住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その1)

 世の中、マスク、マスク、マスク。ああっ、めんどくさい!・・でも、マスクは命を守る大切なアイテム。
 これは、マスクと一人の博士の成功と挫折のお話です。
 はじまり、はじまりー。
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 今から100年程前のお話。
 アメリカ人、ウイリアム・C・ハスラー博士は、医学者であり、サンフランシスコ市保健委員会委員長でした。
 彼は史上最悪のインフルエンザと呼ばれた[スペイン風邪]に対して、史上初となる『市民マスク着用条例』を発令。
 そして、違反する者は「逮捕します」と発表しました。
 そして、その患者数を半減させる事に成功しました。
 これは、スペイン風邪という感染病と戦った、ハスラー博士とマスクのお話しです。
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 1918年、春。第一次世界大戦の最中。
 ヨーロッパ戦線で、人類の新たな脅威、『スペイン風邪』という感染病が、蔓延しようとしていました。
 戦場では狭い塹壕の中、多くの兵士がひしめき合い、インフルエンザは一気に広がったのでした。
 さらに兵士の移動により、わずか四か月で世界中に拡散されていったのです。
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 ここ、アメリカのサンフランシスコでも、1918年の9月、最初のインフルエンザ患者が発生するや、感染拡大の兆しを見せていました。
 このサンフランシスコの危機に立ち向かったのが、予防医学と衛生学の専門家で、市の保健委員会会長を務めるウイリアム・C・ハスラー博士でした。
ハスラー博士は、ワクチン接種を進める一方、他にも対策として、娯楽施設の閉鎖など行いました。
 そして第三の策として、当時、一般市民に馴染みの無かった[マスク]の着用を訴えたのでした。 つづく

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その6 最終回)

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 メアリー・マローンは、再び隔離島[ノース・ブラザー島]に、拘束されることになった。
 この島でその後、彼女は亡くなるまでの23年間を過ごすことになる。
(※余談ながら、この島は東京ドームの約1.3倍の小さい小島でで現在は無人島になっている。この島からニューヨークの街並みがはっきり見える。‥メアリーは何を思いこの街を眺めたであろう⁉)
 最後の救いは、本来勤勉でまじめな彼女が、島の病院内で医療関係者から信頼を得て、給料をもらいながら生きがいを得て院内で働き過ごせることになったという事であろう。
 その後、メアリーは62歳で脳卒中を発症し倒れ、69歳でこの島の病院で肺炎の為に亡くなったそうである。
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『チフスのメアリー』という名は、その死後も「純粋な悪の化身」、又は「無垢の殺人者」と言う意味の言葉になって、今も独り歩きしている。
・・・これは100年前のお話。
 が、『チフスのメアリー』のような、無症状感染者になる可能性は誰にでもある。
‥メアリーは好んで病気になった訳ではない。
 がしかし、彼女は自分がチフス菌を持っていると分かった後も働き続け、多くの人を感染させて、結果的に苦しみをもたらせた。
 その行動は安易で、今日でも批判されている。
(きつい言い方になるが)自分の欲を優先し、周りの迷惑を省みなかった彼女の弱さは、今日の私たちも気を付けねばならないだろう‥。 おしまい

(あとがきにかえて)
 先日とある新聞で、メアリー・マローンは『毒婦』や『悪女』と今でも呼ばれているらしい‥と書かれていた。
 が、果たして、彼女は本当に悪女だったのだろうか⁈
 この紙芝居を描きながら、ずっとメアリーの気持ちを考えてきた。
 僕は『悪女』ではなく、一人の『弱女』のような気がしてならない。
 ‥確かに、フォークを持って衛生士や警官相手に立ち回りもする気の強さはあったであろう。
 しかし、追い込まれれば誰でも抵抗はするだろう。
 又、(うすうす自分では感づいたと思われるが)、チフスと自分とが何らか関係し、その発生場所からそっと姿を消し続けるという行動はまさに心の弱さを感じてしまう。

 そして、その彼女の弱さ、悲劇を助ける、つまりメアリーには夫(又は恋人)や仲間が居なかったのだろうか⁈ 又、裁判の時の弁護士はどうなったのか?と思って調べてみた。
 これは、どちらも居たらしい。が、それは夫ではなく恋人であったらしいが、どちらも(恋人も弁護士も)早死にしてしまったのだそうだ。何という悲劇!
 メアリーが再び、又[調理の仕事]に戻ったのは、その仲間の死の寂しさが原因ではなかったのだろうか?
 ・・答えは見つからないが、彼女が(料理のたぐいまれな才能を持ちながら)辛い人生を送らざるを得なかったことを考えると、悪女にはとても思えず、どこにでもいる一人の女性の悲劇と思うのだ。

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その5)

