住職のつぼやき[管理用]

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南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(中編)

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 指宿(いぶすき)の旅館に泊まった時、「夕食のお飲物[焼酎]は、どうなさいますか?」と、尋ねられた。
 僕は、冗談で「有名な焼酎『森伊蔵』は有りませんよね⁈」と尋ね返すと、「有ります。・・ただし、三種の飲み比べセットの一つですが。」と言われた。
 それで、大阪では飲むことのできない薩摩切子に注がれた『森伊蔵』セット(2500円)を、思い切って注文して飲んだ。
 それは、あっさりとした飲み口の良い、味わいある焼酎であった・・と、思う。(酔うと、何が何やら解らないのが本音。)
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二日目。・・この日は、JRで指宿から鹿児島市へ向かう。
 ここでもう一つ、食べ物の話題から。
 鹿児島の夏といえば、『白熊(シロクマ)』のカキ氷らしい。
 お店のメニューを見れば、全部大きくて、とても食べれそうにないので、二人でひとつだけ頼んだ。
 「なぜ、シロクマというのですか?」と聞くと、白い氷に赤や黄色のフルーツをのせて、まるでシロクマのような顔に見えるから。」なのだそうだ。
 かき氷は、氷が薄くてミルクとフルーツのバランスが良くて、とてもおいしかった。
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 その後、定期観光バスに乗って、西郷隆盛終焉の地である[城山]を見学。ここから、よく桜島が見えた。
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 そして、鹿児島市内の名所を巡り、フェリーに乗って(何かと話題の)桜島へ。
 東京や大阪の人間が(いつ噴火するのか?)と騒ぐより、地元の人たちは(案外)のんびりしたものだった。(観光客も結構、居た。でも、僕は内心ドキドキもので、フェリーが桜島を離れた時、ホッとした)
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 その後、島津氏のお殿さんの借景庭園[仙厳園]へ行って、もう一度、じっくり[桜島]を見たら、煙がもくもくと出ていた。
 あとで地元の方に聞くと、小さな『噴火』が起ったということだった。 つづく

南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(前編)

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 お盆の仕事も、何とか無事終わった記念に、今年は二泊三日で、坊守と(桜島の噴火が心配される)鹿児島へ旅行に行って来た。
 目的は、慰労と『薩摩の隠れ念仏』の紙芝居制作取材である。(・・「いつも、旅行といえば取材ばっかり!」と、この日も坊守にブツブツ云われながら出発。病後の体力も考慮して行き帰りは飛行機にした。何と大阪から約一時間!早~)
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 鹿児島空港に到着後、シャトルタクシーで、一日目は、『知覧(ちらん)』エリアを散策。
 まずは腹ごしらえ。薩摩の郷土料理(酒ずし・さつまあげ)などを頂く。美味しかったです。(結果として、鹿児島の食べ物はみんな美味しかった!) 
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 そして、映画『ホタル』や『永遠のゼロ』のヒットで、この日もたくさんの人が押し寄せていた[知覧特攻平和館]。
 特攻隊の方々の遺品(肉親への手紙)や、肉声テープ、お写真などを見ていると、身体が硬直し涙があふれます。
 そして、僕等の肝心の目的地、『薩摩の隠れ念仏』資料展示がされている[ミュージアム知覧]へ。
 島津氏が300年に渡って禁制していた念仏信者たちへの迫害。キリシタン迫害は有名だが、真宗信者迫害はあまり知られていない。
 ここでは、その生の資料に、たくさん触れることが出来た。 
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 ゼロ戦の滑走路だった国道を、さらに、車で30分ほど下っていくと、人里離れた山の斜面に[立山のかくれがま(=洞窟)]がある。
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 まさに、人ひとりが入れば窮屈な洞窟。
 五・六メートルほどの曲がりくねった洞窟の中には、天井にコオロギや虫がたくさんいて気味悪かった。そして、一番奥に小さな阿弥陀仏像が祀ってある。
 この人里離れた洞窟で、役人の目を盗み、嵐の日の夜などを選んで、我々の先輩信者たちは、念仏を称え、経を読み、お説教を聴聞をされていたのだ。
 こちらも、特攻隊とは違った意味で、信仰の持つ凄みを、雷で撃たれたように感じた。
 この日、タクシーの中で心が震えながら、[指宿]の旅館へ向かった。  つづく

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