住職のつぼやき[管理用]

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一週間、京都の《西本願寺》へ研修に行ってました

 ブログ、一週間休みました。
 ・・と、いうのも京都の《西本願寺》に一週間、研修に行ってたからです。
 疲れ果てました。
 ・・というのも、朝から夕方までの詰め込み研修であったからです。
 おまけに、最後の日の今日は〔試験〕もありました。
 できましぇんでした。
 ・・というのも、詰め込み式勉強は大の苦手だからです。
 この《研修》、僕はダメだったので、又来年も行かねばならないと思います。
 気持ちは若いが、能力老人。
 今から寝ます・・とほほ

夏休み《サマースクール》への出前

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 きのう、友人のお寺が毎年開催している夏休み〔サマースクール〕へ〔紙芝居〕の出前に行ってきた。
対象は、幼稚園児から小学校低学年が主であろうか。もちろん、お母さんもご一緒に参加された。
 プログラムは、まず〔お勤め〕からみんなで始め、その後、友人である若住職の人形を使った〔法話〕。そして、僕の『紙芝居』の出番。
 それから、本堂で〔風船〕や〔座布団〕を使っての大運動会。
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 その後、お母さんたちが作って下さった〔カレーライス〕や〔焼きそば〕などをいただき、楽しい一日を過ごさせてもらった。
 年甲斐もなく、僕も子供達と一緒になって〔大運動会〕に参加し、〔座布団リレー〕に出場して汗びっしょりになってしまった。年甲斐もなく・・・、腰が痛い・・
 

軽費ホーム『河南荘』《地蔵盆法要》への出前

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今日は年一回の、軽費老人ホーム『河南荘』の《地蔵盆法要》への出前の日。
 ここの〔お地蔵さん〕は、三代目施設長が京都のお寺の出身だったそうで、就任された時にご自坊からお持ちになられたそうだ。
 そして年一回、おまつりしているお庭から室内に移動して頂き、みんなでお参りをするのだ。
 僕がこの苑で、その〔勤行〕とその後の〔紙芝居法話〕をするようになって、今回で11回目を迎えた。
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今年は、いつもの勤行の後、〔病〕と〔死〕についての紙芝居をした。
 ここのホームは、皆さんしっかりされている方ばかりなので、こちらもつい話に熱が入って、長々と今年も余計な話をもしてしまった。すんませんでした。時間一杯使って・・。合掌

河南町放課後クラブへの出前

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今日は、河南町放課後クラブという小1から小6までの子供たちの〔学童保育〕の会への出前の日。
 この『出前』は毎年、夏休みにやっていて今回で三回目となる。
 去年は『地獄と極楽』の話をして子供たちをビビらせたが、・・今回は《テーマ》を時流に合わせて、『杜子春』と『おこり地蔵』という二本の紙芝居にした。
 それは〔北京オリンピック〕が現在、行われているので、中国が舞台の『杜子春』。そして、平和の祭典・オリンピックが行われているにも関わらず、グルジアで起こしている紛争に抗議の意味も込め、又、子供達に平和の大事さを訴えたいと思い、広島の原爆の悲劇を描いた『おこり地蔵』を選んだ。
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 〔テレビゲーム〕に慣れている子供達も、皆食い入るように紙芝居を見てくれて、こちらもやりがいを感じた『出前』であった。(紙芝居が終ったら、子供達が「ハァ~」とため息をついて皆床に寝そべった。ちょっと可哀想だったかなぁ・・)

