住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『良寛さまの涙』、未完成上演

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(紙芝居『良寛さまの涙』より)
 ・・紙芝居『良寛さまの涙』が、ほぼ完成した。
 良寛ファンの[檀家総代]であるYさんのお宅で、(今日は月参りの日でもあり)出来を見てもらおうと持って行った。
 ところが、Yさん(ご主人)の体調が悪い。
 ケア・マネージャーも来られていて、何やら仏壇の隣の部屋で、ひそひそと話声が聞こえる。
 「・・日が悪かった。又今度や。」と思って、「お邪魔しましたぁ」と言って、そっと帰ろうとしたら、奥さんに呼び止められた。
 「院主さんも、こっち来て。・・冷たいお茶を入れたし、羊羹もあるよ」と言われ、ケアマネさんが一緒に居てはんのに、何か居ずらいなぁ・・と思いながらも、羊羹につられてズルズル部屋に入った。
 「院主さん、調子悪いんや。何か暑いし、気が滅入って」と旦那さん。
 「元気出さなあかんよ。」と、奥さんとケアマネさん。
 僕はお茶を飲みながら『待ってました!』と内心思い、「今日、紙芝居持って来てますねん。まだ95パーセントの出来ですけど、観てもらえますか?」と(あつかましくも)尋ねた。
 旦那さんは「観たい」とおっしゃい、ケアマネさんもついでに「観たい」とおっしゃったので、初披露をした。
 さて、どんな話かは、以前このブログでも載せたので、割愛して、最後まで、皆さん静かに観て下さった。
 奥さんは「ええ、話やねぇ。涙がでそうになるわ」と言って下さり、ケアマネさんもしきりに頷いてくださった。
 そして、肝心の旦那さんは、「ええ話や。ありがとう」と言って下さり、帰ろうとする僕に「有難うございます!」と大きな声でおっしゃって下さった。
 その声の大きさに、奥さんもケアマネさんも大変、驚かれたようだ。
 帰り際、車に乗り込む僕に、奥さんは「仏様のお陰を頂きました」と手を合わせてくださり、照れくさい僕は「長居してすみませんでした」と、早々と引き上げたのであった。

 

志のようなもの・・

 お葬式があった。
 88歳の檀家のおばあちゃんのお葬式であった。
 ・・縁あって、僕がその亡くなられた方の[お葬式]の導師をさせて頂く時、僕は心を込めて読経をし、残された遺族さんの気持ちが少しでも救われるような、そんな話をするように心がけている。
 それは、僕が坊主だから当たり前の事かもしれないが・・毎回、そんな気持ちで行っている。
 友人の僧侶が「いちいち、そんな神経を使って、お葬式をしていたのでは、身がもたないで・・。」と言うが「身が持たなくても良い」、と僕は思っている。
 極端にいうと、その途中で、こちらが死んでもかまわない。
 去年、紙芝居講演の最中に、脳出血を起こして死にかけたが、この時、死んでも本望であった。
 それでも、仏様の思召しで命が救われた。
 やはり、まだやらなくてはいけないことがあるのだと、そう思い、これからもリハビリを頑張り、紙芝居法話や、縁のある人の仏事をさせて頂きたいと思う。
 ・・ちょっと、かっこつけた事を言ってしまったが、そんなことも、まじめに思っているのです。
 

「スイッチ、スイッチ⁉」

 「あっ、今日は[月参り]の日でしてんねぇ⁉すっかり忘れてました。」と、一人暮らしのおばあちゃんの家へお参りに行ったら、この言葉からこの日のパニックが始まった。
 「仏壇に何の用意もしておませんわ⁉」と言われ、おたおたと部屋中を歩き回られ始める。
 僕は「いや、良いですよ。後ろで座っていて下さいな。」と言って仏間に入ったが真っ暗だ。
 「スイッチ、スイッチ」と、ブツブツ言われるおばあちゃん。
 部屋の明かりを新しく変えられたようで、リモコンスイッチが無いのだ。それで明かりが付けられないようだ。(一昔前なら、ひもさえ引っ張れば明かりは付いたのだが)
 曲がった腰で、「スイッチ、スイッチ」と言いながら、台所や洗面所まで、一生懸命スイッチを探し回られたが、こんな時に限って見つからない。
 僕は「ロウソクの明かりがあるから、読経できますんで、かまいませんよ。」と言っているが、今度はトイレか、裏庭まで探しに行かれたようで、聞こえていないようだ。
 僕はもう待ってられず、暗闇の中、一人で読経し始める。
 ・・そして10分ほど経った時、「あっ、あった!」と言う声と、「院主さん、ありました。ソファーの上にありました!」と、読経中の僕に興奮して、話掛けて来られる。
 僕は読経を一度止め、「良かったですね」と言って、又読経し始めたのだが、しかし、なかなか電灯はつかない。
 「・・これ、ドコ押すんやったかいなぁ」と独り言風に、僕に助けを求められたが、もうちょっとで読経が終わる僕は(悪かったが)無視して、最後までお勤めし、今日の暗闇の中のお勤めは無事終わったのであった。
リモコンスイッチ、見つかって良かったですね。合掌
 

