住職のつぼやき[管理用]

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来客が続いた一週間

 先週、一週間は来客が続いた。
 月曜には、(以前に書いたと思うが、)『お寺の出前』への弟子入り希望の『尼僧』さんが来院。
 いろんな出前裏話を披露。・・驚かれたり、唖然とされたりした。・・で、今月、ご一緒に老人ホームに行って参加して頂くことになった。 さて、どうなるやろ?

 火曜日、『サウンド紙芝居』を実践披露されている〔和我間々倶楽部〕の主催者さん達が来院。
 次月、奈良の黒滝村でコラボでやる「紙芝居」の打ち合わせ。

 水曜日、檀家さん(女性)、仏事相談の為、来院。(ここには書けない。)

 金曜日、太子町役場の職員さん達が、先月の「灯路まつり」での出前法話のお礼に来られる。
 まつりの編集写真などを頂く。
 
 土曜日、檀家さん(男性)、身の上相談の為、来院。(ここには書けない。)

 日曜日、河内長野市 観光ガイドボランティアの方々、来院。
 河内長野の偉人について、紙芝居化できるかを話し合う。
 ・・以上。

 人と会ってしゃべるのは疲れる。
 が、お寺に来てくださるのは、有り難いことでもある。
 
 さて今週も、お客さまの来院や「出前」が、多数控えている。
 体力、気力を充電させておかねば・・。

認知症の方への法話

 いつもいつも難しいと思い、又、もう止めたいと思うのが、認知症の方への(仏教)法話である。
 
 老人ホームでの「法話会」のはなしだ。

 昨日も、とある老人ホームで「法話」をするために、ホーム奥のエレベーターで、四階に上がった。
 ドアが開いたら、そこにお一人の(認知症の)女性がしゃがみ込んでおられる。
「こんにちは・・」と僕。
「あんた、誰や?」とその御老人の女性。
「あの、今日、こちらで法話をさせてもらいます。・・仏さまの話です。・・聞いて下さい」と僕。
「そんなん、私は聞いてない!・・あんた、どこのお寺やねん。・・私等は忙しいねん」と女性。
「まぁ、そう言わずに聞いて下さい。・・すぐ終わりますから。」
と僕。
「何分ぐらいや?」と女性。
「10分ほどですから。・・しんどかったら、途中で帰られてもエエですよ。」と僕。

 ・・と、こんな調子で無理やり(五人ぐらいの方に)座ってもらって「法話会」を開く。

「今日は、『くもの糸』というお話をします。・・解りやすいように『紙芝居』を使ってお話します。」と僕。
「はやくしてや。こっちは忙しいねんから。」と先ほどの女性。
「はい、解りました。・・昔むかしのお話。或る日の朝、お釈迦さまは・・。」と、間髪おかずに話し始める。
 
 話してゆくうちに、横をプイッと向かれていた先ほどの女性が、「紙芝居」を食い入るように見始める。
 そして、紙芝居が終って、ちょっと人間のエゴについてお話して終りにする。・・ちょうど10分ぐらいだ。

 この女性、さっきとは打って変わって、「良かったわー、お話。又、来て下さいね。」と言って、(上機嫌で)こんどは僕を、ここから帰そうとしない。そして、ご自分の身の上話を始める。何度も、何度も、同じ話を・・。しかし、ちょっとづつ、内容が変化してゆき、身の上話のつじつまが合い出す。・・が、今日はここまで。 僕は帰る時間だ。
 彼女は、エレベーターのトコまで送りに来てくれる。(しかも手を振って見送ってくれる。)

 ・・がしかし、次回、お会いする時は、又彼女の罵声を聞いて、一から説明して、勢いで話を始めねばならない・・だろう。
 
 『ほんま、自分はいったい何をしてるんや?・・こんな事やって、意味があるのか?』と自暴自棄になりながら、一階の受け付けで、次回に来る日を、又決めて帰る。・・しかも、作り笑顔で。
 そんな自分が、時々嫌になるが、でもやっぱり好きなんやろなぁ・・。 入所者の方にお会いするのが。 僕の業かも。

