最近、お寺に子供達がよく遊びにやって来る。
きっと一つには、遊ぶ場所が少なくなったからであろう。(うちトコのような田舎でもこうなんだから、都会はもっとひどいに違いない。・・又、黄砂や花粉の影響もあろう。)
で、昨日も僕が留守の間に子供達がやって来たそうだ。
そんな時は、(仕事が休みなら)妻が子供達のお相手をしてくれている。
「子供達は、いったい本堂で何をしてるの?」と、昨日、お参りから帰って来た僕が聞くと、
妻は「うーん、まずはご本尊にお参りしてるは。お父さん(僕)が教えた通りのことやってるよ。・・ちゃんと座って、お焼香をして、思いっきり鐘を鳴らして・・、これは「お父さんが『思いっきり鐘を鳴らしてもええで!』って、一番最初に言うたからそうやってんねんで。子供は最初に教えた通りに覚えるんやから。・・鐘が割れたらお父さんのせいやで!(なんでここで僕が怒られなあかんねん。とんだとばっちりやで。)・・それから、すべての掛け軸の祖師さんに手を合わせて、・・その後、好きなように本読んだりして勝手に遊んでるわ。・・ああそうそう、黒板見てきて。住職と私の姿を描いてくれてるわ。『お寺さんの似顔絵や』って言うてたよ。結構上手に描いてるよ。」と言うので、
黒板を見てきたら、ほんま上手に描いてあった。
ちなみに、真ん中が僕で、作務衣を着て笑ってる様子だそうだ。その横が妻で、ちゃんと(Mちゃん自身の)自分の絵も描いていた。
僕が作務衣を着ている姿なんて、ちゃんと子供は見ているんだなと、改めて感心してしまった。
ちゃんとバレンタインデーのお返しのお菓子も、今日買っといたから、今度遊びに来た時に渡すわな。
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お寺さんの似顔絵
西本願寺「念仏奉仕団」に行って来ました
(西本願寺)
昨日、おとといと〔一泊〕で、京都:西本願寺へ、近隣のお寺(石川南組)の(僧侶・坊守・門信徒〔46名〕)希望者が揃って、『念仏奉仕団』に行って来た。
『念仏奉仕団』というのは、簡単に言うと『西本願寺の清掃奉仕』である。・・つまり、本願寺へお掃除に行くのだ。
(御影堂)
ただのお掃除というなかれ、既に50年の歴史があり、全国からこの日も、130名近くの愛山護法に燃えた門信徒の方たちが集まり、清掃奉仕に汗をかいた。(ちなみに僕はサボっていたので汗はかかんかった・・です。写真を撮ってました)
又、お掃除だけではなく、国宝の『飛雲閣』や『書院』などの拝観などもさせて頂けるので、結構内容の充実した日程になっている・・と思う。
(飛雲閣)
又、個人的には、他のお寺の門信徒さんや近隣寺院の住職・坊守さんと交友を温めることができて楽しかった。
まぁ、いろいろと〔大=荒れる住職の登場、中=団長の途中帰国、小=バスの遅刻〕などと、(様々なハプニングが起こったが・・・これ以上よう書けんわ〔笑〕)、結構刺激が色々とあって面白かったです。・・でも、ああっ疲れたべ。 称名
第八回 東部仏教会講演会

おととい、富田林市市民会館(中ホール)で、第八回東部仏教会講演会が行われた。
これは、二年に一回の割合で(富田林市・太子町・河南町・千早赤阪村の61ヶ寺の)超宗派のお寺が協力し合って行う記念イベントである。
現在、僕はこの会の幹事(世話役)に当たっている為、企画段階から参加させて頂いている。
(丸田恵津子さま)
さて、今回のイベントのテーマだが、音楽と語りで、檀家の皆さまに安らぎを感じて頂こうという事になり、前半は、アルパ(パラグアイハープ)奏者の〔丸田恵津子〕様に、民族音楽や日本の唱歌などを演奏して頂く。(素晴らしい音色でうっとりしてしまいました。)
(角淳一さま)
そして、後半は、現在フリーパーソナリティーの〔角淳一〕様に、『笑って楽しく生きていく』というお題で、一見、波乱万丈のご自分の人生を、面白可笑しく(又ゆるく)お話して下さり、満員の会場は爆笑に包まれた。
とても、素晴らしい講演会になったと(僕は)感じたのだが、さて、来客の皆さまはいかがだったであろうか・・?
