住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「妙好人 念仏詩人 浅原才市さん」(その3)

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そして、才市さん25歳の時、一つ年下の[セツ]さんと結婚し、一人娘を儲けます。
 ・・が、しかし、貧乏で生活が苦しい為、才市さんは一人九州へ『船大工の出稼ぎ』に出る決心をします。
 そのころの才市さん、唯一の詩です。

 『三十一まで、何が偉うなった。
 小猿のような知恵ばかり。
 小猿のような はからいやめて、南無阿弥陀仏を言うばかり。』

紙芝居:「妙好人 念仏詩人 浅原才市さん」(その2)

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 やがて、才市さんは20歳を過ぎ、一人前の船大工に成長します。
 しかし、悪い大工仲間に誘われ、[賭博場]で博打を打っている所を警察に見つかり、短期間ではありますが、留置場に入れられることになりました。
 本来、気が弱くまじめな性格であった才市さんでしたので、この事件は大変ショックなことでありました。
 「こんなことをしていたら、自分がダメになる」と反省し、この後、熱心にお寺参りをするようになったのです。
 つづく

紙芝居:「妙好人 念仏詩人 浅原才市さん」(その1)

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妙好人というのは・・、
 言葉では言い尽くせない程の、すばらしい念仏者のことです。
 石見(いわみ)[今の島根県大田市]の『浅原才市(あさはらさいち)』さんも、その一人です。
 江戸時代の終わり頃(嘉永三年)、に生まれた才市さんは、初めは[船大工]をし、そののち[下駄職人]として、一生を過ごされました。
 才市さんは思い立てば、仕事中でも「かんなくず」などに、仏さまを想った『詩』を書き綴り、それを十八年間続けられました。
 その数、九千首とも云われています。
 その晩年、町の絵描きさんが、才市さんの肖像画を描いた時、「これは私じゃない。良い顔過ぎる!・・角(つの)を描いておくれ。私は人を憎んだりする浅ましい人間だから・・。」と言った、話が伝わっています。
 それでこのように、才市さんの絵には「つの」があるのです。
 そんな、才市さんまお話を聞いて頂きましょう。
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 浅原才市さんの両親は、訳あって、才市さん11歳の時、離婚しました。
 母親に引き取られた才市さんでしたが、やがて母親は再婚し、才市さんは一人、船大工の親方の所へ奉公に出されました。
 又、父親はその後僧侶となり、一人墓場の隅に小屋を建て、孤独に暮らしました。
 幼くして、両親と別れて暮らさねばならなかった寂しさや、そんな両親への恨みの気持ちなどを引きづりながら、才市さんは成長してゆくのでした。
 のちに、その時の気持ちをこのような懺悔の詩にしています。
 『ゆうも、ゆわんもなく、おやが死ぬればよいとおもいました。
 なして、わしがおやは、死なんであろうか、と思いました。
 この悪業 大罪人(才市)が、いままで ようこれで、今日まで 大地がさけんとこに、おりましたこと。』 つづく
 

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た」(その7:最終回)

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僕は仏さまから[三つのご縁]を頂いたと思っている。
 一つ目は、「突然の講師依頼の電話」。
 二つ目は、「本願寺職員さんの機転。~救急車を呼びましょう!」。
 そして三つ目が、「娘に電話がつながった」。
 と、いうことだった。
 
 ・・やはり、僕は仏さまはいらっしゃると思う。
 目には見えなくても、仏さまはいつも側で見守って下さっているのだということを感じたのだ。
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 そして、「有り難いことだなぁ」と、感謝のお念仏の意味を、身をもって解ったような気がする。
 
 短い話ではあったが、ここまで、この紙芝居を読んで下さった皆さんがいること、・・これも『仏さまから頂いたご縁』だと思って感謝致します。合掌 南無阿弥陀仏。
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 [おまけ]
 国立循環器病センターのホームページから、『チェック!FAST!』より、転載

 何かへん・・おかしいな・・もしかして、脳卒中⁉

 F・・FACE[顔]
 顔の片側が下がる。ゆがみがある。(うまく笑顔が作れますか?)
 A・・ARM[腕] 
 片側に力がはいらない。(両腕を上げたまま、キープできますか?)
 S・・SPEECH[言葉]
 言葉が出てこない。ろれつが回らない。(短い文が、いつも通りしゃべれますか?)
 T・・TIME[時間=発症時刻]
 以上、一つでも症状が出ていれば、脳卒中の可能性が大です。
 「救急車は大袈裟よね・・」、「とりあえず、様子を見ましょう。」は、ダメ!
 症状に気づいたら、発症時刻を確認して、すぐに119番を!

 おしまい
 

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た」(その6)

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・・こうして間もなく、家内も間に合い(四時間に渡る)僕の手術は始まった。
 この緊急事態に、本願寺(北御堂)職員さんが、娘の電話番号を探し出して下さった一件は、本当に不思議だと後で思った。・・正に[命の恩人]だったと思う。
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 「宮本っさん!」、「宮本っさん!」。
 僕は『なんとうるさい人達だろう・・』と目を開けると、そこには、白衣のドクターたちが五人。
 「・・あー、良かった。手術は大成功ですよ。」と、ドクターは言って下った。
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 こうして、有り難い[ご縁]がいくつも重なって、僕は回復することが出来たのだ。(・・まだリハビリ中ですが。)

 ・・確かに、『なぜ、自分がこんな目に遭わねばならないのか⁉』と思ったことも事実だ。
 が、今は、今回の体験を『仏さまからのご縁』だと受け取り、(脳卒中の怖さを、そして予防を)皆さんにお伝えすることが、僕の使命なのだと思っている。 つづく

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た」(その5)