〔アクリルたわし〕講習会

ファイル 793-1.jpg(観念寺ホールにて)
 先週の土曜日、うちの寺で、観念寺仏教婦人会主催による〔アクリルたわし作り〕講習会を開いた。
 二十一名の参加で、和気藹々と『洗剤の入らないエコたわし』が(皆さんの手で)作られていった。
ファイル 793-2.jpg(「見て見て~、完成!」)
 ご講師は、うちの檀家の「編み物教室」を開いておられるT先生にお願いし、ボランティアで丁寧に教えて頂いた。
 その甲斐あって、全員が一つずつ作ることができた。
 ほんま、好かった良かった善かった!
ファイル 793-3.jpg(アクリル(エコ)たわし完成!)
 「おうちに帰って、(作り方を忘れん内に)もう一つ作ってみよ!」と、キャキャ言いながら、皆さんお帰りになられた。
 『お寺を皆さんの《憩いの場》にしたい!』と考える主催者側からすれば大成功であった。
 さて、次回は(年内に)『干支のちぎり絵色紙』講習会を開きたいと思っている。
 又、たくさんのご参加をお待ちしております。合掌
 

西法寺さまの報恩講

ファイル 790-1.jpg

 昨日、柏原市の「西法寺」さまの報恩講法要へ、『紙芝居法話』に行かせて頂いた。
 その、こちらの法要で驚いたことが二つあった。

 一つは、僕の遠い親戚のおじさん(お祖父ちゃんの末弟のご子息さん)にバッタリ出会ったこと。
 お寺の門の所で、「直樹・・くん」と呼び止められたので、「馴れ馴れしい人やなぁ・・」と思ってよく見たら、おじさんだった。
 ・・何十年ぶりか?(こちらのお寺の案内に、僕の名前があったのでご夫婦で来て下さったらしい。・・ご縁とは誠に不思議なものだ。・・又、TV「よーいどん」の放送も見て下ったらしい。)
 おじさん夫婦は(その昔、)柏原に引っ越された・・というのは知っていたのだが、まさか「西法寺」さまの檀家さんになっておられたとは、露知らなかった。 
 「法話が終ったら、遊びにおいで」と言って下さったのだが、今日は他にも用事があったので、丁重にお断りさせて頂いた。

 もう一つ、驚いたこと。
 それは、「紙芝居法話」が終って、後片付けをしていたら、一人の女性の尼僧さんが近寄って来られて、(この方も、お寺の案内を見られて来られた方だ。)僕に、「お寺の出前は、一人でやっておられるのですか?」と尋ねかけられたので、「はい」と答えると、
 突然、「私を弟子にして下さい!」と両手を突いて(お芝居掛かって)おっしゃられた。
 思わず僕は、「はぁ~?」と言ったが、事情をお聞きすると、ご自分も病院や介護施設などに「法話」に行きたい、ということであった。
 「では又、機会がありましたら・・ご一緒に行きましょうか」と言って、この日は(無事)何とか退散する事が出来た。

 ・・ほんま、この日はいろいろあったわ~。
 

千代田公民館「くろまろ塾」への出前

ファイル 786-1.jpg(塾マスコット『くろまろ博士』)
 昨日、河内長野市「千代田公民館」へ(「くろまろ塾」講座の)『お寺の出前』に行って来た。
 その「くろまろ塾」というのは、「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも、みずから」自分にあった学びをみつけ学習しようじゃあ~りませんか、と(河内長野市が)企画し主催する『市民大学』である。
 そして、その市民大学イメージマスコットが(写真)の『くろまろ博士』なのである。
 この『くろまろ』というのは、『クロマニヨン人』がモデルではなく、又『のどくろ飴』にもまったく関係のない、古代人「高向玄理(タカムロノクロマロ)」さんがモデルになっている。
 この「くろまろ」さんとは、今から1400年前の聖徳太子の時代の人で、日本初の国費留学生で、隋の国に32年間も学び、帰国後、日本の政治体制を築いた、すっごく偉い人らしい。
ファイル 786-2.jpg(河内長野市「千代田公民館」)
・・まぁ、その話はエエとして、僕はその「くろまろ塾」講座に呼んで頂き、「稲むらの火」の話をテーマとした『紙芝居講座』を開かせて頂いたのである。
ファイル 786-3.jpg(おかもちを持って登場)
 講座の持ち時間が〔一時間半〕もあったので、「どない使おうか?」と悩んだ末、日頃の僕の「出前」活動をお話させて頂き、それから「紙芝居」を実際に見て頂き、時間を潰そう・・もとい、時間を使おうと考えた。
ファイル 786-4.jpg(紙芝居『稲むらの火』)
 まぁ、それで教室には、このブログにもちょいちょい出演して下さるあの『ラコはん』も聴きに来て下さっていて、何か気楽にお話させて頂くことが出来た。(一番前の席に居られ、せんと君人形が机の上を陣取っていたので、ちょっとびっくりしたわ。)
 今が旬の『紙芝居』になってしまったこの『稲むらの火』であるが、もう一度、どんな話か知りたい人は、下の(ブログ)をクイックして読んでみて下さい。
『津波編』(前編)https://o-demae.net/blog/archives/667.html
     (中編)https://o-demae.net/blog/archives/676.html
     (後編)https://o-demae.net/blog/archives/669.html