奥さんを先に亡くされた旦那さん

 70代で、奥さんを先に亡くされた旦那さんがいる。
 亡くされてから、今年で2年になる。
 子供さんは、独立されてもう居ない。
 僕は毎月、その家の仏様にお参りに行っているのだが、
 ・・亡くされて丸1年、その家に到着すると、毎回、生前の奥さんの姿が映った『思い出ビデオ』がテレビで流れていた。そして、勤行中はその旦那さんはずっと泣いておられた。さらに勤行が終われば、早い時でも30分は奥さんの思い出をお話された。
 今月で丸2年。今日、お参り行ったら、初めてテレビが消えていた。
 勤行中も、クスン、クスンという、鼻水をかんでいるような小さな声は聞こえたが、もう大きな声ではない。
 勤行が終わってからの話も、初めて前向きなお話をされた。
 時間だ。
 やはり、悲しみを癒すには、時間が必要なのだ。
 けっして、悲しみを忘れることは出来ないけれど、歳月、時間によって、少しずつ癒されていく。
 ここまで、2年掛かられたのだ。
 さて、笑顔が出られるまで、後どれぐらいの時間が掛かるのだろうか?
 
 
 

兵庫県芦屋市からのお客様

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 今日、兵庫県芦屋市から、[志真照男]さんという男性が、お寺にお越しになった。
 この方は現在、ある『紙芝居講座』(=こういう講座があるそうだ、初めて知った)の受講生なのだそうで、先生について、紙芝居を語って聞かせる勉強をされているそうだ。
 今日は、僕の紙芝居を見学というか、研究に来られたのだ。

 お話を伺っていると、その講座では、紙芝居の紙の裏にはほとんどセリフが書いていなくて、ほとんどアドリブでしゃべるらしい。
 ある意味面白い手法だ。・・いや、本来、紙芝居の演じ方はこういうものなのであろう。
 でも、僕の紙芝居の語り方とは違う。
 このパフォーマンスだと、お客さんの生反応があって、ウケれば快感。しかし、その逆だとしんどいだろうなと思う。そしてエネルギーがいるなとも思った。(エネルギーの無い僕には無理だ。[笑])
 僕の紙芝居は、ほとんどアドリブがない。読んでいるのを聞いて頂く、いわゆる朗読劇(あえて言うなら、それプラス『絵』のチカラ)に近いのだ。

 どちらが、良いと言っているのでは無い。 
 色んな紙芝居の[手法]があるのだ。

 いろんな紙芝居の楽しみ方があり、『それで良いのだ』と、今日改めて思った。

待つ辛さ・・

「・・今、うちのお婆ちゃんが危篤なんです。お葬式の予約というのも何とも変ですが、お布施のことやら、葬儀場のことやら、いろいろと教えて頂こうと参りました。よろしくお願い致します。」
 と、三週間前に、ある檀家さんの御兄弟が、突然お寺に来られた。
 ドクターから「今晩がヤマです。覚悟してください。」と言われたそうで、それで、ものすごく焦っておられる様子だった。
 それで、いろいろと打合せ?も済み、ご兄弟は病院に向われた。
 その後、今度は僕が落着けなくなった。・・何をしていても、どこに居ても、(転送電話にして、又、携帯電話を見つめ、)連絡があれば、直ぐ対応できる準備をしていた。
 電話のたびに、僕の心臓が「ドキッ」とした。
 あれから三週間。・・電話が無い。
 色んなことを考えてみた。
 と思っていたら、昨日、僕の妻が、こちらのご兄弟に(たまたま)スーパーで出会い、「お婆ちゃんが持ち直して、無事、病院を退院され、今では流動食を食べれるようになった。」という情報を聞いて来た。
 ほっとした、という気持ちと同時に、気が抜けた。
 この三週間は何やったんや。
 でも、相手の立場からいうと『お葬式、取り敢えずキャンセル』という、連絡も出来なかったんやろなぁ・・。わかる、わかる。
 これは喜んで良いのやろな・・。合掌
 