デイサービス「やまぼうし」&「あすなろ」さんへの出前
(デイサービスやまぼうし)
先ほど、富田林市にある「デイサービスやまぼうし」さんへお寺の出前に行って来た。
こちらの「やまぼうし」さんのお隣に、もう一つ姉妹施設(こちらが本家か?)「あすなろ」さんというデイサービスセンターが在り、今日はこちらで、合同の『ひなまつり会』&『出前法話会』が開かれたのである。
センターに入った瞬間、僕はまず凍ってしまった。
それは皆さんが、きちんと整列して(まるで、ひな壇のように〔笑〕)こちらを向いて、座っておられたからである。
おもわず僕は愛想笑いをして、「・・こんにちは、失礼します。・・オジャマします。こんな格好ですんません」と、こそこそと侵入した。
そして、喋り出すタイミングを完全にはずした僕は、紙芝居をセッテングしながら、いらん事をぐたくだ喋り、自己紹介に移っていった。(まぁ、なんとか始めることができましたわ)
そして、紙芝居と質疑応答の時間を(なんとか)終えて、ホッと一息、おやつタイム。
明るく元気なお年寄りの方たちと、美味しいひな祭りケーキを頂いた。
今日はいつもに比べて、(喋り出すタイミングを失った為、頭が混乱し)早口になってしまいました。
ご無礼の壇は、本日のひなまつりの『雛壇』に飾らして頂いたということで、ご容赦を。ありがとうございました。合掌
社団法人 大阪中国帰国者センターへの出前
昨日、大阪市東淀川区にある『社団法人 大阪中国帰国者センター(井高野交流クラス)』へ、お寺の出前に行って来た。
そもそも、このセンターは、どのような目的で設置されているのか? それをこちらのホームページから(勝手に)抜粋しながら説明させて頂く。
《設置目的》
中国残留邦人の肉親探し、帰国援護、日本語教育、生活相談等を行うことにより、(帰国者の皆さんの)社会的自立、又福祉向上を図ることを目的としている。
又、その他の地域支援事業のプログラムとして、日本語再学習やパソコン教室なども開講している。
・・それでは、この文章に記載されている『中国残留邦人』とはどのような御方なのか?・・もうちょっと説明します。
《中国残留邦人とは?》
戦前、中国東北地区(旧満州地区)には、多くの日本人開拓団が存在していた。・・が、ソ連軍の対日参戦によって、多くの成人男子が日本軍に参戦し、後に残されたのは、老人・婦人・子供が主体となる。
やがて敗戦となり、これらの残された(老・婦・子の)日本人達は、居住区を追われ、避難する途中、或いは酷寒の難民収容所の中で、飢餓や伝染病によって多くの命が失われることになる。
このような状況の中で、生活手段を失い、中国人の妻となるなどし、中国に留まったご婦人や、又、家族と生き別れ死に別れで孤児となり、中国人に引き取られ、身元の解らないまま今日を迎えた人々を《中国残留邦人》と呼ぶのである。
こちらのセンターでは、上記に説明したような中国からの帰国者邦人の方の「交流会・学習会」を行うのである。
(通訳をして頂いてます)
前書きが長くなったが、こちらのセンター職員さんから僕に、「日本の歴史・文化を知る為には、仏教(寺院)を学ぶことが、一番の手っ取り早い方法だと思うのです。・・しかし、それはとても難解なことでもあります。そこで、紙芝居を使って(仏教を解りやすく)話されると貴方に、白羽の矢が(こんな表現はされてないが〔笑〕)当たりました。・・で、出前に来て下さい。中国語訳をする助手も付けさせてもらいますので・・。」と、いうことで、今回の出前訪問となったのである。(・・あ~~、ここまで書くのがなんと長くなったことか。後は流します。)
と、いうことで、僕は(前半は)通訳つきで、各宗派の祖師方の生涯を簡単に説明。(空海師、最澄師、道元師・・エトセトラを説明してゆくと、聴衆の方から「なんや、みんな中国に行って学んだんや!」と(これも通訳を通して)感想が出た。仰るとおりでございます。〔笑〕)
そして、中ほどは、中国でも有名なお話「そんごくう」などを『紙芝居』で演じた。(皆さん、僕が演じている最中でも、中国語であーだこーだと(笑顔で)大変饒舌に会話が弾んでおられた。懐かしかったのかなぁ。・・でも紙芝居は通訳つきなので、いつもの倍の時間が掛かったわ。)
そして、後半は、質疑応答の時間。(こちらも、「なぜ、お線香を焚くのですか?」とか、「お焼香は何回するのが正しいのですか?」とか、お葬式の時の作法を中心とした質問が多かった。)
(記念写真)
そして、最後は皆さんと一緒に「記念写真」。僕もたいへん良い勉強になりました。
中国帰国者邦人の皆様、職員さま、通訳さま、大変お世話になり有難うございました。
最後の皆さんの言葉、「今、口にはしませんが、尖閣諸島問題が起きて、日本と中国の二つの祖国を持つ私たちは、大変心が苦しいです。・・何か私にできることがないかを考えてもいるのですよ。・・はやく解決して欲しいです。」と云われたことが、今も心に深く残っている。合掌