『復興編』(前編)https://o-demae.net/blog/archives/675.html
     (中編)https://o-demae.net/blog/archives/676.html
     (後編)https://o-demae.net/blog/archives/677.html
     (余話)https://o-demae.net/blog/archives/678.html
ファイル 786-5.jpg(紙芝居『大阪に津波が来た日』)
 さらに、その『稲むらの火~余話「大阪編」』もついでに、読んでみたい人は、下をクイックして下さい。
 (前編)https://o-demae.net/blog/archives/703.html
 (中編)https://o-demae.net/blog/archives/704.html
 (後編)https://o-demae.net/blog/archives/705.html
 もひとつ、この時の『出前』風景を「ラコはんバージョン」で読みたい方は、下を、もひとつクイックしてね。
 (ラコはん日記)
  http://ameblo.jp/lakota/entry-11058696230.html
 まぁ、今日はこんなトコにしとこか・・。
 ちょっと、気になった『アンケート結果』もあってんけど、それは又、いつか、・・するかもしれん。

「〔紙芝居〕カルピスを発明した僧侶」、製作中

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 一昔前は『甘くてすっぱい初恋の味、カルピス』。
 そして現在は『身体にピース、カルピス』・・に、宣伝文句は変わりましたが、この『カルピス』ってお坊さんが発明した飲み物って知ってましたか?
 そのお坊さんの名は『三島海雲(みしま かいうん)』翁と言い、大阪は箕面市の浄土真宗のお寺(『教学寺』)に生れました。
 彼の人生は波乱の連続で、〔お坊さん〕の資格は取ったもののお寺を継がず、学校の〔教師〕になり、さらに機会を得て、中国に渡り〔商人〕になりました。
 時は、日露戦争に入ったばかりで、彼は商売の為、モンゴルへ軍馬の調達に出ます。
 その長旅の疲れで、旅の途中、倒れてしまった時、モンゴル人から〔『ジョウヒ』という名の発酵乳酸飲料〕を飲ませてもらい元気を回復します。
 『これは、凄い飲み物だ!』と感動した三島海雲は、日本に帰り、お寺の本堂地下で製品研究を重ね、ついに『カルピス』を完成させるのです。
 カルピスの『カル』は「カルシュウム」の『カル』。
 カルピスの『ピス』は、仏教語『醍醐(だいご)=最高の味の意味する「サルピスマンダ」』から「ピス」を取り、名づけられました。
 そして『カルピス』は大ヒット。・・東京進出を図りますが、その時『関東大震災』が首都を襲います。
 その時、三島海雲がとった行動が、工場のすべてのカルピスに氷を入れて飲めるようにして、無料で被災者に配ることでした。
 それによって彼の会社は、すっからかんになりますが、今度は助けてもらった市民が、彼をそしてカルピスを支え、今日の発展へと向かわせます。
 最後まで『仏教の奉仕精神』を失わなかった『三島海雲』の生涯を今、紙芝居にして作っています。
 あまりにスケールが大きい為に、現地取材(中国・モンゴル)に行けず、今、資料だけをたよりに絵を描いています。 
 ありがたいことに、現『教学寺』の住職は、僕の友人である為、『海雲』翁のいろんな裏話を聞かせてもらいながら、書き進めています。
 今年中には完成予定の紙芝居『カルピスを作った僧侶~三島海雲』。・・今、必死に(時間を見つけ)製作中です。お楽しみに
 