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これは後で聞いた話なのだが・・、
 僕の手術の用意が進んでいるのも関わらず、本願寺職員さん達は手術室の横で、
 「ダメです。ご家族に連絡が捕れません。」と焦っておられた。
 お寺は留守番電話で、妻は仕事に行って留守だったのだ。
家族の[同意サイン]がないと、手術できない。
 「・・どうすることもできないのか」と思われた時、[三つ目]の仏さまのご縁が起きた。
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 一昨年、僕と[娘]は、本願寺津村別院が主催する『和歌山県台風被害地ボランティア』に参加した。
 その時、参加した者は、各個人の[携帯電話番号]を安全管理の為、[津村別院]が、控えておくことになっていた。
 それを、この瞬間に一人の本願寺職員さんが、思い出して下さったのだ。
 そして、職員さんは別院にすぐ電話して、娘の(携帯電話番号)を調べだし、
 そして、娘に電話を掛けてくださった。
 間が良く、娘はこの日、バイトが休みですぐに電話に出てくれた。
 そして、びっくりした娘はお婆ちゃんと一緒にタクシーで、病院まで飛んで来てくれた。
 まったく、[間が良い]というのは、こんなものかもしれない。
 いや、やはり[仏さまとのご縁]だったのか。
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(まさか、二年後に役に立つとは思わなかった、和歌山県台風被害地へのボランティア、の写真)
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(その時の娘写真)

 こうして、手術は(無事に)始まった。 つづく

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た」(その4)

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 僕は、生まれて初めて救急車に乗った。・・たいへん貴重な体験だと思った。
 この時、意識はまだはっきりあって、「救急車って速いもんやなぁ。信号無視もオッケーなんやろな。速いわー」と、(目が回りながらも)感じた事をはっきり覚えている。
 (まだこの時、こんな他人ごとみたいに感じていたのだ。)
 ・・しかし、この時、本願寺職員さんの「救急車呼びましょう!」という言葉が無かったら、僕は今頃、こんな風にのんきにブログを書いてはいられなかった。
 ・・それは脳内出血が、進んでいたからだ。
 原因は、慢性疲労と高血圧が、血管破裂の要因だということだった。
 この『本願寺職員さんの言葉』が、[仏さまからの二つ目のご縁]であった。なんせ、一分一秒を争うことだったからだ。 
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 救急車は、すぐ近くの[大阪警察病院]に入り、脳の写真を撮った。
 そして、「・・これは、すぐに手術をしたら、大丈夫や。」という、僕の耳元でドクターたちの会話が聞こえた。
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しかし、一方、病院まで付き添ってくれていた本願寺職員さん達は、あせっておられた。
 つづく

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た」(その3)

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 ・・講演は、どうにか無事に終えことができた。
 しかし、控え室に帰って来た僕は戸惑った。
 身体が、船酔いのように揺れているのだ。(脳に血があふれるとは、こうゆうことになるのだ!)

 「・・疲れているんや、早く帰ろう。」と思い、必死に荷物をカバンに詰め込んだ。
 そして、本願寺職員さんの出された[謝礼]の領収書に、サインをしようとしたのだが、手が震えてそれができないのだ。
 僕はそれでも、左手で右手を抑えながら、なんとかサインをした。
 その様子がおかしかっただろう。
 職員さんが、無理やり僕を椅子に座らせ、「宮本っさん救急車をよびましょう!」と言われた。
 僕は心中、『そんな大層な⁉』と思ったのだが、もう、まったく口に出せなかった。
 ラッキーなことに、会場の前が、消防署で二・三分ぐらいで救急車はすぐに来た。
 そして、三分ぐらいの所にある救急病院へ運び込まれた。
 これも、幸運なことであった。
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 つづく

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た~」(その2)

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 3月4日・・、
 僕は会場へ紙芝居法話を演じに、いき揚々と向かった。
 会場は大ホール。
 約800人で満員だった。
 午後3時から4時までが僕の持ち時間。
 この日はやけに喉が渇いた。又、スポッとライトが明るく感じていて、何度もミネラルウオーターを飲んだのを覚えている。
 そして講演は30分が経ち、2本目の紙芝居に移った。
 僕は「何やら、今日は舌が滑らかじゃないなぁ。」と感じていた。
 のちのドクターの話によると、ちょうどこの時、脳内出血は起こっていたという事だった。
 つづく

紙芝居:「仏さまからの三つのご縁~それは突然にやって来た~」(その1)

 この紙芝居はすべて実話である。
 僕の記憶違いは多少あるかもしれないが・・、まだ、記憶が生々しい時に病院の中で描いた。
 それでは、[入院三部作]の最終章を見て頂くとしよう。
 はじまり、はじまり~。
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 みなさんは、仏様って信じはりますか?
 では、仏さまの存在を身近に感じたことありますか?
 私はあります。
 なぜかって・・?
 それは、私の個人的体験から、聞いて頂くしかないのですが・・。
 それでは、その話を聞いて頂きましょう。

 平成26年3月4日、それは何の前触れもなく、突然やってきた。
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 ・・話はその前日から始まる。
 それは3月3日の夜、大阪の「本願寺津村別院」から、突然、電話があった。
(本願寺職員)「あの~、宮本っさん。急なことなんですが、助けてもらえませんか?
 実は明日、天王寺区の[クレオ大阪ホール]で、仏教婦人会があるんですが・・、講演を頼んでいた講師の先生が、インフルエンザになられて・・。
 それで、ピンチヒッターを宮本さんに頼もうかと・・。
 明日の午後、空いてませんか?」
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 「何とかしましょう!」
 と、僕は調子にのって二つ返事でお答えした。
 だが、後で考えると、これが生死を分けた、不思議な[三つのご縁]のはじまりだったのである。
 
 その一つ目が、この突然の講師の依頼であった。
 つづく
 

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