と一緒なんやなぁ・・。)
その内、だんだんと仏教に興味を持つようになりました。
又、自然の中にこそ、学ぶべきものがあると思い、あちこちの山の中を散策して周りました。
真魚青年が、大学に行かなくなったので、おじさんは怒りました。
しかし真魚青年は、『大学の学問がいったい何の役にたつのか・・?』と毎日、悩んでいたのです。
そしてついに大学を辞め、真魚青年は一修行者となって、故郷の四国に帰り、山の中で厳しい修行を始めたのでした。
『悟り』を求めるために・・。
ところで、真魚青年が『空海』と名を変えたのは、この四国での修行時代であったと伝わっています。 つづく