和歌山県「熊野川町」でのボランティア

 去る9月3・4日、紀伊半島を中心に襲った「台風12号」による「豪雨被害」は甚大なものであった。
 全国で死者・行方不明者は〔100名〕を越え、平成に入って最悪の被害状況であるといわれている。
 大阪という〔日頃から(出前で)お世話になっている奈良・和歌山の〕隣接地に住んでいる僕は、機会があれば是非、ボランティアに行かせて頂きたいと思っていた。
ファイル 783-1.jpg(本町:北御堂を出発)
 そしてついにその機会が来た。
 浄土真宗本願寺派「大阪教区」が、被災地(日帰り)ボランティア活動要員を募集してきたのである。
 僕は(年甲斐も無く、この情報に)飛びついた。(ついでに娘も巻き込んだった。〔笑〕)
 そして、昨日、スタッフを含め〔13名〕、マイクロバスに乗って「和歌山県熊野川町」に出発した。
 出発時間は、朝の5時50分。到着まで「4時間」の長旅となった。(往復8時間、腰が痛なった)
ファイル 783-2.jpg(和歌山県新宮市熊野川町)
 午前10時、現地到着。
 現場の状況を見て、東北の津波被害地を思い出した。
 家々はなんとか残っているが、(二階まで水が上がって来たようで)住んで居られる方は少なかった。
ただ違うのが、家屋の残り具合だろうか。津波はエネルギーが強いため、洗いざらい押し流してしまったが、豪雨被害は、津波のような(すべてを押し流す)強いエネルギーはなかったように感じた。
 又、写真の『鉄橋』の高さまで〔水〕が来たらしく、木屑が絡んでいたのが下から見えた。
ファイル 783-3.jpg(新宮市災害ボランティアセンター)
 僕たちは、まず『新宮市災害ボランティアセンター〔熊野川サテライト〕』に行き、「ボランティア活動保険」に加入し、ボランティアを要望されているお家に向かうことになった。
ファイル 783-4.jpg(道具の揃った「熊野川サテライト」)
 サンダーバード2号機のコンテナのように、シャベル・つるはし・一輪車などが豊富に揃ったボランティアセンターから、いろんな道具を借りて、作業着に着替え出発。
 この日は、ひとり暮らしだった(水害を受けた)お婆さんのお家の中の後片付けが、主な仕事となった。
 すでに被災一ヶ月を過ぎていた為、家の中は埃まみれの泥まみれ、しかも冷蔵庫の中の品もそのままの状態。(臭いが・・凄かった)又、泥でめちゃくちゃになり(膨れて引き出しの開かぬ)タンスや膨張した畳などを皆で外へ運び出す。・・そんな作業の繰り返しで半日が終った。(綺麗さっぱりしたで。・・僕等の服は埃まみれになったが。)
ファイル 783-5.jpg(働くおじさん=坊さん)
 そして後の半日は、別の場所に移り、家の横の金網についた川の藻などを取ったり、庭を被った泥などを除去し排水が流れるようにしたりした。
・・そう一日のほとんどが、肉体労働でした。(僕にはきつかった・・。)
 そうそう、ちょっとしたハプニングがここで僕に起こった。
 それはあまりに埃がひどかったので、途中、ぼくは小川の橋の上で(隣の家からホースを引っ張って来て)顔を洗った。そしたら川の中にメガネを落としてしもた。(メガネ、メガネ・・。ヤッさん状態)
 急いで、川の中に入って探そうとしたら、ボランティアリーダーさんがそれを見て、さっと躊躇いもなく川の中に入ってくれて、一緒に探してメガネを見つけて下さった。(ほんま有難かったわー、感謝!メガネも割れてなかった)
 まぁそんないろんな事があったけど、様々な貴重な体験をさせて頂き、行かせてもらって良かったと思った。
 ・・帰ってきたら、もうへとへと。でも少しでも早く臭いを取りたくて、すぐにお風呂に入ったわ。
 でも、又、機会があったら、すぐに出動するで! 年甲斐もなく・・、もうええか。(笑い)

Oさんの余命

 昨日の『特養老人ホーム白寿苑』での話。
 玄関から入るなり、職員のK君が僕に近づいて来て言われた。
「いつも元気に『法話会』に来ておられる、入所者のOさん(女性)が、先週、苑内で倒れられ、検査の結果〔末期の癌〕である事が解りました。・・余命は幾ばくです。もちろん、ご本人はその事を知らないのですが、少し精神的に不安なようで、住職さん、今日の『法話会』が終ってから、少しOさんのお話を聴いてあげて貰えませんか?」と、いう内容だった。
 
