住職のつぼやき[管理用]

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『お十夜(ジュウヤ)法要』への出前

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 おととい、京都は城陽市にある、浄土宗〔正行寺〕さまに『紙芝居法話』に行かせて頂いた。
 こちらのお寺の宗派〔浄土宗〕と、僕の寺の宗派〔浄土真宗〕の教えはビミョウに違うが、僕はあまりそんな事は気にしてない。
 呼んで頂いたら、浄土宗でも融通念仏宗でも日蓮宗でも、キリスト教でも、神社でも『出前』させて頂くつもりである。(もちろん、ちゃんとその〔趣旨〕を聞いてからにするが・・)
 それは、いろんな所に出前させて頂いて思うのであるが、(ごく一部の方を除いて)あまり、宗教・宗派の教義の違いをキッチリ気にされている方は、少ないような気がするからだ。(・・参拝に来られている方にとって、皆さん心の安らぎを《第一番》に求めておられるような・・そんな気がする)
 もちろん、その宗教・宗派の〔教義〕というものは、大事なものなのだろうが、・・僕に対してそのような事は《出前の依頼主》の方々は、望んでおられない。(それは、僕にとってもヒジョウ~に(財津一郎風に読んで下さい)嬉しい事だ!ぼくの《生き方》に合うからだ!)

・・という事で、例の如く〔前置き〕が長くなったので、後は簡単にお話して終りたい。
 ・・さて、今回のこちらのお寺の法要名は『お十夜法要』という。
 正式には、『十日十夜法要』というらしい。・・というのは、もともと〔10月5日の夜から10月15日の夜まで〕、連日、お念仏を称え、阿弥陀仏のお慈悲に感謝した法要だったから付いた名らしい。(そこの御住職に名の由来を聞いた。それにしても、昔の人は長いこと熱心に拝んでいたんやねぇ。)
 でも今では、(たいていのお寺では)わずか1~2日しか、そのロング法要はしないらしい。(現代的といえば現代的。そんなもんやろなぁ・・。)
 ・・まぁ、そんな由緒ある法要に呼んで戴いたのだが、例によって例の如く、僕の話は〔ワンパターン〕。いつもと同じ話。いつもと同じ紙芝居。
・・でも参拝の皆さん、喜んで戴けたような感じなので・・、又、御住職も「出前を呼んで良かったです。私の主旨に合ったお話でした!」と喜んで下さったので、『めでたし、めでたし・・』とするか。今回はそんな感じでした。
 正行寺の御住職、ご家族の皆さま、そして檀家の皆様、お世話になりました。ありがとうございました。合掌
 

あたり前の話・・・

 「住職の話は〔あたり前の話〕やねんなぁ・・。
 私、聞いてて、いつもそう思うもん。
 誰でも心の中では解ってねん。 
 そやけど皆、毎日の忙しい生活の中で、忘れてしまってんねん。
・・いや、眠ってんねん。
 それを起こして〔当たり前の感覚〕、そしてその〔心地よさ〕・〔大事さ〕をよみがえらせてくれる人が、住職やと思いまっせー。
 だから色んなトコから、話を聞きたい、『紙芝居』をみたいと、声がかかるんでっせー。
・・だから、〔難しい話〕をしたらあきまへんでぇ。
・・そんなんしたら、みんながっかりして、もう二度と呼んでもらえませんでぇ。
 コレ、私なりに分析しましてんで。わっはっはっはっ。」
 ・・と、今日〔月忌参り〕の時、うちの寺の総代さんが、僕におっしゃって下さった。
 するどい分析だ!肝に銘じた。・・が、これも考えてみたら〔当たり前〕の分析のようにも思える。〔笑い〕
 総代さん、いつもお気に掛けてくださってありがとうございます。 
・・でも、大丈夫ですよ。 私、〔難しい話〕をやれって言われても、できませんから。・・私の頭脳では。
 