父への手紙

 拝啓、宮本茂樹さま
 お父さん、お元気ですか。あちらの世界へ往かれてから、もう今日で丸二年が経ちました。
 こちらでは、お父さんの《三回忌》をこの前にちゃんとやりました。ちゃんとお供え物は届きましたか?
 そういえば、お酒が好きだったので、色々なワンカップ酒を買ってきて、お供えしていたら、この前《夢》で、「もう、酒はいらん!」と怒って出てきましたね。あちらの世界では、お酒などなくても、憂さを晴らせるのですか?あれから、もうお酒はお供えしてませんが、本当に大丈夫ですか?又飲みたくなったら、《夢》で教えて下さい。
 こちらの世界は何とかやってます。母も病院通いをしながら、結構お芝居など行って遊んでいるようです。
 弟夫婦もその子供たちも、三回忌の時に来ていましたが、元気そうでした。弟も或る程度《出世》したそうです。(どの程度なのかよく解りませんが)
 僕の家族も、色々ありますが何とかやってます。娘も息子も大学生になりました。(なんとか〔笑〕)
 時々、お父さんの事を妻と話しているのですよ。「ちょうど良い時に、お父さんは亡くなった。苦しまず、あまり寝込まず、あっという間に往けて本当に良かった。徳があったんやなぁ」と。
 僕はあまり、お父さんのことを思い出さない様にしています。
僕は涙もろいので、思い出したら耐えられないのです。こんな人間が、坊主をやっているのですから変な話です。
 お父さん、もうこの世では話しをする事ができなくなってしまいましたが、胸の中ではすぐにお父さんの声が甦ります。
 これからもどうか、こちらの我々を見守って下さい。
 よろしくお願い致します。
 そうそう、阿弥陀さまにもよろしくお伝え下さい。
 それでは、又。お元気で。合掌 息子の直樹より
 追伸:父の日にあげた腕時計は、今僕が形見に使っています。プレゼントした物を形見に持っているなんて変な話ですが、これをつけているとお父さんが常に側に居てくれている様な感じがしているのです。潰れるまで大事に使いますね。

〔お盆参り〕に想う詩(ウタ)

 自転車で《お盆参り》をしていて〔詩〕が浮かんだ・・
 
 犬には鳴かれ、赤子に泣かれ、
 ひ弱な足腰を自ら嘆き、正座の長さに耐え、
 一日に何十杯のお茶とジュースを飲み、
 されど、食欲は湧き・・、
 東に〔お布施〕を用意してない人あらば、「来月で結構です」と言い、
 後ろでウチワを扇いでくれるご婦人あらば、「ありがとうございます」と言いつつ、ロウソクの火が消えぬかを気にし、
 西で〔お布施〕を頂くのを忘れ、追いかけて来て下さる人あらば、「お恥ずかしい次第です」と低頭し、
 日照りの日中、フラフラ走り、
 雲行き怪しき空見れば、オロオロ走り、
 遅刻しかけりゃ、ハラハラ動悸・・、
 なるべく皆から、〔デクの坊〕と呼ばれぬようにお経をあげる、
 ・・こんな馬鹿な〔詩〕ばかりを考えぬ、立派な僧侶に私はなりたい・・
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飲んだ、飲んだ!

 お檀家さん宅への〔お盆参り〕が始まっている。
 麦茶、ウーロン茶、アイスティー、アイスコーヒー、ジャスミンティー、オロナミンC、コーラ、かき氷、スポーツドリンク、フルーツゼリー、エトセトラ、エトセトラ・・。
 昨日、今日でいったい何十杯の飲み物を〔読経〕の後に頂いたであろう?そして、後何十杯、頂くのであろう?・・
 「お腹が一杯ですので遠慮します」と言うのも、なぜか煩わしく思えて・・。思い切って飲んでしまった方が〔楽〕な感じが今年はして・・。
 又、喉が渇いてしょうがない時も正直あって・・。
 体調を整えながら、今年は限界に挑戦してみたい・・と思う。〔笑い〕
 

走れ、墓参り!

