住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「ダム湖に消えた村~滝畑地区のおはなし~」(その1)

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 大阪府河内長野市の南西に位置する『滝畑(たきはた)』地区。
 そして、この村の中心にある『滝畑ダム湖』。
 この湖は、山の下の町の飲料水確保の為、又、洪水防止の為などに、大阪府が九年間掛けて工事をし、人工的に水を溜め、造ったダム湖なのです。
 その為に、79戸の家や畑・山林などが、湖の底に沈みました。
 それでは、この『ダム湖に消えた村』のお話を聞いて頂きましょう。
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 滝畑地区は、現在『奥河内(おくかわち)』と呼ばれ、大阪の観光地の一つとなっています。
 ここ、光滝寺キャンプ場もそのひとつ。
 毎年、真夏には、川遊びやキャンプなどを楽しむたくさんの観光客で賑わいます。
 そして、この日も・・、

(若い父親)「おーい、一杯遊んだし、お腹も満腹や。そろそろ帰るぞー。」
(子供たち)「はーい。」

 一組の親子が、キャンプ場から帰るしたくをし始めました。
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(子供)「パパ、見て見て、あの人。・・湖に向かって手を合わせているよ。・・へんなお爺ちゃん。」
(父親)「・・うん、そやなぁ。誰か亡くなったのかなぁ?ちょっと聞いてみよか?」
(子供)「聞いてみよ、聞いてみよ!」

 こうして、この親子は、滝畑の湖に手を合わす一人の老人に尋ねてみることにしました。

(父親)「ちょっとお尋ねしますが、お爺さんはどうして、この湖に手を合わせてはったんですか?」

(お爺さん)「うん?・・あぁ、あんたらはキャンプ帰りのお客さんかい。どうして、わしが手を合わせておったんかって?・・それはなぁ、ちょっと長い話になるけど、ええか?」
(子供)「うん、聞かせて、聞かせて!」
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(お爺さん)「わしが手を合わせておったんのは、誰かがここで亡くなったからとは違う。この湖の底に沈んだ、わしの出た小学校や、わしの友達の家や畑を思い出して、ええ思い出を一杯有難うっていう気持ちで、合掌しとったんや。」

(母親)「えぇ⁈ お爺さんの故郷は、この湖の底にあるのですか?」
(子供たち)「それって、ほんまなん⁈」
 
(お爺さん)「あぁ、ほんまやで。・・その話をする前に、ここの村の伝説から話すわな。」 つづく

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その11・最終回)

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(金子みすゞの墓)
 「自分は死んでも、必ず(見えぬけれども在る)仏様の国に往ける。そして、そこから娘を守ってあげる事が出来る!」と・・・、
 金子みすゞは、夫と両親と弟に『娘の養育は母に任せたい』と遺言状をしたためました。
 そして、睡眠薬を多用接種し、26歳で自ら命を絶ちました。
 そしてその通りに、娘さんはみすゞのお母さんによって育てられる事になります。

 それでは最後に、みすゞの代表作の一つとなりました『星とたんぽぽ』と詩をご紹介致しましょう。
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 『星とたんぽぽ』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「青いお空の底深く、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまで沈んでる。
 昼のお星は眼に見えぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ。
 見えぬものでもあるんだよ。

 散ってすがれたたんぽぽの、
 瓦のすきにだぁまって、
 春のくるまでかくれてる。
 つよいその根は眼に見えぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ。
 見えぬものでもあるんだよ。」
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 ・・金子みすゞ。
 本名、金子てる。
 行年、26歳。
 法名 釋尼妙春信尼。

 お墓は、仙崎の遍照寺さまの境内にあります。
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 『繭(まゆ)と墓』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「蚕(かいこ)は繭に入ります、
 きゅうくつそうなあの繭に。
 けれど、蚕はうれしかろ、
 蝶々になって飛べるのよ。

 人はお墓に入ります。
 暗いさみしいあの墓へ。
 そしていい子は、羽が生え、
 天使になって飛べるのよ。」

 おしまい

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その10)

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金子みすゞは、夫との間に可愛い女の子を一人授かります。
 みすゞは、その子を目の中に入れても痛くないほど可愛がりました。
 しかし、又、運命の変わる時が来ます。
 みすゞの夫が、義理の父と喧嘩をして、店を辞めてしまったのです。
 こうして、みすゞ夫婦は、義理の両親の暮らす本屋を出て行くことになりました。
 そして夫は、新たに商売を始めますが、うまくいきませんでした。
 そして、元々、妻のみすゞの才能に理解の無かった夫は、つらく当たり出したのです。
 「詩を書くことは許さん!」
 「雑誌への投稿もダメだ!筆を捨てよ。」と。
 これは、次第に有名人となってゆく妻みすゞへの嫉妬もあったのでしょうが、みすゞにとっては、生きがいをすべて盗られることでもあり、たいへん辛く悲しいことでした。
 が、みすゞは耐えました。
 家族が仲良く暮らす為、子供の為だと思って耐えたのでした。
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 が、さらに、そんなみすゞに追い打ちが掛かります。
 悪い遊びの過ぎた夫から、性病をうつされたのです。
 病院に行くお金も無いみすゞは、だんだんとやつれてゆきました。
 「・・これでは、娘共々倒れてしまう。」と、ここでようやくみすゞは、夫との離婚を決意するのです。
 しかし、離婚の話を呑んだ夫から、一つの条件を出されます。
 それは、「娘の世話は俺がする!・・娘を渡せ。」というものでした。
 「あの夫に娘を渡したら、きっと娘は不幸になる。・・しかし、こんな病弱の体の私にはとても育てられない。・・願わくば、娘は私の母に育ててもらいたい。・・しかし、今の法律では親権は夫にある。・・こうなったら、私は命を捨てて、それを夫に訴えるしかない!」と、自殺を決意するのでした。 
 つづく
 