「第四回 あんり祭」への出前

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 今日は、午前中は〔晴れ〕、
 午後からは、一転して大雨だった。
 そして僕は、午前中は秋晴れの中、お墓の〔建碑式〕へのお勤め、
 午後からは、お寺の上の『特養老人ホームあんり』の「あんり祭」への「お寺の出前」であった。
 
 今年で〔四回目〕になる、この「あんり祭」。
 職員たちやボランティアスタッフも、だいぶと慣れてこられた・・ように感じた。 一つの行事が、スムーズに運んでいった。(たとえば、〔たこ焼き〕や〔フランクフルト〕なども、お客をお待たせせずに、うまく仕上がっていた)
 そして僕は例年の如く、もう一人の近くのお寺さん〔浄土宗:西光寺ご住職〕と一緒に、即興でひとつのテーマの『法話』をする。
 今年は〔人と人との絆(きずな)=糸〕をテーマに『くもの糸』の紙芝居をやった。
 ハプニングは、思ったより30分間の「法話」受け持ち時間が早く終りすぎた為に、時間が余ってしまい、残り時間全部をアドリブでしゃべらねばならぬ事であった。・・が、なんとか協力して、無事に受け持ち時間すべてを使い切れたわい。 めでたし!
 

『介護予防教室』への出前

 今日、知人のお葬式に参列した後、その足で、〔寝屋川十字の園&西地域包括支援センター〕主催の『介護予防教室』へ講師として、(地域の方々に)「お寺の出前」に行って来た。
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介護素人の僕が、なんでこの教室の講師に選ばれたのか、未だになぞだが、今年でもう〔四回目〕になる。
 まぁ、「年を経ても、〔介護〕が必要にならないように、心の〔パーツ部分〕の健康を保つ秘訣を、仏教から何か探し出してお話しせよ」という事なのだと、僕は勝手に受け取ってこの講師を毎年やっている。

 ・・でも今年は、知人のお葬式に参列してきたばかりの状態だったので、話を何度も噛んでつまってしまった。・・時々、頭の中が真っ白な状態になったのだ。 でも、せめて笑顔だけは絶やしてはダメだと、自分に言い聞かせて、「紙芝居」をしてお話をした。
 今日の僕は顔は笑っていたが、心は泣いていたのである。
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カワグチさんが亡くなった・・

ファイル 398-1.jpg(特養白寿苑での写真 右カワグチさん)
 今日のお昼、カワグチさん(80歳)が亡くなったと連絡が入った。
 非常にショックで、今、全身の力が抜けている。
 それは突然の死だったそうだ。・・机に顔を埋め、ペンを持ったまま亡くなっておられたらしい。そして、そこには書きかけの仏教学習ノートが開いたままだったそうだ。ある意味、仏教のことを考えながら、突然、死が訪れたと考えたら、本人にとっては本望な死であったもしれない・・?

 さて、カワグチさんとは、同じ浄土真宗の僧侶仲間である。
 年齢は私の父親ぐらいなのだが、私の方が得度が早かったもので、私を先輩のようにお付き合い下さった。それで、いつも恐縮していた。
 私の出前活動にも賛同してくださり、何年もの間、特養老人ホーム白寿苑での『法話会』に来て下さっていた。(童謡を一緒に歌うコーナーを作って下さり、十八番は『夕焼け小焼け』だった。)

 お体の調子が悪くなられてからは、しばらく出前への応援は休止の状態であったが、今年の夏の苑内『盂蘭盆法要』にはご参加下さり、一緒にお勤めをした。・・その時はお元気だったのに。
 人が亡くなるのは寂しい。仲間が亡くなるのは寂しい。寂しくてやりきれなくなる。
 明日、お葬式に参列させていただく。合掌
 

102歳の復帰!