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隔離されて三年近く過ぎた。
 裁判にも負けたメアリーだったが、[衛生局]の中にも彼女に同情する声があり、
『今後、一切[料理]の仕事をしない。そして居住地をいつも明らかにしておく。』という、二つを守れば解放しても良い、という[誓約書]が出された。
 メアリーは、その誓約書にサインをした。
 そして彼女は、三年ぶりにニューヨークの街に帰ることが出来たのだった。
 ・・それから、五年が経った。
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 ある日、ニューヨークのとある産婦人科病院で、腸チフスの集団発生が起きた。
 医師・看護師など、医療スタッフ25名が感染し、内2名が亡くなった。
 事態を重く見た[衛生局]は、調査に乗り出した。
 「チフスは出来るだけ早く、感染源を突き止める事が大切です。‥新しく入ったという料理人はいませんか⁈」と、以前、メアリーを捕えた女性の衛生士が、病院の調理室に入ってみると・・・、
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 なんとそこには、名前を変えて、調理しているメアリーがいたのだった。 
 「メアリー!あなただったの⁉でもなぜ、誓約書までサインしたのに‥⁉」
 「あー、見つかってしまった。
 ・・私も最初は、洗濯ばかりの仕事をしたの。でも、生活が苦しくて、苦しくて・・。私には料理しかなかったのよ・・。」
 そして、その場で彼女は拘束され、再び、隔離病棟の島に送られることになったのである。つづく
 
 

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その4)

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そして[衛生局]は、強制的にメアリーの排出物を検査した。
 すると、便からかなり濃度の高い『チフス菌』が検出されたのだった。
 そこでメアリーは、ニューヨークに近い川の中ほどにある小さな無人島(ノース・ブラザー島)に作られた[リバーサイド病院]に隔離された。
 そこで彼女は、不本意ながら3年近く、隔離生活をして過ごすことなるのだった。
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 その隔離生活の中、彼女は[衛生局]を相手に「不当な扱いを受けている!」と、起訴裁判を起こした。
 ・・が、結果的にこの裁判には負けてしまう。
 さらに、新聞記者などのインタビューにも応えたりする。
 がしかし、1909年、『ニューヨーク・アメリカン』紙は、このメアリー事件をセンセーショナルに報道する。
 そこには、「アメリカで最も罪が無いとはいえ、最も危険な女」と書かれ、料理に骸骨を入れて平然と料理をしているメアリーの姿が描かれていたのだった。
 『チフスのメアリー』はアメリカ大衆に、この記事によって強烈なイメージを与えたのである。 つづく
 

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その3)

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そこに気がついた一人の衛生士がいた。
 名前を[ソーパー]といった。
 ソーパー衛生士は、「・・勤め先の家族全員がチフスにかかっているのに、なぜ?いつも彼女だけが感染しないんだ?・・ひょっとすると、彼女はチフス菌の保菌者で、料理によって皆を感染させていたのかもしれん・・。メアリー・マローン。一度、調査してみるか?!」と思った。
 そして、彼女の職場を訪ねた。
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「ごめん下さい。私は衛生局から来た『ソーパー』というものです。
 ひょっとすると、あなたはチフス菌の健康保菌者かもしれません。
 調査の為に、あなたの尿と便を頂きたい。」と、突然やって来て尋ねたものだから、メアリーはパニックになった。(・・余談ながら、まだ検便・検尿など無い時代です。)
「なんですって!?私の尿や便が欲しい!この変態オヤジ!帰れ!」と、怒り狂い[肉刺しフォーク]を振り回して、追い返した。
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そこでソーパー衛生士は、次に女性の衛生士を派遣することにした。
 しかも、前回のことがあったので、警官を数名ボディガードにつけての派遣であった。
 案の定、メアリーは暴れて抵抗した。
 が、最後は警官に押さえつけられ、救急車で病院まで連れて行かれた。
 この時、メアリーは37歳。
 1907年の事であった。 つづく

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その2)

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そんなある日のこと。
 メアリーは風邪のような症状が出て寝込んでしまった。
「ゴホッゴホッ、いやだわ。どこかで風邪をうつされたんだわ。‥丈夫なだけが取り柄の私なのに・・、早く治しましょう。」。と彼女はしばらく休んで、又職場に復帰した。
 それから、10ヶ月ほどして・・、
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 ある日、同じ職場の家政婦が突然倒れた。
 病名は『腸チフス』だった。
 その同僚はすぐに仕事を辞めさされた。
 
 その頃、ニューヨークでは、毎年3千人から4千人の『腸チフス』の患者が出ていた。
 腸チフスは、サルモレラ菌によって感染者の便や尿から何らかの形で汚染された食べ物から発症するといわれていた。
 その症状は、高熱や腹痛などで、命などにも関わる。
 メアリーは怖くなって、その仕事場を辞めて、次の職場を探した。
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そして、次にある弁護士の家で働くことになった。
 がしかし、そこでも又チフスが発生し、一家9人のうち7人まで発症した。
 メアリーは、その家でも献身的に看護し、家族みんなから感謝された。
 ・・が、しかし、彼女はやがてその職場も辞めて、又違った仕事場に移った。
 こうして、メアリーは1900年から1907年にかけて、勤め先を転々とする。
 が、どこの家でもチフスが発症し、彼女だけが無事だった。 つづく

