住職のつぼやき[管理用]

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認知症の方とのコミュニケーション「バリデーション療法」

ファイル 807-1.jpg(高落(タカムラ)敬子先生)
 昨日、河南町介護者家族の会:主催の「さくらんぼフェスティバル」が開かれ、農林環境改善センターまで行って来た。(僕はこの会の〔幹事〕なのです)
 で、昨日は、社会医療法人大道会在宅事業部:大阪市認知症介護指導者の〔高落敬子〕さまをお招きし、『認知症の人とのコミニュケーションを考える ~バリデーションからの学び』という講題でお話を頂いた。
 で、まず『バリデーション』って何?という素朴な疑問からお話を始めてくださったのだが、日々、老人ホームで『法話会』をして、虚無感に襲われている僕にとっては、正に『眼から鱗が落ちる』ほどの感動があった。
 それでは(今日は)、その『バリデーション療法』について(僕の理解したトコだけ)簡単に書かせていただきたいと思う。
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 この『バリデーション』とは、元もと『認める、確認する』という意味なのだそうで、この言葉はアメリカのソーシャル・ワーカー:ナオミ・フェイルさんが、認知症の方とのコミュニケーション術として、開発されたそうだ。
 この療法の特徴は、認知症の方が、騒いだり、徘徊したりすることにも『何か意味がある!』と捉え、なぜ騒ぐのか?、なぜ徘徊するのか?を患者さんの歩んで来た人生に照らし合わせ、《共感して接する》という事に重点を置くことなのだそうだ。
 高落先生のお話をお聞きして、徘徊にも、他人を非難したり「盗んだ」と責めたりすることにも、何か(その奥に)重要な意味がある、ということに改めて気づかせて頂いた。
 でも、この療法をマスターするには、自分自身、常に〔仏様〕のような気持ちで人と接しなくてできないのでは・・と思った。(自分の心の中、又、その変化を常に客観的に見ておかねばならないような・・そんな難しさがあるように感じた。)
 この方法って、ひょっとしたら、昔、お釈迦さまや偉大な宗教者・医療者たちが行っていた、対人療法なのではなかろうか?・・とも思ったのであった。 

東大阪:「地域ふれあい事業」への出前

ファイル 803-1.jpg(子育て支援センター)
 昨日、東大阪市の「子育て支援センター」、「瓢箪山まちつくり協議会」、「河内西国霊場会」共催による〔地域ふれあい事業〕が、「子育て支援センターあさひっこ」さんで行われ、紙芝居法話を頼まれたので行って来た。
 今回は久々に悩んだ。
 というのは、対象者の年齢層が始まる直前まで解らないという事だったので・・。
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 で、主催者の方から、今年は「地震・津波被害」があったので、絶対『稲むらの火』の紙芝居はやって欲しいと頼まれていた。
 が、この紙芝居も、考えてみれば大人向きに作ったものなので、セリフが難しい。
 そして会が開けば、思ったとおり、幼児・お母さんから若者、そしてお年寄り方まで、混ざりあって座っておられる。
 これは、セリフを読みながら紙芝居をめくっていては、子供は退屈し、かつ理解できないと思い、オールアドリブでセリフを語り、難しい箇所はすべてカットして、紙芝居を演じることにした。
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 そして、この日は『三尺三寸の箸』と『稲むらの火』の二本の紙芝居をした。
 まぁ、なんとか(汗をかきつつ)僕の時間は終えた。(好評であったような感じはした・・が?)
ファイル 803-4.jpg(桂文福さんの落語)
 その後、元、東大阪の瓢箪山住人であったという、『桂文福』さんによる落語が披露された。
ご本人の話によると、文福さんも〔和歌山県〕出身で、「稲むらの火」の話は子供の頃によく聞かされたらしい。懐かしかったとのことだ。
 さて、文福さんは、さすがプロの落語士。話の間の取り方も上手で、話の合間にアドリブで、僕の紙芝居の事なども話に入れて進めてゆかれるので『凄い!』と思った。(勉強させて頂きました。)
 そして、落語終了後、『河内西国霊場会』のお坊さんたちは、瓢箪山駅に向けて、(東日本大震災復興を願って)托鉢に出発された。
 ほんま、各地域の世代を超えた〔ふれあい事業〕は活発になってきていると感じた一日であった。
 

『団体参拝客』、観光バスツアーがやって来た!