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その9)

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 詩を書き、投稿し、好評を博す・・金子みすゞ女史。

 しかし、そんな平安な暮らしも長くは続きませんでした。
 それは、幼い頃に別れた実の弟[正佑(まさすけ)]の存在が原因でした。
 正佑は、みすゞを実の姉だとは知らず、恋心を抱いてしまったのです。
 又、みすゞも正祐のことが好きでした。
 しかし、実の弟と結婚するわけにはいきません。
 それで、弟を諦めさせる為に、みすゞは「私たちは、実の姉弟なのだ」と、真実を告げて、自分は不本意ながら、素行の悪かったお店の番頭と結婚することにしたのでした。
 こうして、弟は諦めますが、みすゞは幸せにはなれませんでした。

 『さびしいとき』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「私がさびしいときに、
 よその人は知らないの。
 
 私がさびしいときに、
 お友だちは笑うの。

 私がさびしいときに、
 お母さんはやさしいの。

 私がさびしいときに、
 仏さまはさびしいの。」

 つづく

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その8)

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又、金子みすゞには、宗教的視点で、宇宙と生命とを捉えたような、次のような詩があります。
 
 『蜂(はち)と神さま』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「蜂は お花の中に、
 お花は お庭の中に、
 お庭は 土塀の中に、
 土塀は 町の中に、
 町は 日本の中に、
 日本は 世界の中に、
 世界は 神さまの中に、
 そうして そうして、
 神様は
 小っちゃな 蜂の中に。」
 
 ・・余談ですが、後年、前ローマ法王が、この詩を読まれた時、「我々の何万人の神父によっても、これだけ判りやすく、明快に(お説教)を伝えはきれない。」と、涙を流して、感想を述べられたそうです。
 つづく

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その7)

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 やがて、金子みすゞは、児童雑誌『赤い鳥』などに、自分の詩を投稿し始めます。
 そして、彼女の詩は、たちまち著名人たちに認められ、みすゞは童謡詩人として、日本中にファンを増やしてゆくのです。 
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 みすゞの投稿する詩は、毎号、様々な童謡雑誌に掲載されました。
 その中で、西條八十が「この詩には、あっと言わせるような想像力の飛躍がある。」と、絶賛された詩を一つご紹介させて頂きます。
 『大漁(たいりょう)』という詩です。

 『大漁』(「金子みすゞ全集・Ⅰ」より)
「朝やけ 小やけだ 大漁だ。
 大羽いわしの 大漁だ。
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 浜では まつりのようだけど、
 海の中では 何万の 
 いわしの とむらいするだろう。」
 つづく
 

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その6)

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 金子みすゞが、女学校を卒業する頃、みすゞの回りの環境が大きく変わります。
 その一つは、母の再婚でした。
 下関で本屋を営んでいた母の妹が亡くなり、その後妻となったのです。
 又、みすゞの兄も結婚して、自宅に嫁が入った為、みすゞも母の後を追うかのように、下関の母の嫁ぎ先(つまり、みすゞの叔父の家)に身を寄せました。
 そしてみすゞは、その新天地[下関]で、小さな本屋を任され、そこの店番として働くようになったのでした。
 店番をしながら、みすゞは、空き時間に『童話』や『赤い鳥』などの雑誌を多く読み、詩作を深めていったのです。
 その中の一つに、『蓮(ハス)と鶏(トリ)』という詩があります。
 ご紹介しましょう。
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 『蓮と鶏』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「泥の中から 蓮が咲く。
 それをするのは、蓮じゃない。

 卵の中から 鶏(トリ)が出る。
 それをするのは、鶏じゃない。

 それに私は気がついた。
 それも私のせいじゃない。」
 つづく

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その5)

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 仙崎は、信仰の篤い町でした。
 町の中に、今でもたくさんのお寺があります。
 みすゞも子供の頃から、毎日、仏様に手を合わせていたそうです。
 又、自宅の二階が『歎異抄』という宗教書の勉強会場になっていて、みすゞもよく講義を聞いていたと伝わっています。
 みすゞに、次のような「お仏壇」を歌った詩があります。