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その1)

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今から100年ほど前のお話。
 アメリカのニューヨークに『チフスのメアリー』と呼ばれた女性がいた。
 彼女は善良で勤勉であった。
 が、彼女は自覚症状の無いまま、周囲に[腸チフス]をうつして感染者を増やした。
 その数、47名。内3人が亡くなった。
 新聞は『アメリカでもっとも危険な女』と書いて報道した。
 ・・これは無症状であるがゆえに、多くの人に病いを移してしまった一人の女性のお話です。
 はじまり、はじまりー。
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 彼女の本名は、メアリー・マローン。
 ヨーロッパはアイルランドの出身。
 貧しさゆえに1883年、家族でアメリカ・ニューヨークに渡って来た。
 彼女は料理が得意だった。 
 それで、自然と彼女は大人になると、お金持ちの家の家政婦となり、料理代行を任されるようになっていった。
 本来マジメな彼女は、雇い主からも信頼され、貧しいながらもそれなりに、幸せな人生を送っていたのだった。つづく

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その7 最終回)

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 オレはお上人の葬儀に参列させてもらった。
 この後、オレのすることはただ一つ・・。
 「お上人、上人にお育ていただいたこの蓮崇。すぐに私も上人の居られるお浄土に参ります。お待ちください!」と。
 こうして、オレの栄光と挫折の数奇な人生は終わりをつげた。 おしまい
 
 [終わりに]
 僕は蓮崇が好きだ。
 自尊心が強くて、ズルくて、努力家で、船からほり出される間抜けさがあって、涙もろくて、一途で、すべて共感できてしまう。
 だから、この紙芝居を作った。
 それと、最後の蓮崇の切腹は僕のフィクションです。
 蓮崇なら、こうすると思ったので、こう描きました。
 事実、蓮崇は蓮如上人が亡くなられてから、すぐに亡くなっている。
 蓮崇を味わうために、北陸に二回行って調べた。が、わからない事だらけだった。最後に、僕は「もうちょっと、真宗教団は蓮崇を大事にしてあげても良いのになぁ」と思う。もう、ちょっとだけ!

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その6)

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あれから24年が経った。
 蓮如上人は、北陸を離れられても勢力的に布教して、活動されたらしい。
 そしてやがて、京は山科という所で病に倒れられた。
 上人は床の中で、しきりにオレの事を思い出されたらしい。
 「蓮崇は今、どこにおる?・・蓮崇を許してやろうぞ⁉」と蓮如さまは言われた。
 すると、そこにいた門弟たちは、一斉にオレの悪事を並べて、「許すなど、とんでもない事⁉。又、蓮崇との面会なども考えてはいけません」と。
 そう、オレは蓮如上人とお会いしたくて、京都まで行き、一目お会いしたいと門弟に頼んでおったのだ。
 蓮如上人がオレの悪口を、門弟からさんざん聞かされた後、こうおっしゃれたそうだ。
「お前たち、それがいかんのだ!・・何と嘆かわしい事を言うのだ。‥こころさえ改めるなら、どんな者でも救うというのが、仏の本願ではなかったか⁈・・どうしようもない者を許していくところが、わが宗旨の面目があるんじゃなかったか⁈‥蓮崇を探しだして呼んでまいれ。」と。
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 こうして、北陸でお別れしてから、24年ぶりにお上人にお会いすることができた。
 お上人のお顔を見た瞬間、オレの目から涙が猛烈にあふれだした。
「お上人⁉お会いでき、かたじけない事でございます。・・あぁ、お許しください!お上人、私は私は・・」ともう後は涙で何も言えなかった。
 「蓮崇、破門を許す」と、お上人は一言、目に涙を浮かべておっしゃられた。
 それから、五日目、蓮如上人は御往生された。つづく

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その5)

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蓮如上人は驚いて言われたそうだ。
「何!わしが百姓たちを扇動しておるとっ⁉そんなことは一言も言っておらん!・・・えっ何、蓮崇が『わしがそう言った』と吹聴しておると。・・・うーん、蓮崇・・、蓮崇は破門じゃ!」と。
 そして、上人は一揆が大きくなるのを恐れて、その日のうちに北陸を船で脱出された。
 もちろん、オレにも言い分はあったので、船に隠れてついて行こうとしたが、見つかって頬り出された。
 オレは叫んだ。
「お上人さまー!私は本願寺教団発展のために、つい嘘をついてしまったのです!・・私もお連れくださーい!」と。
 がっ無駄であった・・。
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 そして、何もかも取り上げられて、オレは教団を頬り出された。
 反省しても無駄であった。
 ・・それからオレはあちこちと歩き回って、どうにか生き延びた。
 そして、いつしか24年間が経とうとしていた。
 つづく 

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