ファイル 802-1.jpg(大型バス到着!)
 今日、浄土真宗大谷派(お東)の〔熊取・岸和田・貝塚・泉大津地区〕の推進員さんたちが、大型バスでツアーを組み、やって来られた。
 つまり団体参拝であり、うちへは「紙芝居法話」を聞かれるのが目的だった。

 大型バスで来られた為、(うちの前の道が狭いので)寺の門前まで入って来れなくて(苦笑)、近くの医院前にバスを留めて頂き、そこからは徒歩で来て頂いた。・・つまり、病から仏への道程であった。(何ちゅう、縁起でもないことを言うのや・・(でも、ここは笑ってもらうトコです。))
ファイル 802-2.jpg(本堂で勤行)
 ドッドッドッと、お寺にやって来られたツアー団は、まずは二階本堂で勤行。(お東さんの「正信偈」の節は、うち(西)とはちょっと違うのだ!始めて聞かせて頂きました)
ファイル 802-3.jpg(紙芝居披露)
 その後、一階ホールで「紙芝居披露」。(この日は、事前に(添乗員さんから)聞かせていていたお客さんのリクエストによって、「くもの糸」を中心にお話しさせて頂いた)
ファイル 802-4.jpg(また会う日まで!?)
 そして、約一時間の『観念寺:紙芝居観光』は終り、ツアーのお客さんたちは、次の目的地である〔奈良:橿原市〕へとニコニコしながら向かわれたのであった。 おしまい 
 あ~っ疲れた。『お寺の出前』もしんどいけど、『お寺のお客』も結構・・くるわ。

 それでは最後、『大型バス(バスごっこ)』の替え歌を・・。
「大型バスが、やって来る~
 法話はみんな紙芝居
 お困りね (ハイ)
 戸惑いね (ハイ)
 おもろいね (ハイ)
 お笑いね (ハイ)
 最後は皆で、礼拝(ハーイ)」 おそまつ!

来客が続いた一週間

 先週、一週間は来客が続いた。
 月曜には、(以前に書いたと思うが、)『お寺の出前』への弟子入り希望の『尼僧』さんが来院。
 いろんな出前裏話を披露。・・驚かれたり、唖然とされたりした。・・で、今月、ご一緒に老人ホームに行って参加して頂くことになった。 さて、どうなるやろ?

 火曜日、『サウンド紙芝居』を実践披露されている〔和我間々倶楽部〕の主催者さん達が来院。
 次月、奈良の黒滝村でコラボでやる「紙芝居」の打ち合わせ。

 水曜日、檀家さん(女性)、仏事相談の為、来院。(ここには書けない。)

 金曜日、太子町役場の職員さん達が、先月の「灯路まつり」での出前法話のお礼に来られる。
 まつりの編集写真などを頂く。
 
 土曜日、檀家さん(男性)、身の上相談の為、来院。(ここには書けない。)

 日曜日、河内長野市 観光ガイドボランティアの方々、来院。
 河内長野の偉人について、紙芝居化できるかを話し合う。
 ・・以上。

 人と会ってしゃべるのは疲れる。
 が、お寺に来てくださるのは、有り難いことでもある。
 
 さて今週も、お客さまの来院や「出前」が、多数控えている。
 体力、気力を充電させておかねば・・。

認知症の方への法話

 いつもいつも難しいと思い、又、もう止めたいと思うのが、認知症の方への(仏教)法話である。
 
 老人ホームでの「法話会」のはなしだ。

 昨日も、とある老人ホームで「法話」をするために、ホーム奥のエレベーターで、四階に上がった。
 ドアが開いたら、そこにお一人の(認知症の)女性がしゃがみ込んでおられる。
「こんにちは・・」と僕。
「あんた、誰や?」とその御老人の女性。
「あの、今日、こちらで法話をさせてもらいます。・・仏さまの話です。・・聞いて下さい」と僕。
「そんなん、私は聞いてない!・・あんた、どこのお寺やねん。・・私等は忙しいねん」と女性。
「まぁ、そう言わずに聞いて下さい。・・すぐ終わりますから。」
と僕。
「何分ぐらいや?」と女性。
「10分ほどですから。・・しんどかったら、途中で帰られてもエエですよ。」と僕。

 ・・と、こんな調子で無理やり(五人ぐらいの方に)座ってもらって「法話会」を開く。

「今日は、『くもの糸』というお話をします。・・解りやすいように『紙芝居』を使ってお話します。」と僕。
「はやくしてや。こっちは忙しいねんから。」と先ほどの女性。
「はい、解りました。・・昔むかしのお話。或る日の朝、お釈迦さまは・・。」と、間髪おかずに話し始める。
 
 話してゆくうちに、横をプイッと向かれていた先ほどの女性が、「紙芝居」を食い入るように見始める。
 そして、紙芝居が終って、ちょっと人間のエゴについてお話して終りにする。・・ちょうど10分ぐらいだ。