 『お仏壇』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「お背戸でもいだ橙も、
 町のみやげの花菓子も、
 仏さまのをあげなけりゃ、
 私たちにはとれないの。

 だけど、やさしい仏さま、
 じきに、みんなに下さるの。
 だから私はていねいに、
 両手かさねていただくの。
 
 家にゃお庭はないけれど、
 お仏壇にはいつだって、
 きれいな花が咲いてるの。
 それでうち中あかるいの。

 そしてやさしい仏さま、
 それも私にくださるの。
 だけどこぼれた花びらを、
 踏んだりしてはいけないの。

 朝と晩とにおばあさま、
 いつもお灯明あげるのよ。
 なかはすっかり黄金だから、
 御殿のように、かがやくの。

 朝と晩とに忘れずに、
 私もお礼をあげるのよ。
 そしてそのとき思うのよ。
 いちんち忘れていたことを。

 忘れていても、仏さま、
 いつもみていてくださるの。
 だから、私はそういうの、
「ありがと、ありがと、仏さま。」

 黄金の御殿のようだけど、
 これは、ちいさい御門なの。
 いつも私がいい子なら、
 いつか通ってゆけるのよ。

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(金子みすゞ家の墓所:「遍照寺」さま)
 又、みすゞはよくお寺にお参りに行っていたようです。
 このようなお寺の法要の詩が残っていますので、これもご紹介しましょう。
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 『報恩講(ほうおんこう)』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「「お番」の晩は雪のころ、
 雪はなくても暗(あん)のころ、
 
 くらい夜道をお寺につけば、
 とても大きな蝋燭と、
 とても大きなお火鉢で、
 明るい、明るい、あたたかい。

 大人はしっとりお話で、
 子供は騒いじゃ叱られる。

 だけど、明るくにぎやかで、
 友だちゃみんなよっていて、
 なにかしないじゃいられない。

 更けてお家にかえっても、
 なにかうれしい、ねむれない。

 「お番」の晩は夜中でも、
 からころげたの音がする。

 つづく
 

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その4)

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 金子みすゞの故郷は、昔から[鯨捕り]の町でもありました。
 みすゞの父の実家の青海島では、捕った鯨を供養する『鯨法会(くじらほうえ)』という、法要が行われていました。
 それは、命を捕って生きる悲しみを、誰もが、深く心に留めておくためのものだったのです。
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(産まれる事が出来なかった、子鯨の供養墓)
 みすゞの、すべての命に対する愛おしさは、おそらく、幼き頃、母や祖母、そして父から聞いた[鯨捕り]の様子から生まれたものかもしれません。
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 『鯨法会(くじらほうえ)』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「鯨法会は、春のくれ、
 海にとびうお 捕れる頃、
 浜のお寺で鳴る鐘が、
 ゆれて水面をわたる時、
 村の漁師が羽織着て、
 浜のお寺へ急ぐ時、
 沖で鯨の子がひとり、
 その鳴る鐘を聞きながら、
 死んだ父さま、母さまを
 恋し、恋しと泣いてます。
 海のおもてを、鐘の音は、
 海のどこまで、ひびくやら。」
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(青海島[鯨資料館])
 つづく

紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その3)

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(再現された『金子文英堂』)
 ・・余談ながら、今年の夏、この紙芝居の主人公[金子みすゞ]さんの事を調べるために、山口県の仙崎まで行って来た。
 こちらは、今もゆっくり時間が流れているかのような穏やかな町であり、町中どこにいても海の匂いがした。
 又、信仰の篤い町ともいわれるように、たいへんお寺とお墓が多かった。
 この日、僕は汗をかきながら『金子みすゞ』さんの足跡を大急ぎで散策した。(一泊二日しか日が取れなかったので)
 ・・『金子文英堂』、『金子みすゞ資料館』、『金子みすゞさんのお墓』、青海島の「王子山」、みすゞさんの父親の実家の近くの『くじら資料館』と「鯨墓」などを回った。 毎回思うのだが、やはり、現地に実際、取材をするのとしないのでは、絵のタッチが違ってしまうような気がする。
 やはり、絵にも文にも、魂って宿るものだろうか?取材をした方が気持ちが籠るような気がするから不思議だ。
 以上、余談終わり。
 さて、金子みすゞさんのお話の続き。
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(お店の中)
 みすゞは、頭の良い子に育ちます。
 学校では、常に優等生であったそうです。 
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(2階のみすゞの部屋)
 そして、たいへん感受性豊かな少女で、お話を作ったり、詩を書くことが得意でした。
 彼女の心の優しさを表す詩に、次のようなものがあります。
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 『わたしと小鳥と鈴と』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「わたしが両手を広げても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地べたをはやく走れない。

 わたしが体をゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴はわたしのように、
 たくさんな歌は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それからわたし、

 みんな違って みんないい。」

 ・・この世の中にあるものは、何一つ同じものはない。
 だからこそ、みんな尊く素晴らしい!・・と、歌っているようですね。 
 つづく
 

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