住職のつぼやき[管理用]

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それは、突然にやって来た...(その七)

こうして、いくつかの偶然が、...いや奇跡とあえて呼ぼう! が、重なって僕の命は助かった。
これは、主治医のドクターが言ってくれたのだが、「何かーつあかんかっても、あんたは寝むり姫のままや..いや、男やったな...はははっ」と、いう言葉が、印象に残っている。

そして、こののち.救急病院で18日間も入った0病院、さらに、現在も続いている転院したリハビリ病院での、悪戦苦闘の日々が続いているのだが、それは別のお話...。

三つどころか、十も二十も奇跡を、仏様から紡ぎ出して頂いた本願寺津村別院の職員様、本当にありがとうございました。
又、本当に今もよくやってくれているうちの家族ありがとう。

そして、急きょ、講演.読経等々を中止させていただき、ご迷惑をおかけしました関係各位の皆様、観念寺の檀家様、本当にすみませんでした。
合掌
おしまい

それは、突然にやって来た...(その六)

「宮本さん、宮本さん、宮本さ ん...、」
僕は何とうるさい人達やねんと、目を覚ましたら、そこには五人ほどの白衣。
「あーっ、良かった。手術は大成功ですよ。」と言ってくださった。

...何日か経って、主治医のドクターは「(担架で運ばれきたこの人は、お坊さんの患者やなぁ)と思っていたら、本願寺の職員さんが「この人は講演をしはる人なんで、声帯につながるところは特に気をつけて頼みます。」と言われたんや。
声帯は大丈夫やと思うでえ..。」と、言ってくださった。
これも考えてみたら、仏さまの奇跡なのかも知れない。
つづく

それは、突然にやって来た...(その五)

救急病院は、すぐ近くにO病院があって、直ぐに着いた。
MRlを撮り、「これは、すぐに手術したら大丈夫やで..」と、耳もとで喋っておられたドクター達の会話を、今でもよく覚えている。

しかし、一方、病院まで付き添ってくれていた本願寺職員さん達が「..駄目です。ご家族に連絡が取れません。」と言っておられた。
お寺は留守番電話で、妻は仕事に行っていたのだ。
つまり、家族2名の同意サインがないと、手術が出来ないのだ。

どうしようもなく、なくなった。

この時に、三つ目の仏さまの奇跡がおきる。
一昨年、僕と娘は、本願寺津村別院が主催した、和歌山県台風被害地ボランティアに参加した。その参加したものは各自の携帯電話を、本願寺津村別院が控えておくことになっていた。
職員さんが、その事を思い出されたのだ。
そして、職員さんは別院に連絡され、その名簿を探して下さり、僕の娘にすぐ電話を取ってくださった。
間よく、娘もその時に、バイトが休みだったそうで.電話をすぐ取る事ができた。
びっくりした娘は、おばあちゃん(母)と一緒に、病院までタクシーで直ぐ飛んで来てくれた。
間もなく、妻にも連絡もつき、そして、点滴で抑えてあった僕はすぐ手術。
こうして、手術は始まったのだ。
つづく

それは、突然にやって来た...(その四)

講演は、どうにか無事に終えた。
だが、控え室にかえって僕は戸惑った。
大嵐の船に乗っているかのように、身体が揺れているのだ。
「疲れているんだ。早く車を運転して帰ろう」と、なんとか荷物を直して、本願寺の職員さんに領収書を渡そうと、サインをしようとすると、文字が書けないのである。
それでも、どうにかサインして帰ろうとすると、今度は立てないのた。
それに気付いた、もう一人の本願寺の職員さん、「宮本さん、救急車呼びましょう!」と、言われた。
僕は、「そんな大層な」と思ったが、動くことができない。
しかし、この時の本願寺の職員さんの判断がなかったら、僕はここに居ず、今頃、お浄土にいるであろう。
原因は、高血圧による左脳の脳内出血であった。
この本願寺の職員さんの判断こそが、二つ目の、仏さまの奇跡なのであった。
なんせ、一分一秒を争うことだったのだから。
又、救急病院もすぐ近くにあったのだ。 つづく

それは、突然にやって来た...(その三)

三月四日、僕は天王寺区にある「クレオ大阪」ホールに、紙芝居を持って行った。
会場は、約800人で満席。
そして、午後3時から4時までの1時間が、僕の持ち時間。
この日は、やけに喉が乾き、スポットライトが明るく感じていたのを覚えている。
そして講演が始まり、30分が経ち、この日2本目の紙芝居に移り、なんだか今日は舌が滑らかじゃないなあと感じていた。(案の定、ドクターによるとこの時刻に脳内出血は始まっていたそうだ。又、後で聞くと、会場でも言葉が分かりにくかったそうだ。)
つづく

