住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「楠木正成ここにあり!」(その3)

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(赤坂城から見た金剛山。正成はこの山に千早城を築いた)
 ・・余談であるが、
 なぜ?楠木正成は、後醍醐天皇に(そこまで)忠義を尽くしたのか?
 この紙芝居を描きながら、ずっと考えていた。
 一説によると、正成は小さい頃、観心寺というお寺で学問を習った。
 住職から『日本の国は本来、天皇を中心とした国であった。そこに平和があった。だから、民は天皇に対し、忠誠の気持ちを持たねばならない。』と教わった。
 もう一つの説は、楠木の一党は、水銀流通の商売をしていた。その莫大な利権を、幕府に盗られそうになった。だから、天皇側に付いてその利権を護ってもらおうと思った。
 このような説があるのだが、はっきりわからない。
 この紙芝居では、正成の心情をはっきりと描いていない。
 ただ、勧善懲悪的なヒーローとして描いている。
 ひょっとすると、正成は政治的な複雑な心を持って活動したのかもしれない。
・・が、この紙芝居では『(天皇を中心として)平和な未来を夢見た、根性ある中年のおっさん』として描いたつもりだ。・・まるで、下町大阪の町工場で、頑張る奮闘社長伝を書くつもりで描いた。
 うちの寺から、わずか10分ぐらいで、正成が活躍した舞台の地があり、その地を何度も取材をしながら、「正成さん、なんでそこまで頑張んねん?いったい、何を考えていたの?」と問いながら、結局何も解らず、描き終わってしまった事を少し後悔している。・・これは今後、この紙芝居を演じながら考えてみようと、自分に宿題を出したのであった。・・余談終わり。
ファイル 1652-2.jpg
 赤坂城での戦いから、一年が経ちました。 
 やがて、再び正成の立ち上がる時がきました。
 彼は、少ない兵力で幕府軍を攻撃し、すぐに逃げて、今度は赤坂城よりも、奥まったところに造った[千早城]に籠ったのでした。
 カンカンになって怒った幕府軍。
 前の四倍の八万人の兵力を動員して、城を攻めてきました。
 しかし、前と同じ、正成軍は村人たちと連携し、ゲリラ作戦を展開。
 幕府軍を、またまた悩ませるのでした。
 そうしている内に、攻める幕府軍の中から、[足利尊(高)氏]率いる、超強力な兵力を持っている一軍隊が、裏切って、楠木・天皇側に味方し始めたのです。
 正に、正成の予想通りの展開でした。 つづく

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