仏花を買って思ったこと・・

 昨日、ある『道の駅』に行って、仏花(仏様に供える花)を買った。
 僕は240円の花束を一つ取り、レジまで持って行った。
 レジは空いていた。
 レジには男の職員が一人おられた。
 花束をくるっと新聞紙で巻き、僕に渡してくれたのだが、 問題はお金を受け取られた後だ。
 「有難うございまーす。」と、横を向いてお釣りをくれた・・。
 目(と心)は僕の方を向いていない。
 ずっと、きょろきょろと外ばかり見ている。
 それは別に緊急な用事があるみたいではなかった・・。
 「気持ちが入っていない。商売人ではない。」と思った。
 商品の値段の問題ではない。
 「商売の基本が出来ていない。これでは繁盛しないな」とも思った。
 それを言うべきか?言わざるべきか?と思ったが、言えるような雰囲気(そう、正に『気』だ)では無かったのでやめた。 不親切な僕だ。ちょっと気になったのでここに書いた。合掌

 
 
 

滋賀県草津市:『最勝寺』様御一行の来院

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 先週の6月27日、滋賀県草津市より、浄土真宗大谷派の『最勝寺』様御一行(36名)がご来院下さった。
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 僕自身(昨年)病気をし、あまり遠方まで[紙芝居法話]の出講が出来なくなり寂しくなっていた。それが今度は、(今回のように)遠方からお客様がお出で下さることになり、嬉しい限りである。(これも仏様の思召しであろう。)
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 さて、今回の紙芝居は『阿弥陀仏ものがたり』と『石山合戦始末記』と、最後は今の僕の想い(感謝)を込めて『仏様の思召し』の三本をさせて頂いた。
 そして、最後は(仏様の思召しにより)記念撮影。
 お天気も(仏様の思召しにより)、雨が降らずに済んだようだ。
 最勝寺の皆さま、こんなご遠方まで(仏様の思召しで)ようこそのお参りでした。感謝でございます。合掌

もう一本の作り掛け『紙芝居』

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 ・・現在、もう一本、作り掛けの『紙芝居』がある。
 題名を『良寛(りょうかん)さまの涙』(写真)という。
 こんな話だ。
 昔、良寛さまという、心清らかなお坊様がいた。
 良寛さまは、名主の長男であったが、出家をした為、実家の仕事は弟が継いでいた。
 ある日、弟が良寛さまを訪ねて来た。
 悩みがあったのだ。
 弟には、一人息子がいるのだが、放蕩が過ぎて一向に働かない。それを良寛さまに、説教してもらいたく訪ねたのである。
 「説教などとてもできない。人間は説教などでは変わらない」と断る良寛さまであったが、弟は「息子は良寛さまのいう事なら聞く」と頼んで帰った。
 そこで、良寛さまは弟の家に行く。
 そして、放蕩息子と会って談話をするのだが、一向に説教はしない。
 やがて、三日が経つ。
 そして結局、何も話さず、良寛さまは帰るしたくをする。
 がっかりする弟夫婦。
 しかし帰り際、良寛さまのワラジのひもをくくるのを手伝っていた放蕩息子の頭の上に、水が一粒、二粒。
 見上げると、良寛さまが自分を見て泣いている。
 「はっ」と気づく息子。
 言葉はなくても、言いたいことはすべて解ったのだ。
 結局、良寛さまは何も言わず帰って行ったが、それ以来、息子の放蕩は直ったという。

 以上がストーリーである。
 実は、これによく似た悩みを僕自身が檀家さんから聞いた。
 結局、何も言えない僕は、この紙芝居を作って、持って行くしかないのだ。
 こんなことしか、できないのである。
 
  
 
 

紙芝居「隠れ念仏の里」を作りながら思う

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(『傘仏』・『まな板仏』の絵)
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(未完成の『隠し仏壇』の絵)
 今、『隠れ念仏の里』という紙芝居を作っている。
 江戸時代の九州:薩摩藩での浄土真宗門徒のお話だ。
 薩摩藩は、当時のキリシタンと同様、浄土真宗念仏者たちの信仰も[禁止]した。
 さりながら、念仏者たちは(上の絵のように)、あるものは[傘の中に仏の絵]を隠し、又ある者は[まな板の中に仏の絵]を隠して、密に仏に心の平安を願った。
 極めつけは[タンスを改造して仏壇をセット]し隠れて信仰した。(・・007のスパイの秘密兵器のような、又、考えてみたら、現代家具調仏壇の走りのような気もする。)

 が、凄いのは見つかれば、獄門・磔の刑が待っていた・・ということだ。・・だから凄い。
 僕は、本物の信仰心だと思う。
 この紙芝居を作りながら、もう一人の僕が云う。「お前にこの信仰心を真似できるか?」と・・。
 
 僕はお寺のご本尊の仏様に願う。
 『阿弥陀様っ!お願いです。どうか、僕にも彼らのような力強いと「帰依心」と、清らかな「信仰心」を与えたまえ!』と。

 今日も、そう願いながら絵を描いている。

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