それは、突然にやって来た...(その二)

...そう、それは何の前兆もなく、突然にやって来た。
その日は、三月四日だったのだが、時間を少し、巻き戻さねばならない。

丁度その前日(三月三日)に、一本の電話が入った。
「明日、クレオ大阪でやる.仏教婦人会の講師さんが、インフルエンザで倒れてしまったんです。急な話ですが、宮本さん.何とかなりませんか?」と。

僕は.「何とかしましょう!」と、調子に乗って言ってしまった。

だが、後から考えると、これが生死を分けた、不思議な仏さまからの、三つの奇跡の始まりだったのだ。

そう、その一つ目が、仏さまからの突然の講師依頼だったのである。
つづく

それは、突然にやって来た...(その一)

皆様、ご心配掛けております。

今はまだリハビリ病棟におります。

脳のリハビリとは、これほどしんどいものとは、しりませんでした。
いうなれば、毎日、算数.社会.国語、パズルなどの学校の試験をできるまで、居残りでやらされているようなものです。

しかし、身体はなんともなかったので、良かったかもしれません。

しょうがないです。脳内出血で一部の脳の機能が停止し.それをリハビリで新しい回線を作りあげようというのですから。

では、なぜ僕がこのようになったのかを、お話することにしましょう。

始まり、はじまり

つづく

リハビリ病棟に、入りました。

ご心配をお掛けしてます。

現在、リハビリ病棟に移りました。
特訓が、始まっています。

頑張ります。

二つの大きな法要への出講予定

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 今月、他府県への大きな「お寺の出前」が二つ、控えている。
 一つ目が、九州の佐賀県への出前。
『親鸞聖人 巡番報恩講』という名の浄土真宗(西)本願寺派正連寺さまの五日間に渡るお寺の大法要である。
 この法要の僕の出番は、23・24日の両日。23日が子供たちへの仏教紙芝居法話。そして24日が、大人の方への真宗紙芝居法話となる。
 この法要は遠方の為、前日からの出発となる。
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 そして二つ目が、岐阜県への出前。
 こちらは、『親鸞聖人750回御遠忌法要』という、浄土真宗(東)大谷派浄誓寺さまの七日間に渡る大法要である。
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 こちらの法要は、連日講師が変わり、僕の出番は三日目となる。
 今から、わくわくしている、二つの遠方へのお寺の出前。
 思いっきり、関西弁丸出しでしゃべってきたいと思っている。
 

妙好人「大和の清九郎」という人

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(奈良県吉野郡大淀町鉾立[ホコタテ]清九郎さんのお墓にて)
 今、『妙好人 大和の清九郎』という紙芝居の制作に入っている。
 僕は、(宗派にこだわらず)信念を持って清らかに生きようとする人が好きだ。(おそらく自分が穢いからでしょう・・) で、そんな人の人生を『紙芝居』にしたいといつも思っている。(描いて元気をもらっているのです。)
 『大和の清九郎』さんも、そんなお一人なのである。
 幼い頃は親孝行であった清九郎さんが、読み書きが出来ない為、丁稚奉公先でいじめられ落ち込み愚れる。 
 そして博打・盗みなどの非行を繰り返し、人間的にトコトン落ちていった清九郎さんだが、やがて篤信の女性と結婚し一人娘に恵まれるが、その奥さんは苦労の連続で亡くなり、そこではじめて改心。 やがて仏の清九郎と呼ばれるようになってゆく。
 ・・いかにも、ドラマチックな人生ではないか⁉(でも、家族や回り人は大変やったやろうなぁ・・)
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(高取町・因光寺様)
 先日、清九郎さんの事を調べに、今も山深い鉾立村の中にある墓所や、所縁の地(清九郎さんの像が境内に建つ)「因光寺」様、(幼い丁稚時代に通ったという)「願行寺」様などにお参りに行って来た。
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(下市町・願行寺様)
 「そうか。清九郎さん一家はこんな山の中で暮らしていたのか。」と、今も残る墓所横の鉾立の屋敷跡などを見ながら、僕は少し清九郎の息吹きを感じたような気がした。
 これは、長い紙芝居になりそうだ。(前・後編)の大作になるような気がする。

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