 Oさんは上品な人で、いつも僕が苑から帰ろうとすると、「ご遠方でしょう。気をつけて帰ってくださいね。そして又、来月も必ず、お話に来て下さいね。待ってます」と言って下さる。
 その方の命の時間が、もう幾ばく・・。
 しかし、ショックなような顔は出来ない。いつもと同じように(法話会終了後、)お話させてもらった。
 開口一番、ご本人は「私、命拾いしました。・・もうあかんか思ったのですが、救急病院に運ばれて助かりました。好かったわー。」とおっしゃられた。
 僕は何事もないように「それは良かったですね。・・たいへんやったんですね。」と答えた。
 Oさんはそれから、救急病院での話をいろいろとして下さった。
 そして「私、運がよかったんやねぇ」とおっしゃられたので、一瞬、僕は目を伏せたが「そうですねぇ。命があったんですものねぇ」と答えた。
 するとOさんは、「・・住職さん、私に何かお寺の用事で手伝える事はありませんか?」と尋ねられた。
 僕は「じゃあ、以前作って下さったような、花の形に切った(お供え物に敷く)折り紙の懐紙をたくさん作ってもらえませんか?」と頼んだ。
 Oさんは、パッと顔色を輝かせて「そうですか。仏様のお供え物の懐紙が作れるなんてとても幸せ。・・たくさん作りますね」と言われた。
 「楽しみにしてますので、一杯一杯作ってくださいね。」と僕が言うと、急いで車椅子を動かし、お部屋まで帰って行かれた。
 その後ろ姿を見ながら、僕は『Oさんはご自分の(この世での)余命を知っておられるのではないだろうか?』と思った。
 しかし、最後まで『何かの役に立てる』と、気力を持つことは大切な事だと思う。・・ガンバレ、Oさん。 合掌
 

「竹内街道 灯路祭り」への出前

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 昨日の夜、(小雨の中)大阪府太子町の『竹内(タケノウチ)街道』に設けられた「灯路祭り」へ『紙芝居』の出前に行って来た。
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 聖徳太子のお膝元である太子町から奈良へと抜ける道、これを日本最古の官道『竹内街道』という。
 この石畳で整備された趣のある街道沿いに、小さな灯籠が並べられ、お寺内での「雅楽の演奏会」や、旧家での「二胡の演奏会」などが開かれ、さらに軒下ギャラリーという「絵画展示会」や「夜店」などが出る。
ファイル 781-3.jpg(太子町『松井邸』)
 そして僕は、街道沿いの旧家であるゴージャスな『松井邸』で、「仏教紙芝居」を披露させて頂いた。
ファイル 781-4.jpg
 あいにくの雨で、人の集まりはまばらであったが、情緒ある昔風情たっぷりの優しい雰囲気のお祭りとなった。・・僕はこんな雰囲気、好きである。
 お世話になりました『松井家』の皆様、又『竹内街道にぎわいづくり協議会』の皆様、ありがとうございました。 合掌

報恩講が終わりました!

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 昨日、(小雨の中)うちの寺の〔年一回〕の大イベント「報恩講(ホウオンコウ)法要」が、無事に終わりました。
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 今年は、村の祭りと日が重なった為、(だんじりが待機するので)いつもの駐車場がお借りできなくて、ご参集下さるご寺院様方、又、檀家さま方にはいろいろと(駐車スペースの事で)ご迷惑をお掛けしました。
 えっらい、すんまへんでした。
 でも、たくさんのお参りで、とても嬉しかったです。
 今、「ほっ」としてます。
ファイル 780-3.jpg(石田しぇんしぇい)
 又、ご講師の〔善林寺〕ご住職『石田圓照』先生、毎年毎年、お忙しい中お越し頂き、今年もありがとうございました。
 私、先生の御法話を聞かせて頂くのが大好きなんです。
 何ちゅうか、ご自分の身近な(ちっちゃな自虐ネタ?)エピソードをちりばめながら、仏様のお話を深めていかはるテクニックは、ほんま凄いっと毎回感心してしまいます。(このテクニックを盗んだろかと思うのですが、とても出来ません。・・やはり、個性というのはその人独特のものなのでしょうね。とてもマネできまへん。・・僕は僕の持ち味でゆきますわ。)
 まあ、今年も無事にこの法要が終わりました。後は正月を待つだけか?!・・ちゃうかぁ?

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