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 先月、このブログでも少し、その〔出前エピソード〕を書いたが、「早く(あの世)から、お迎えが来て欲しい」とばかり言っておられた、グループホーム『ゆおびか』のAさん(102歳)が、この度《お元気》になられた・・らしい。(肉体的にも、精神的にも!)
 そんな、お元気になられた様子を(職員の詰城さんが)、機関紙『医療生協ひがしなり』(写真:拡大して読んで下さい)に掲載し、お手紙とともに僕に送って下さった。
 今日は、そんなAさんの様子を、その〔お手紙〕から抜粋して皆さんにおしらせしたいと思います。(間違いなくこれは良い話です)

「(前略)、102歳の方ですが、(前回の出前訪問後)あれから、メキメキと復活し、車椅子生活でしたがホーム内は現在、自力で歩行されています。 ご家族も私達も医師も看護師も、友達達も驚いております。
 来月は103歳のお誕生日、年も一緒に越せそうです。
 《いまざと診療所》のすぐ横に、地域の方たちが集い活動できる『たまり場』を作りました。次回は、そちらでより多くの方たちを募って『紙芝居』を楽しみたいと思いますので、よろしくお願いします。」・・・以上。
 詰城さん、102歳いや103歳のAさん、又、行きますからね。それまでお元気で!

〔ローレン研修会〕への出前

「ローレン、ローレン、ローレン、・・・ローハーイド! ビシッ、ビシッ(牛を追うカーボーイのムチの音)」・・この歌は、1960年代に大ヒットした米TVドラマ痛快西部劇『ローハイド』の主題歌である。(・・余談になるが、わが国でも日本の歌手が歌って大ヒットした。確かこの「ビシッ」というムチの音は、スリッパを叩いて表していたような気がする。(スリッパの他に何かなかったんかい!)・・が、僕もマネして(スリッパ叩いて)唄っていたような記憶がある・・〔笑〕)
 僕はこのドラマが大好きであった。(若きクリント・イーストウッドもカッコ好かったなぁ・・)まぁ、それで今でも(極たまにであるが)お風呂の中で突然、口ずさんだりしてしまう。
 さて、前置きが長くなったが、先日(10月24日)に、《小泉産業グループユニオン》『労働連合(略してローレン!)10年組合員研修会』へ、「お寺の出前講演」に行かせて頂いた。・・が、その途中、車の渋滞に合い、思わずあせる自分自身を落ち着かせる為に、先の「ローレン、ローレン、労連、ローレン、10年、ケンシュウ・・ローハーイド!」と口ずさみながら、高速をぶっ飛ばして会場へ向かったわけだ。(まったく、無駄な書き出しで始まりすみません・・)
ファイル 396-1.jpg(研修会:風景)
 ・・まぁそれで、遅刻せずに無事、会場に着いたので良かったのであるが、今回、僕は〔一般企業〕への『入社10年目(皆まだまだ若い!)労働組合員研修会』という、重大な勉強会の『お寺の出前』は初めてだったので、大変緊張した。(始まる前に「起立、礼!」という声が上がった時、思わず「学生時代」を思い出し、第一声目は声が裏返りそうになった)
 前置きが長くなったので、どんな「研修内容」であったかは割愛するが、いつもの如く「紙芝居」を使っての〔思いやりの大切さ〕・〔自分にとって大切なモノって何?〕・〔何があっても不満と取らない、《自然の思し召し》と受け取ってみよう〕というテーマでお話した。
ファイル 396-2.jpg(後半の風景)
 そして〔後半〕は、円座になって今回の話の〔感想〕や〔気がついた事〕などをお一人おひとりに、一言ずつ述べて頂いた。
 ・・といったところで、持ち時間の二時間はちょうど過ぎて、次のご講師の先生へと、バトンタッチしたわけである。
 そして、最後には、僕も少し余裕が出来たせいか、例の「起立、礼!」の声が上がって終ろうとした時、「よっしゃ~、今日のところは、このへんにしといたる!」と(大阪っぽい、つまらん)冗談を飛ばして、爆笑の中、会場を後にしたのであった。めでたし。
 