 この女性、さっきとは打って変わって、「良かったわー、お話。又、来て下さいね。」と言って、(上機嫌で)こんどは僕を、ここから帰そうとしない。そして、ご自分の身の上話を始める。何度も、何度も、同じ話を・・。しかし、ちょっとづつ、内容が変化してゆき、身の上話のつじつまが合い出す。・・が、今日はここまで。 僕は帰る時間だ。
 彼女は、エレベーターのトコまで送りに来てくれる。(しかも手を振って見送ってくれる。)

 ・・がしかし、次回、お会いする時は、又彼女の罵声を聞いて、一から説明して、勢いで話を始めねばならない・・だろう。
 
 『ほんま、自分はいったい何をしてるんや?・・こんな事やって、意味があるのか?』と自暴自棄になりながら、一階の受け付けで、次回に来る日を、又決めて帰る。・・しかも、作り笑顔で。
 そんな自分が、時々嫌になるが、でもやっぱり好きなんやろなぁ・・。 入所者の方にお会いするのが。 僕の業かも。

〔アクリルたわし〕講習会

ファイル 793-1.jpg(観念寺ホールにて)
 先週の土曜日、うちの寺で、観念寺仏教婦人会主催による〔アクリルたわし作り〕講習会を開いた。
 二十一名の参加で、和気藹々と『洗剤の入らないエコたわし』が(皆さんの手で)作られていった。
ファイル 793-2.jpg(「見て見て~、完成!」)
 ご講師は、うちの檀家の「編み物教室」を開いておられるT先生にお願いし、ボランティアで丁寧に教えて頂いた。
 その甲斐あって、全員が一つずつ作ることができた。
 ほんま、好かった良かった善かった!
ファイル 793-3.jpg(アクリル(エコ)たわし完成!)
 「おうちに帰って、(作り方を忘れん内に)もう一つ作ってみよ!」と、キャキャ言いながら、皆さんお帰りになられた。
 『お寺を皆さんの《憩いの場》にしたい!』と考える主催者側からすれば大成功であった。
 さて、次回は(年内に)『干支のちぎり絵色紙』講習会を開きたいと思っている。
 又、たくさんのご参加をお待ちしております。合掌
 

西法寺さまの報恩講

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 昨日、柏原市の「西法寺」さまの報恩講法要へ、『紙芝居法話』に行かせて頂いた。
 その、こちらの法要で驚いたことが二つあった。

 一つは、僕の遠い親戚のおじさん(お祖父ちゃんの末弟のご子息さん)にバッタリ出会ったこと。
 お寺の門の所で、「直樹・・くん」と呼び止められたので、「馴れ馴れしい人やなぁ・・」と思ってよく見たら、おじさんだった。
 ・・何十年ぶりか?(こちらのお寺の案内に、僕の名前があったのでご夫婦で来て下さったらしい。・・ご縁とは誠に不思議なものだ。・・又、TV「よーいどん」の放送も見て下ったらしい。)
 おじさん夫婦は(その昔、)柏原に引っ越された・・というのは知っていたのだが、まさか「西法寺」さまの檀家さんになっておられたとは、露知らなかった。 
 「法話が終ったら、遊びにおいで」と言って下さったのだが、今日は他にも用事があったので、丁重にお断りさせて頂いた。

 もう一つ、驚いたこと。
 それは、「紙芝居法話」が終って、後片付けをしていたら、一人の女性の尼僧さんが近寄って来られて、(この方も、お寺の案内を見られて来られた方だ。)僕に、「お寺の出前は、一人でやっておられるのですか?」と尋ねかけられたので、「はい」と答えると、
 突然、「私を弟子にして下さい!」と両手を突いて(お芝居掛かって)おっしゃられた。
 思わず僕は、「はぁ~?」と言ったが、事情をお聞きすると、ご自分も病院や介護施設などに「法話」に行きたい、ということであった。
 「では又、機会がありましたら・・ご一緒に行きましょうか」と言って、この日は(無事)何とか退散する事が出来た。