「これも食べてや、あれも食べてや!」と言われても・・
今日、月参りに行って来た所は、お婆ちゃん一人のお家。
勤行が終って、お茶を頂き、「さぁ、帰ろう・・」としたら、そこのお婆ちゃんが突然、「あっ、忘れてた」と言って立ち上がり、奥の部屋から、大きなクッキーの箱を持って来られる。
それはまだ新品の箱で、お婆ちゃんは「私、先月入院してたでしょ。それで、お菓子をたくさんお見舞いに頂いたのやけど、私は甘いものが好きじゃないんよ。院主さん、食べてよ。」と言って、お盆に一杯クッキーを握り出される。
僕は「そんなに食べれないですよ。・・他の方に差し上げて下さい」と言うと、
「院主さんは、若いのやから食べれるでしょ。これも食べて、あれも食べて」と言って、まだクッキーを握り出され続ける。
僕は「無理っ、無理っ、無理っ、無理ですって。食い意地の張った僕でも無理です!」と言って、負けずに箱に返す。
しかし、相手はそんな事にお構いなく、「じゃ、袋持って来ますから持って帰ってよ」と言われ、今度はスーパーのビニール袋を手に又、がばっとクッキーを入れられる。
僕も、又「無理、無理、無理、無理っ」と言って、袋から握り返して箱に直す。
いつしか、クッキーは形を変えて無残な姿になっていくのだが、そんなことにもお構いなく、お婆ちゃんは「じゃ、これで折り合いつけましょ」と言われ、クッキー二(ふた)握りというとこで、交渉は成立し、今僕は形の変わったクッキーをほおばりながら、このブログを書いているのでありました。
こんな事になるのやったら、箱ごと貰えば良かった。・・でもそんなこと、こっちから言われへんしなぁ・・。
実は、仕事が溜まっていて、こんな事書いてる場合じゃないんやけど、ちょっと面白かったから書いてみました。終り
ヤク〇ト青年との再会
今日、自転車に乗ってのお参りの帰り、もうすぐお寺に着くという時、後ろから大きなバイク音がして、大きな影が猛然と追い掛けて来た。
「こら、やばいわ、引ったくりやろか?!早よ逃げよ!」とスピードを上げたら、そのバイクにすぐ追いつかれ、「院主さんっ!お久しぶりっす!」と後ろから呼び止められた。
「ええっ」と止まって振り返ったら、それは「ヤ〇ルト」の営業用の(中型)バイクで、ヘルメットのメガネを取ったら息子の同級生だった。
「びっくりしたやんけ!・・〇〇君か。大きくなったなぁ。」と言うと、「はい、今、ヤクル〇の会社に就職しまして、今日は営業でこの辺を廻ってるんす。院主さんの姿を見かけたので、懐かしなって、つい追いかけてしまいました。」と答えた。
「そうか、頑張ってんねんなぁ。又、お寺に寄ってや。何かあったら相談においでや。・・ほんで風邪引きなや、仕事無理しなや。」と(さだまさしの『案山子』の歌みたいなこと)言うと、「ありがとっござっす!がんばりまっす!・・又、うちの仏壇のお参りもたのんまっす。」と言って、Uターンして去って行った。
・・月日の流れは速いものだ。よく小学生の頃、お寺に遊びに来ていた息子の同級生も、もうあんなに大きくなっている。
声掛けてくれて嬉しかったで。ちょっとびっくりしたけど。
あぁそや、〇クルトついでに、何本か買うたったら良かったなぁ・・。
狭山池博物館への取材
(狭山池博物館)
今、『大和川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり』という紙芝居がようやく60パーセント程完成し、めどがついた為、その次の紙芝居『狭山池の底の石棺 ど根性!重源和尚の究極のリサイクル』という紙芝居の製作に入っている。
が、この紙芝居製作が(中甚兵衛さん以上に)困難を極める。
・・ということで、今日、この紙芝居の舞台『狭山池博物館』へ(又)行って、(多くの疑問点を)学芸員さんやガイドボランティアさん等に御教えを受け、疑問を解消してきた。
(今も展示されている石棺)
鎌倉時代の僧『重源』さんは、当時、干上がっていた狭山池の水を、「短期間でダムを復活させて水を溜め、その後、田んぼに水を潤すように」という事業を請け負ったため、工事を受け持つ地域住民に一つの条件を命じる。
それは、近くにある古墳から大量の「石棺」を取り出してくるようにという命令だった。
つまり、その石棺を改造して、ダムの底の前と後ろ(吸水と排水)に通す(水道管〔石樋管〕のような)トンネルを作ることを思いついた訳なのだ。(・・言葉では解りにくいので、又紙芝居が完成したら見てください)
でも、これは考えてみたら、むちゃくちゃな方法で、静かに祭られているお墓を荒らして、今の生活に役立つように、墓(石棺)をリサイクルするという方法なのだ。
この墓荒らし行為を(国家的規模で)しかも僧侶でありながら、どうどうと命じ、今、飢餓で苦しむ人々の為に実行に移した重源さんの行動力とアイデアはスゴイの一言だ。
どう考えても、紙芝居向きのドラマチックな人ではないか!
