住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

南河内の隠れたヒーロー『中山久蔵』さんの事・・

 皆さんは『中山久蔵(ナカヤマ キュウゾウ)』さんって知ってますか?
 (・・恥ずかしながら、最近まで私は知らなかった!・・この方が、友人のお寺さんの門徒さんである事を、先日の新聞記事で知って、初めてわかったのです)
 この人は、明治時代の方なのですが、今でも北海道ではヒーローだそうです。(教科書の副読本にも登場されるそうです)
 ・・では、いったい何をされたのかというと、北海道で初めて《米作り》に成功された方だそうです。(だから、北海道人にとって大恩人なのですね)

 でもその出身は、北海道ではなく、私達の暮らしている地元『南河内』の人なのです。(正確にいうと、南河内郡太子町春日の出身です)
 ・・で、この人は、最初から農業の専門家であったのかというと、そうではなく、十七歳で家を飛び出してからは、江戸から仙台、そして北海道へとあちこちを転々とし、明治時代になってから、何も成さなかった過去の自分を深く反省し、単身、北海道で《米作り》に挑戦するのです。
 この決心は、すでに四十二歳の時であり、第二の人生のスタートにしては遅すぎたかもしれませんが・・。(人生五十年といわれた時代ですから・・)
 ・・が、単身、北海道に渡り、厳寒の地では不可能といわれた、米作りを工夫と努力で成功させます。
 そして、そこからが、この人の偉いとこで、発芽した〔種もみ〕を今度は、各地の開拓者達に、無償で配布し、育て方を教え、北海道の《稲作》普及の為に尽されます。
 自分の成功だけで終らず、当時、生活や食料に困っている人たちの為に尽したところが、『寒冷地、稲作の父』と呼ばれる由縁だったのかもしれません。

 又、面白いエピソードとしては、あの『青年(少年)よ、大志をいだけ!』で有名なクラーク博士のこの名言は、実は〔久蔵〕さんの家で言った言葉ではないかと言われており・・・(一説ですが)、
 実は、この言葉には『・・この老人のように。』という、現在カットされた、続き言葉が、まだあったというのです。
『青年よ、大志をいだけ。・・この老人のように!』。
 では、この〔老人〕とは誰か?・・クラーク博士自身を指して言ったのかもしれませんが、・・ひょっとすると、〔中山久蔵〕さんの事を言ったのかもしれません。
 なぜなら、クラーク博士自身が、「北海道で米作りは無理である。ジャガイモと小麦だけを作れば良いのだ!」と言われた方だったからです。
 日本を去るに当たって、農学校の学生達を連れたクラーク博士は、偉業を成し遂げた〔久蔵〕さんに対して、『敗北宣言』をしたのではないかと、僕はそう思うのです。(こう考えた方が、ドラマチックなので・・。でもフィクションですが。)
 今、この〔中山久蔵〕さんの紙芝居を作っています。
 もちろん題名は、『青年よ、大志をいだけ!・・この老人のように』でいくつもりです。

上に戻る