ファイル 151-1.jpg (イメージイラスト〔笑〕)
 先日、この《ブログ》にも書いたけど、9日は僕の住む地域の一年に一度の《大墓参りイベント》の日であり、今年もそれが〔曇りのち晴れ〕というベスト天候の中、無事に終る事ができた。
 なぜ、イベントなのかというと、この日は早朝4時半頃から、午前11時頃まで、村のすべての宗派のお坊さんが、小山の墓場に全員集結し、半日をかけて、ほとんどすべての〔お墓〕にお参りをするからである。(そら、あらゆるお経があちこちから聞こえて賑やかですよ!)又、アイスクリーム屋さんなどの出店も墓場の入り口に開店して、この日は大いに繁盛する。(今年も儲かっていたと思う)
 結論からいうと、この日僕は(短いお経であるが、)95回称えた。僕一人ではとても回りきれないので、友人等にも前日から、お泊まりで応援に来てもらい、今年は全部で200回ほどお経をあげた事になる。
 当然、急ぐ時は走って移動しお参りをする!つまり〔走れ、墓参り〕なのである。
 汗は滝のように流れる。水分補給は頻繁に行うが、この6時間、一度もトイレには行きたいとは思わない。(おそらく汗にすべてなってしまうのだろう・・)
 でも、しんどいだけではなく、金髪ピアスの若者が、おじいちゃん等と一緒に熱心にお参りをするという光景も見れるので、ほのぼのとして良い面もあるにはある。
 この過酷なイベントを、いった何歳まで続けるのだろうか?と不安に思い呆然とすることがあるが、それは〔仏様の思し召し!〕 やれるだけやる。
 さぁ、明日から門徒さんのお宅の〔お盆参り〕だ!そして、夜には他の寺院の〔お盆法要〕にも、『紙芝居法話』で行かねばならない。
 やはり「頼むぞ!チオビタ!任せたぞ!高麗人参〔活ジン〕(注・ドリンク剤の名前)(注2 リポビタンDはもう飲んでしまった・・)」

心のこもった『読経』って、何?

 昨日、或る方のお参りが終ったのち、施主さまから「心のこもった御読経、有難うございました」と言われた。
 それを帰って自慢げに(笑)、妻に話したら、「お経をあげる事に、『心をこめる』とか、『こめない』とかっていう表現は、ちょっと間違っているのと違うの?」と言われた。
 その言葉に『ムカッ!』として「何でやっ!?」と言ったら、妻は「・・だって、仏様の《言葉》を、あなたが代わりに、そのまま、お伝えしているのでしょう?・・だったら、『心』をこめなくても、そのまま淡々と称えるだけで、ちゃんと伝わるのと違うの?そら、お経の文句を間違ったらあかんやろけど・・」と、言いやがるではないか!
 僕は「そやけど、ボーっと読経するのと、意味を味わいながら、読経するのとではやっぱり違うと思うぞ!」と言った。
 すると妻は「それはあなたの〔満足感〕と違うの?」とまだ、言いやがるではないか。
 それで僕は「『心をこめる』っていうのは、仏様や亡くなられた方の家族さんの気持ちを大事に思い、そして労わり、思いやりの心を持つ事やと思う。とても大事なことなんじゃ!ボケッ!」と言った。(訂正:「ボケッ」とは本当は言ってない。そんなん言ったら、晩ご飯ぬきになる!〔笑〕)
 妻は「でも、やっぱり《読経》に『心をこめる』っていうのは、私は違うと思う・・」と言った。
 ・・その後、この話は絶ち切れたのだが、今、考えたらやはり妻の言っていた事の方が、正しいような気がする。
 《心をこめる》=『自力』、《心をこめない(否、そのままお任せの気持ちでお伝えする)》=『他力』、にそのまま結びつくかどうかはわからんが、・・僕の仕事は、仏様のお言葉を間違いのないように、そのまま右から左へお伝えすることが、一番ベストなような気がするのだ。
 ・・とは言いながら、《心をこめる》っていうのは、僕の性分。
 間違っているかも知れないが、やはり死ぬまで、このまま通すような気がする。

《日蓮宗》青年僧への期待!

 昨日、特養老人ホーム『甍(イラカ)』の〔出前法話〕現場に、一人の《日蓮宗》の青年僧が、見学に来られた。
 彼は、在家出身の僧侶で、今まで京都のお寺で《修行》を積んでこられたが、このほど、御実家近くの〔広島県〕の或るお寺の住職として、新たに赴任されるらしい。
 そのお寺というのも、檀家もなく、本堂も小さく、山の中にある古びたお寺とかで、何もかも一からのスタートであるそうだ。
 ・・この〔お寺の出前〕の存在は、ネットで見つけられ、ご自分もいつか、地元の〔福祉施設〕などに《法話の出前》に行ってみたいと考えられ、うちへの電話連絡、そして昨日の見学となった。
 僕とは《宗派》の違いこそあれ、同じ在家出身者であり、これから前途多難であろうが、〔お寺の出前〕のような変わった事をしてみたいというこの青年僧に、深い共感と感動を覚えた。
 「僕にできることがあれば是非、協力と応援をしたい」と言って、昨日は別れた。

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