後は、うまく物語風に起承転結つけられるかどうかに掛かっている。
(狭山池の夕陽)
「紙芝居が完成したら、是非この博物館で上演して下さい」と、館長さんにも言われたので、がんばって(春までには)作ろうと思う!
羽曳野市「くすのきデイサービス」への出前
(くすのきデイサービス)
本日、羽曳野市にある「くすのきデイサービス」へ、お寺の出前に行って来た。
こちらへは、年三回ほど寄せてもらっているだろうか?
デイサービスなので、毎回、同じ人にお出合いする事は少ないのだが、その度に違う紙芝居を持って寄せて頂いている。
さて今日は、1時間の出前タイムなので、「嫁脅しの面」と「地獄のはなし」、「極楽のはなし」の三本の紙芝居を演じさせて頂いた。
「嫁脅しの面」では、皆さん、身近な話題「嫁と姑の話」ということで(笑い)、食い付くように、前のめりになって見て下さり、こちらも熱が入った。(途中、「私は嫁と仲良くやってますよ」と、聞きもしない感想が出て苦笑してしまった。)
最後は、いつものように『鬼』に変身。
皆さん「あ~~恐。」とか、中には「住職さん、今日はその面付けて帰りなはれ」とか言われ、ちょっと僕が遊ばれたりした。
そして、受け持ち時間の1時間が終り、帰ろうとしたら、「ああ、おたくは、以前もここに来て下さいましたね。」と、ぎりぎりになって気がつかれ声を掛けてくださった女性が現れ、思わず僕は「・・気がついてくださったのですね。僕の帰り際に・・・間に合いました。ありがとう」と笑いながら、すっとぼけて帰ることにした。
忘れてもらって結構ですよ。・・ご希望とあれば、まだまだこれからも何回も寄せてもらいますからね。その時、思い出してね。合掌
昨日の夜の「白寿苑」法話会
(法話会開始前の準備段階)
昨日の晩は、特養老人ホーム『白寿苑』の月例法話会の日。
出発前には、自坊では雪が舞いそうな感じだったので、(凍結を恐れて)いつもの高速道路を使わず、下の道路から行った。(やはり、約1時間30分は掛かった。・・やっぱり高速の方が早いなぁ。当たり前か。・・でも結局、住んでるこちらは雪でも、大阪市内は雨やった。)
到着したら、ホールでいつもの「紙芝居法話」の準備開始。
老人ホームは、皆さん、早くからお集まりになるので、(午後7時からの開始なのだが、)いつも6時半頃からすでにお話(雑談)を開始している。
「風邪引いてませんか?」とか、「もう、お風呂入ってこられましたか?」とか、「今日の晩御飯のおかずは何でしたか?」とか、他愛もない事をべちゃべちゃ喋っている。
その内、皆さんお集まりなり「法話会」の開始である。
昨日は、二月恒例の「涅槃会」のお話と、『お釈迦様最後の旅』という紙芝居をする。
その後、いつもと同じように皆さんと一緒に「語り合うコーナー」のはじまりである。
昨日は、「お釈迦さんは北枕で亡くなられたんですよ。又その後、ご遺体は火葬されましたんやで。」とか言うと、「ほな、私等、日本人はお釈迦様のまねしてまんなぁ。」と感想が返って来たりして、盛り上がる。
内容自体は、単純な事ばかりなのだが、皆さんが興味を持ってくださればそれで良い。
昨日も、そんな感じの法話会であった。めでたし、めでたし。

