
(聖フランチェスコ)
昔、友人の一人が僕に、「お前の一番お気に入りの映画は何か?」と尋ねたことがある。
僕は「『ブラザーサン・シスタームーン』だ。」とその時答えた。
それは今も変わっていない。
『ブラザーサン・シスタームーン』は、アッシジ(イタリア)の聖フランチェスコの生き様を描いた洋画である。
僕はこの映画を観て、僧侶になる決意をしたといっても過言ではない。
とにかく、この映画が大好きなのだ。(今観ても、涙が止まらない)
・・裕福な商人の息子に生まれたフランチェスコが、戦争体験して、精神を病んで帰宅。・・その後、奇跡的回復をしたのち、やがてキリスト信仰に目覚め、富や財宝を拒絶し、それらは信仰の妨げになるだけだと(何もかも)捨て果てて、病の者や貧しい者たちに寄り添いながら、修道の道を歩み始める。・・そんな映画である。
(一遍上人)
これって、日本の『一遍上人』に似ている・・ではないか。
又、お互い同じ[中世]に生まれ、日本とイタリアの国の違いこそあれ、仏教とキリスト教の違いこそあれ、『物に執着するな!・・何もないのが幸せへの近道なのだ』と、二人とも言っている。
僕は憧れる。・・このような生き方に。
このような、生き方はとてもできないが、僕は迷った時や悩んだときは、この二人の生涯を追う。
そして、この映画を観て、仏教徒として、僧侶として、どのように生きたら良いのかを模索するのである。
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聖フランチェスコと一遍上人
お線香の香り
自分では解らないのだが、僕って『お線香』を香りを、周りに漂わせているのだろうか?
先日も、毎月行かせて頂いている『老人ホーム』に入って、廊下を歩いていたら、向こうから職員さんが来て「あぁ、やっぱり宮本っさんでしたか。来られたら、お線香の匂いですぐ解りますわ。」と言われた。
確かに、毎日、ご門徒さんのお宅にお参りに行っているので、お線香の香りは全身あびている。
しかし、私服でいる時でも、お線香の匂いを漂わせているのかもしれない・・。(おそらく、髪の毛に染み付いているのだろう)
香りにうるさい世の中になってきたが、一人ぐらい『お線香人間』が近くに居っても、迷惑にはならないと思うのだが・・、いかに。
でも、もし、気になる人がいるなら、『朝シャン』ならぬ、『仏シャン』していかなあかんかなぁ。
仏の三十二相
『観相学(かんそうがく)』とは、顔立ちや表情などから、その人の性格・気質・才能などを判定しようとする学問で、そのルーツは、古代インドと伝わっている。
そう、古代インドといえば、お釈迦様。
そのお釈迦様にも、その観相学が当てはめられ(用いられ)、やがて、仏さま(如来部:阿弥陀如来・大日如来など)すべてにその『観相』が当てはまるようになっていった。
・・さてさて、古代の誰が言い出したのか解らんが、その仏の観相が、『無量寿経(第二十一願の部)』や『仏本行集経』などのお経にも書かれている。
不思議で滑稽な部分も多々あるのだが、その言葉だけを読むのではなく、その深い部分を想像して読めば、これは結構面白い。
と、いうことで、僕はこの『仏の三十二相』(正確には『三十二相八十種好』)の屏風(縦140cm、横100cm)を作って見た。〔写真参照〕(完成したら、人体の不思議図みたいやった〔笑い〕)
それで、今回は、おもろそうな部分だけ、ピックアップして書かせてもらいたいと思います。
〔仏の三十二相〕
一、足下安平立相(そっかあんぺいりつそう)=〔扁平足のこと。お釈迦さまって扁平足やんたっや~。・・これは、大地にすべてが付いている、すべての人に対しての慈悲の心を表しているらしい〕
二、足下二輪相(そっかにりんそう)=〔足の裏(手のひら)に法輪模様がある〕
三、長指相(ちょうしそう)=〔指が繊細で長い。(ピアニストみたいやね)〕
五、手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)=〔手足の指の間に金色の水かきがある。(これは、誰一人もらさずに救い取ることを表しているそうだ。・・でもカッパみたい。〕
九、正立手摩膝相(しゅうりつしゅましっそう)=〔直立した時、両手が膝まで届く。(なが・・、まるでエヴァンゲ○○ンみたい〕
十、陰蔵相(おんぞうそう)=〔男根が体内に隠されている。(そうか~、だから仏像はもっこりが無いんやぁ。)〕
十四、金色相(こんじきそう)=〔身体が金色に輝いている。(仏像が金色の理由はここにあったのだ!)〕
十五、丈光相(じょうこうそう)=〔後光を放っている。仏像に後光がある秘密はここにあった!〕
二十二、四十歯相(しじゅうしそう)=〔歯が四十本ある。ちなみに常人は、三十二本。(仏さまも歯がいのち。)〕
二十六、味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)=〔何を食べても、最上の味として味わえる。(エエ旦那になれましたのになぁ・・)〕
三十一、頂髻相(ちょうけいそう)=〔頭の上の肉が、髪の毛をたばねたように盛り上がっている。頭脳明晰をあらわす。(そうか、あれは髪型ではなく、頭の形だったのだ。・・そら、あのヘアスタイルしかできんなぁ。)〕
三十二、白亳相(びゃくごうそう)=〔眉間に右巻きの白毛があり、光を放っている。(そうか、あれはデンボではなく、毛だったのだ!)〕
・・エトセトラ、エトセトラ。
このほか、『八十種好』には、福耳や、のどに三本のしわがあるとか、耳たぶに穴がある(ピアスの後みたい)とか書いてある。
どれも面白そうな『観相』ばかりなので、こんどゆっくり(如来部の)仏像を観てみて・・。
「チャリティイベント」が、本願寺新報に掲載!