《おまけ》:後日、主催のローレン会長様より、頂いた今回の「研修会参加者からの感想」を少し付けたす事にします。(僕は誉められて伸びるタイプなので嬉しかったのです!・・〔笑〕)
○話がわかりやすく、かつ楽しかった。
○紙芝居を使っての視覚・聴覚での法話は新鮮でした。
○話し方、考え方、雰囲気とても魅力的でした。
○ある意味、お坊さんらしくなく、そうかと思うと限りなくお坊さんに見えました。
○やりたいことがあって、信念を持ってそれを進めるにあたり、今までの固定観念にとらわれず、やり方をよく考え、相手のことをよく考え、誰もやったことのないことをする勇気に、自分自身も勇気をもらえました。
○仏教について深く学んだことはないが、一度その教えについて学んでみたいと思った。・・エトセトラ、エトセトラ。
 ・・他にも、脇が思わずこそばくなってしまうような嬉しい多くの感想をたくさん頂いた。皆さん、本当にありがとうございました。 
 僕は褒められると伸びるのです!(鼻の下が・・)もうエエか。合掌
 

「大阪南医療センター:患者サロン」への出前

ファイル 395-1.jpg(大阪南医療センター)
「お寺に行きたくても行けない状況にある人の為に、こちらから『お寺を(その雰囲気を)出前』致します・・」というのが、僕のやっている活動のおおざっぱな主旨である。
 そしてそれは、特に『病院』や『福祉施設』などの場所が、その主旨にあっていると自分では思っている。(・・が、最近はその活動場所が、めちゃくちゃ広がってはきている!)
 さて、昨日、そんな僕の主旨にぴったり合った「大阪南医療センター(独立行政法人国立病院機構)」の『患者サロン:ろーずまりー』からの依頼により、院内へ『お寺の出前』に行って来た。
 大きな病院の自動ドアが開いた瞬間、僕の頭の中で、あのテレビドラマ『白い巨塔』の重厚なテーマ曲が流れた。
 ・・と、同時に〔法衣姿〕の僕が、大きな紙芝居を持って、院内ボランティアさん達とゾロゾロ中へ入っていく姿は、一斉にみんなからの注目を浴びた。(「お寺の出前の住職の院内回診(回心?)で~す」とは放送されなかった・・・〔笑い〕。 良かったのは、院内のあちこちに前もってポスターが貼ってあり、前宣伝をしてくれていた為に「場違いな奴が来ている!」といった患者さんからの苦情は出なかった点だ。安心した・・)
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 さて、こちらの講堂で約2時間お話をさせて頂いたのだが、聴きに来て下さった方の人数は、のべ30人ぐらいであったろうか。(入院患者さんが、その半分ぐらいだったか?後はお医者さん達、医療関係者の様であった)
 その話の前半の1時間は、「紙芝居講演」をして、後半の1時間は、少人数で「おしゃべり会」をした。(末期ガンの患者への宗教的ケアってどうすれば良いのか?とか、自死について、又、遺族へのグリーフケアについて、など話があがった)
 帰り際に、ボランティアの代表さんが僕に、「今日の収穫は、院内のドクター達、特に〔偉いさん〕たちが、たくさん話を聴きに来てくれたのが大きな収穫です。・・関心を持ってくれて嬉しかった」と言われた。
 僕は『大病院』というのは、医療者と患者さんとの間の「コミニケーションの構築」に、まだまだ大きな(壁)があるのだなと感じた。
 「又、気軽に呼んで下さい。ピザでも注文する感じで!」と言って、病院を後にした。
 

〔労働組合〕からの出前依頼

 『出会い』というものは、本当に不思議なものだ・・。
 今年の四月一日、大阪の〔北御堂〕で「朝の仏教講座」という講演をさせて頂いた時、その日、たまたまお寺に立ち寄られたという一人の若き『労働組合』の会長さんが、僕の話を聞かれた。
 それが『ご縁』で連絡を頂き、この度『小泉産業グループユニオン』の〔10年 組合員研修会〕へ『お寺の出前』に行く事となった。(昨日、その打ち合わせの為に、その会長さんがうちのお寺に来られたのだ)
 まぁそれで、僕は『労働組合』への〔出前〕は初めてなので、何をお話すれば良いのか?・・と、今でも少し不安だ。
 でも、その不安を打ち消してくれるような、会長さんからのメールが届いたので、(不安感が襲って来る度に)そのメールを読み直して自分を鼓舞している。
 今日はその《不安を和らげるメール》の中身を少し紹介させて頂きたいと思う。