 ・・ほんま、この日はいろいろあったわ~。
 

千代田公民館「くろまろ塾」への出前

ファイル 786-1.jpg(塾マスコット『くろまろ博士』)
 昨日、河内長野市「千代田公民館」へ(「くろまろ塾」講座の)『お寺の出前』に行って来た。
 その「くろまろ塾」というのは、「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも、みずから」自分にあった学びをみつけ学習しようじゃあ~りませんか、と(河内長野市が)企画し主催する『市民大学』である。
 そして、その市民大学イメージマスコットが(写真)の『くろまろ博士』なのである。
 この『くろまろ』というのは、『クロマニヨン人』がモデルではなく、又『のどくろ飴』にもまったく関係のない、古代人「高向玄理(タカムロノクロマロ)」さんがモデルになっている。
 この「くろまろ」さんとは、今から1400年前の聖徳太子の時代の人で、日本初の国費留学生で、隋の国に32年間も学び、帰国後、日本の政治体制を築いた、すっごく偉い人らしい。
ファイル 786-2.jpg(河内長野市「千代田公民館」)
・・まぁ、その話はエエとして、僕はその「くろまろ塾」講座に呼んで頂き、「稲むらの火」の話をテーマとした『紙芝居講座』を開かせて頂いたのである。
ファイル 786-3.jpg(おかもちを持って登場)
 講座の持ち時間が〔一時間半〕もあったので、「どない使おうか?」と悩んだ末、日頃の僕の「出前」活動をお話させて頂き、それから「紙芝居」を実際に見て頂き、時間を潰そう・・もとい、時間を使おうと考えた。
ファイル 786-4.jpg(紙芝居『稲むらの火』)
 まぁ、それで教室には、このブログにもちょいちょい出演して下さるあの『ラコはん』も聴きに来て下さっていて、何か気楽にお話させて頂くことが出来た。(一番前の席に居られ、せんと君人形が机の上を陣取っていたので、ちょっとびっくりしたわ。)
 今が旬の『紙芝居』になってしまったこの『稲むらの火』であるが、もう一度、どんな話か知りたい人は、下の(ブログ)をクイックして読んでみて下さい。
『津波編』(前編)https://o-demae.net/blog/archives/667.html
     (中編)https://o-demae.net/blog/archives/676.html
     (後編)https://o-demae.net/blog/archives/669.html

『復興編』(前編)https://o-demae.net/blog/archives/675.html
     (中編)https://o-demae.net/blog/archives/676.html
     (後編)https://o-demae.net/blog/archives/677.html
     (余話)https://o-demae.net/blog/archives/678.html
ファイル 786-5.jpg(紙芝居『大阪に津波が来た日』)
 さらに、その『稲むらの火~余話「大阪編」』もついでに、読んでみたい人は、下をクイックして下さい。
 (前編)https://o-demae.net/blog/archives/703.html
 (中編)https://o-demae.net/blog/archives/704.html
 (後編)https://o-demae.net/blog/archives/705.html
 もひとつ、この時の『出前』風景を「ラコはんバージョン」で読みたい方は、下を、もひとつクイックしてね。
 (ラコはん日記)
  http://ameblo.jp/lakota/entry-11058696230.html
 まぁ、今日はこんなトコにしとこか・・。
 ちょっと、気になった『アンケート結果』もあってんけど、それは又、いつか、・・するかもしれん。

「〔紙芝居〕カルピスを発明した僧侶」、製作中

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 一昔前は『甘くてすっぱい初恋の味、カルピス』。
 そして現在は『身体にピース、カルピス』・・に、宣伝文句は変わりましたが、この『カルピス』ってお坊さんが発明した飲み物って知ってましたか?
 そのお坊さんの名は『三島海雲(みしま かいうん)』翁と言い、大阪は箕面市の浄土真宗のお寺(『教学寺』)に生れました。
 彼の人生は波乱の連続で、〔お坊さん〕の資格は取ったもののお寺を継がず、学校の〔教師〕になり、さらに機会を得て、中国に渡り〔商人〕になりました。
 時は、日露戦争に入ったばかりで、彼は商売の為、モンゴルへ軍馬の調達に出ます。
 その長旅の疲れで、旅の途中、倒れてしまった時、モンゴル人から〔『ジョウヒ』という名の発酵乳酸飲料〕を飲ませてもらい元気を回復します。
 『これは、凄い飲み物だ!』と感動した三島海雲は、日本に帰り、お寺の本堂地下で製品研究を重ね、ついに『カルピス』を完成させるのです。
 カルピスの『カル』は「カルシュウム」の『カル』。
 カルピスの『ピス』は、仏教語『醍醐(だいご)=最高の味の意味する「サルピスマンダ」』から「ピス」を取り、名づけられました。
 そして『カルピス』は大ヒット。・・東京進出を図りますが、その時『関東大震災』が首都を襲います。
 その時、三島海雲がとった行動が、工場のすべてのカルピスに氷を入れて飲めるようにして、無料で被災者に配ることでした。
 それによって彼の会社は、すっからかんになりますが、今度は助けてもらった市民が、彼をそしてカルピスを支え、今日の発展へと向かわせます。
 最後まで『仏教の奉仕精神』を失わなかった『三島海雲』の生涯を今、紙芝居にして作っています。
 あまりにスケールが大きい為に、現地取材(中国・モンゴル)に行けず、今、資料だけをたよりに絵を描いています。 
 ありがたいことに、現『教学寺』の住職は、僕の友人である為、『海雲』翁のいろんな裏話を聞かせてもらいながら、書き進めています。
 今年中には完成予定の紙芝居『カルピスを作った僧侶~三島海雲』。・・今、必死に(時間を見つけ)製作中です。お楽しみに
 