先月の2月9日に、「富田林市すばるホール」にて行われた、『東日本大震災物故者追悼三回忌法要&復興支援チャリティイベント』の模様が、3月1日号の『本願寺新報』に掲載されました。
中でも、僕の『紙芝居記念法話』の様子が、(写真付きで)大きく書かれていて、(ただのメンバーの一人である僕は)非常に恐縮してしまいました。
しかしながら、新聞記事になるということは嬉しいことでもあります。
もちろん、これは、運営委員のみんなの勲章だと思っています。
ありがとうございました。合掌
大阪が感謝しなければならない男、甚兵衛と重源
今、二つの(歴史)紙芝居を作り始めている。
一つは「大和川を付け替えた男、中甚兵衛」。
(中甚兵衛像)
もう一つが、「狭山池を復活させた男、重源上人」だ。
(重源上人像)
この二人、生まれた時代は違うが、(甚兵衛は江戸時代、重源上人は鎌倉時代)共に、大阪府民が永遠に感謝しなければならないスーパースター達である。(あまり一般には知られていないスター達だが・・やった事はスゴイ。)
この二人、僕の住む場所から、どちらも比較的現地取材がしやすい所に史跡がある為、時間を掛けながらゆっくり見て回って作っている。
(新・大和川)
その一人、中甚兵衛は、庄屋(百姓の代表)でありながら、その当時、大雨が降ると荒れ狂った『大和川』の洪水被害を防ぐには唯一つ、その流れを変えてしまうしかないと、途方も無い計画を立て、46年間幕府に訴え続け、それを実行した男だ。(これは執念というよりも、もはや滑稽というしかないと思う)
(昔の狭山池)
そしてもう一人、重源上人は、(なんと82才で)その当時、(田畑を作るための)水が干上がってしまった狭山池という大池を復活させようと、その近くの古墳の石棺(豪族の墓)を引っ張り出してきて、棺を〔石樋=水を流すための水道管のようなもの〕に改造して、狭山池を復活させた男である。
その当時の、途方も無いリサイクル推進者だ。
この二人、現在の大阪の繁栄を作り出した男たちには間違いない。
我々は、歴史に埋もれた(このような)スター達の存在を忘れてはいけない。
そのために、今、彼らの紙芝居を作っている訳なのだ。
(今も残る石館=いわゆる棺おけ)
風邪を引いたら、住職さんのせいでっせ
寒い日が続いております。
僕は毎日、自転車で檀家宅のお参りをしておりますので、ホンマ寒さが堪えます。
さて、そんな或る日の事。
「こんにちは、観念寺から参りました。お参りさせて頂きます」と、この日もいつもおもろい「掛け合い漫才」をする、陽気なお爺ちゃんのお家に、僕はお参りに行ったのであります。
仏壇の前に座った僕は、「○○さん、寒なりましたねぇ。風邪引いてはりませんか?」と聞く。
すると、後ろに座るそのお爺ちゃん(=○○さん)は、「はい、外へはめったに出かけませんので風邪引きませんねん。それに、寒いから誰も遊びに来まへんし。そやから悪い菌が入ってきませんねん。だから、大丈夫でんねんわ。」と言う。
「・・・。」と、ちょっと僕は沈黙。
そして、「・・と、いうことは、○○さんがもし風邪を引いたとしたら、僕が読経をして、悪い菌を撒き散らしたらということになりますねぇ。」
○○さんは「・・まぁ、そういうことでんなぁ。」と笑いながら言われた。
そこで僕は、「ということは、今日は声を出さんと、口ぱくで読経したらベストでんねんなぁ。・・僕も楽やし。」と言ったら、
○○さんは、「まぁそう言わんと。ほな、わしは向こうの部屋でコタツに入って、つらいけど耳だけで聞かせてもろて手を合わせますから、思いっきり隣の部屋まで聞こえるように挙げてください。」と返してきた。
それで、僕は大笑いしながら、「・・今日は負けました。・・ほな、このへんで矛を収めて読経しますからよろしく。時間ももったいないし・・」と言ったら、「はいはい、有り難いとこだけ、ちゃっちゃっと挙げて、風邪の菌を撒かんように頼みますわ。ロウソクももったいないし・・」と言って、○○さんも笑われた。
今年最後の対戦は、完全に僕の負けとなった。が、来年は必ず勝率を上げて、リベンジしたいと思っている。
・・何しに行ってんねんやろ。(笑)
「運があった」と言い、亡くなった人
先週、95才のある檀家のお爺さん(仮にMさんとしておく)が、お亡くなりになり、お葬式をさせてもらった。
お参りの時、よくMさんは僕に太平洋戦争時の軍隊でのお話をして下さった。
その中でよく「自分は運があった」と言っておられた。