「(前略)・・私はこの4月より労働組合専従者として、こちらに転勤してまいりました。当日は初出勤の朝でした。慣れないラッシュの地下鉄を降りて職場に出向く前に、北御堂で手を合わせる為に立ち寄ったのです。
(中略)・・私が中に入ったら、ちょうどカンダタが堕ちて行くところでした。(この日、僕は紙芝居『くもの糸』他をやった)
 (その紙芝居を見て)、新しい職場、新しい役割のため、緊張と不安で当日を迎えていた私にとって、とんでもなく心落ち着く時間となりました。
 早速 職場でその話をさせてもらいましたら、非常にうらやましく思われただけでなく、私たちの組合の研修にも来て頂けないかという話になりました。
 市場環境のせいか はたまた成果主義のせいか、どうも気配りや思いやりが無くなり、愛情が自分にばっかり向いている人が増えてきている中で、優しい気持ちにさせてもらった私の体験を、周りのみんなにも伝えることができないものかと思うのです・・(後略)」
 ・・そして、今回の正式な『お寺の出前:講演』の依頼となった。
 「なんと、感情移入のし易い、又、やさしい言葉で人をその気にさせる文章であろう!」と、僕は読んで思った。
 人をその気にさせるのは、利益や理屈ではなく、ひょっとすると情念に訴える感情なのかもしれないと、僕はこのメールを読んで思ったのであった。

「カラスと一緒にかえりましょ~」

 昨日で、毎月『お寺の出前』に行っている〔特養老人ホーム白寿苑〕への訪問も、通算で《156回目》になった。
 数えてみれば、この施設に通うようになって14年が経つ。
 ・・我ながらよく続いているなと思うし、又、法話ネタもよく尽きないなとも思う。〔笑い〕(そのコツは、テレビの『水戸黄門』と同じ、大いなる連続ワンパターンネタです)
 が、これもひとえに、毎月厭きずによく通って来て下さる、入居者の皆さんあってのことだ。
 又、支援して下さる施設サイドにも、毎月深く感謝している。
 それで、さて、昨日もその『ワンパターン法話会』が終わり、さぁ片付けて帰ろうとすると、毎月来て下さっているFさんが、僕の手を突然つかみ、「ねぇ、お部屋まで一緒に帰りましょう~」と言われた。(誤解しないでもらいたいが、F婆ちゃんと僕は恋仲ではない。可愛いらしいといえば、可愛いらしい婆ちゃんではあるが・・)
 Fさん、最近特に認知症がひどくなってきて、一人でお部屋まで帰れないのだ。(自分の部屋がどこかもわからない!)
 まぁそれで、一緒に手をつないで、お部屋まで送ったというわけである。(職員さんも手が足りないのだ!サービス、サービス)
 ・・そう、ゆっくり、ゆっくりのFさん歩調なので、退屈さもあって、一緒に歌を唄って帰ることにした。
 大きな声で一緒に「おぉ手て つないで 皆かえろ~、カラスと一緒に帰りましょう~~」のワンフレーズを、何度も何度も、一緒に繰り返し唄いながら、白寿苑・新館までの渡り廊下をフラフラと共に帰ったのであった。 『誰か、このパジャマ姿のお婆ちゃんとカラスのような僧侶姿の僕を、記念にカメラで撮ってくれんかなぁ』と心で思いながら・・・。(それは、まるでチャップリンの『モダンタイムス』の映画のラストシーン様やったと思う!〔笑い〕じゃなくて〔スマイル!〕)
 

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