和歌山県「熊野川町」でのボランティア

 去る9月3・4日、紀伊半島を中心に襲った「台風12号」による「豪雨被害」は甚大なものであった。
 全国で死者・行方不明者は〔100名〕を越え、平成に入って最悪の被害状況であるといわれている。
 大阪という〔日頃から(出前で)お世話になっている奈良・和歌山の〕隣接地に住んでいる僕は、機会があれば是非、ボランティアに行かせて頂きたいと思っていた。
ファイル 783-1.jpg(本町:北御堂を出発)
 そしてついにその機会が来た。
 浄土真宗本願寺派「大阪教区」が、被災地(日帰り)ボランティア活動要員を募集してきたのである。
 僕は(年甲斐も無く、この情報に)飛びついた。(ついでに娘も巻き込んだった。〔笑〕)
 そして、昨日、スタッフを含め〔13名〕、マイクロバスに乗って「和歌山県熊野川町」に出発した。
 出発時間は、朝の5時50分。到着まで「4時間」の長旅となった。(往復8時間、腰が痛なった)
ファイル 783-2.jpg(和歌山県新宮市熊野川町)
 午前10時、現地到着。
 現場の状況を見て、東北の津波被害地を思い出した。
 家々はなんとか残っているが、(二階まで水が上がって来たようで)住んで居られる方は少なかった。
ただ違うのが、家屋の残り具合だろうか。津波はエネルギーが強いため、洗いざらい押し流してしまったが、豪雨被害は、津波のような(すべてを押し流す)強いエネルギーはなかったように感じた。
 又、写真の『鉄橋』の高さまで〔水〕が来たらしく、木屑が絡んでいたのが下から見えた。
ファイル 783-3.jpg(新宮市災害ボランティアセンター)
 僕たちは、まず『新宮市災害ボランティアセンター〔熊野川サテライト〕』に行き、「ボランティア活動保険」に加入し、ボランティアを要望されているお家に向かうことになった。
ファイル 783-4.jpg(道具の揃った「熊野川サテライト」)
 サンダーバード2号機のコンテナのように、シャベル・つるはし・一輪車などが豊富に揃ったボランティアセンターから、いろんな道具を借りて、作業着に着替え出発。
 この日は、ひとり暮らしだった(水害を受けた)お婆さんのお家の中の後片付けが、主な仕事となった。
 すでに被災一ヶ月を過ぎていた為、家の中は埃まみれの泥まみれ、しかも冷蔵庫の中の品もそのままの状態。(臭いが・・凄かった)又、泥でめちゃくちゃになり(膨れて引き出しの開かぬ)タンスや膨張した畳などを皆で外へ運び出す。・・そんな作業の繰り返しで半日が終った。(綺麗さっぱりしたで。・・僕等の服は埃まみれになったが。)
ファイル 783-5.jpg(働くおじさん=坊さん)
 そして後の半日は、別の場所に移り、家の横の金網についた川の藻などを取ったり、庭を被った泥などを除去し排水が流れるようにしたりした。
・・そう一日のほとんどが、肉体労働でした。(僕にはきつかった・・。)
 そうそう、ちょっとしたハプニングがここで僕に起こった。
 それはあまりに埃がひどかったので、途中、ぼくは小川の橋の上で(隣の家からホースを引っ張って来て)顔を洗った。そしたら川の中にメガネを落としてしもた。(メガネ、メガネ・・。ヤッさん状態)
 急いで、川の中に入って探そうとしたら、ボランティアリーダーさんがそれを見て、さっと躊躇いもなく川の中に入ってくれて、一緒に探してメガネを見つけて下さった。(ほんま有難かったわー、感謝!メガネも割れてなかった)
 まぁそんないろんな事があったけど、様々な貴重な体験をさせて頂き、行かせてもらって良かったと思った。
 ・・帰ってきたら、もうへとへと。でも少しでも早く臭いを取りたくて、すぐにお風呂に入ったわ。
 でも、又、機会があったら、すぐに出動するで! 年甲斐もなく・・、もうええか。(笑い)

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