その話を、改めて斎場まで行く途中のタクシーの中で、家族さんとお話して懐かしんだ。
掻い摘んで言うと、それはこんな話だ。
Mさんの家は、飲食店をされていたので、Mさん自身も明るい人柄で話好きで、皆から好かれていた。
しかし、戦争で父親を含め、男兄弟は皆戦死し、Mさんだけが唯一の(男の)生き残りだった。
しかし、Mさんも終戦間際に軍隊に召集されて、南方の激戦地へ船で出航することとなった。
その船に乗り込む日、Mさんは突然上官から部屋に来るように呼び出された。
何か怒られるのかと思いきや、その部屋に行くと上官は居らず、廊下で二時間ほど待たされたそうだ。
その間に船は出港してしまい、Mさんは結局乗り込めなかった。・・が、その船はすぐに、敵艦に発見され、魚雷で沈没させられたそうだ。
Mさんの話によると、そんな『突然の上官の呼び出し』が二度もあり、自分は船に乗らず助かったらしい。
そして、終戦を迎えMさんは無事に自宅に帰って来た。
その後、Mさんは、亡くなった同僚の分まで一生懸命に生きねばと思い、必死に働いたそうだ。
が、Mさんは、自分を呼び出した上官のことがずっと気になり、(一言御礼を述べねばと)ずっと探していたら、何年か経って、その方が、偶然自分のお店に立ち寄られ、その訳を話してくれたそうだ。
実は、その上官は昔、Mさんのお店の常連さんだったそうで、Mさんの家族構成を聞き知っていて、Mさんが男兄弟の唯一の生き残りだということも知っていたらしい。
それで、Mさんが戦死したら、この店の家族は生活が成り立たなくなるだろうと思い、先の『突然の上官の呼び出し』を実行されたそうだ。
Mさんは、それをよく『自分は運があったので、良き上官に恵まれ戦死せずにすんだ。だから、助けてもらった分、人に親切にして、運(恩)返しする』と言っておられた。
そんな、人に親切で『運の良かった』Mさんにも寿命はある。
最後、病院で『看護師に内緒で酒を飲ませてくれ』と駄々を捏ねながら、95才の天命を全うして、お浄土へとお還りになったのであった。
エンドレス会話(お手拭編)
先日、出前法話で行かせて頂いた、と在る『老人ホーム』のおやつの時間でのこと。
テーブルの上に、お饅頭とお茶とお手拭(小さな紙ナプキン)が一つ置いてある。
お年寄りの方がたは、もうすでに席についておられる。
僕も座る。
皆で合掌ののち、お手拭で手を拭いてお饅頭を食べようとする。
すると、僕の隣のお婆ちゃんが一言、「あんたの(使った)お手拭がシワクチャになってるから、たたんで上げる」と、さっと取り、キレイに四角く畳んでくださった。
僕は「ご丁寧にありがとうございます。」と言って、お饅頭を食べて又、手を拭く。
すると、先ほどのお婆ちゃんが「あんたのお手拭がシワクチャになっているから、たたんで上げる」と、又、さっと取り、四つ折にしてきれいに畳んでくださった。
僕は「あぁ、ありがとうございます。」と言って、お茶を飲んだり、他の人と雑談をしていると、先ほどのお婆ちゃんが、「あんたのお手拭をたたんであげる」と言って、もうきちんと畳んであるお手拭を再度広げて、又、四つ折にされきちんと畳んで下さった。
僕は笑いながら「ありがとうございます。・・ところで、お婆ちゃんは、何の仕事をされていたんですか?・・キチッとされてますねぇ。何か、接客のお商売をされていたのですか?」と聞くと、
「はい、昔、難波で昆布の店頭販売をしておりました。」と答えられた。
僕は「ああ、それで商品の包装とかをされていたのですね。だから、畳むのが上手いのや」と言うと、そのお婆ちゃんは微笑みながら、「ほほほっ、そんな、上手いやなんて・・、毎日包装してましたから」と言って、又、僕の(結構ボロボロになってきた)紙のお手拭を又さっと奪い、又広げ、又元通りにきちんと畳まれた。
そして「昔は忙しいかったんよ~~」と言って、今度はみんなの使いかけのお手拭を取りに行って、同じ事ように又広げて、又畳んで、皆の元に戻された。
皆さんも、よく解っておられるようで、「いつも有難う。ご丁寧に」と言って、されるがままに見ておられる。
僕は、『皆、よくこの人の親切さを理解しているんや』と思って、微笑ましく眺めていたら、又、このお婆ちゃんは僕のお手拭に気がつき、「あんた、よく手を拭いたなぁ。ボロボロになってるやん。私がちゃんと畳んであげる」と、又僕のお手拭を手にとって、畳み始めたのであった。
「楽しむ」って、どういうこと?
オリンピックが始まる前から、気になっていた言葉がある。
それは、アスリートたちが最近よく云う「競技を《楽しみたい》」という言葉だ。
自分自身に対して「楽しむ」とは、メンタル面で〔緊張感〕をほぐそうとしているのは解るような気がする。
が、それをいざ、あっちこっちでマスコミのインタビュウアーに対して安易に口にするのはいかがなものか?
応援している者達は、必死になって応援しているのに、ああも簡単に「でもあれは個人的に楽しんでいるや」と、ちらっと思ってしまうと、なぜか虚しくなり、日本語の使い方を間違っているのではないかと思ってしまうのだ。
もちろん、「楽しむ」といいながら、全力で戦っているのは見てて解る。(・・比べものにはならないが、僕も高校・大学と陸上部でいろんな試合を経験してきて、大きな試合直前は、自分対して「やるだけやったやないか。落ち着け落ち着け、お前は大丈夫や。後はリラックスしてゆけ!」とよく言い聞かせた。・・だから『楽しもう』と言っているのは解るような気はする)
が、が、やはりあの「楽しんできます」とか、「とても楽しかったです」と平然という言葉には、僕はどうも違和感を覚えるのだ。
・・では、あの場合どういえば良いのだろうか?
「ここまできたら全力でやるだけです」か?・・又は終ってからは「頑張って良かったと思います」か?・・でもこの表現も硬苦しいような?
なんか、解らんようになってきたわ。・・もうやめよ。
全然関係ないが、僕は「お寺の出前」を楽しんでやってはいない。
・・偉そうになってしまうが、僕は(やってることはちっちゃいけれど)「使命感(俺がやらねば誰がやる!というようなもの)」を持ってやってるつもりである。
「楽しんできた・・」という言葉は、おそらくあちらの世界に還っても言わないと思う。
だからみんなから、「楽しそうに『紙芝居』をやってますねぇ」と云われるのは、本当はちょっと心外なのだ・・よ。
悲しみの色と形って?
前々回のプログで、今、『でんでんむしのかなしみ』という、(一匹のでんでんむしが、自分の殻の中のめ一杯の悲しみに気が付く)新美南吉さんの童話を紙芝居にしているという話を書いたが、実際、これを絵にするのはなかなか難しい。
悲しみ(哀しみ)を、(抽象的な)絵で〔色と形〕に表わすのが難しいのである。
哀しみを、色や形にすると、いったいどんな絵になるのだろうか?
僕は『カラーセラピーランド』というホームページから、皆のアンケートから選ばれた「哀しみの色のイメージ」という項目を抜粋して決めることにした。
それは、青・紫・黒・灰色・半透明色、ということになるらしい。(余談ながら、ということは〔青春〕って悲しい季節なんやなぁ・・)
そして、その(哀しみの)形も(四角形なのか、三角形なのか、はたまた、煙のような形なのか)調べてみたが、それは結局解らなかった。
で、こんなイメージで〔試作〕を作ってみた。(今回は絵を描かず、切り絵にすることにした)
それで、でんでんむしの殻にこんな形で〔哀しみ・悲しみ〕を表現してみた。
まだ試作の段階なので、もうちょっと手を加えようと思っているのだが。
さて、皆さんにとって、哀しみの色って何色?・・そしてその形は??


