《貧者の一燈》 意味:『貧しい者の真心のこもった寄進は、富者がお金に飽かせて行う大量の寄進よりも勝るという意』
(あらすじ)〔仏教もの9〕『賢愚経』より
昔、インドの或る町に〔ナンダー〕という貧しい老女がいた。
彼女は身寄りも住まいもなく、毎日道端で座り込み〔物貰い〕をしていた。
ある日のこと、この町に〔おシャカ様〕が大勢の弟子をつれてお説教に来られた。そこで、町の人々は手に手に捧げ物を持って、毎日お話を聴きに出かけた。〔ナンダー〕はその様子を「こりゃいったいナンダー?」と不思議そうに見ていた。彼女は「おシャカ様のお話がいくら尊くても、お腹の足しになるわけじゃなし・・、わざわざ聴きに行く必要はない」とそう思っていたのだった。
しかし、町の人のその真剣な様子を連日見ていたら、「もしかしたら、もう一生このような機会(チャンス)はないかもしれない!・・」とついに彼女は意を決して、自分も聴聞に行こうと決めたのだった。・・しかし、彼女には何も〔捧げ物〕がなかった・・、
そこで彼女は自分の大事な〔髪の毛〕を切り、それを売って、わずかばかりの〔油〕を手に入れ、それをおシャカ様に捧げることにした。
そして〔ナンダー〕はその夜、感動に震えながら、おシャカ様のお話を聴いた。・・しかしその時、突然の大嵐が吹き荒れ、人々が捧げた〔灯明〕はすべて消え、《会場》は真っ暗闇になってしまった。
しかし、〔ナンダー〕の灯明だけは不思議なことに消えなかった。・・そのお蔭でおシャカ様の《お説教》は中止にならずに、無事に《法座》は終えることができた!
次の日、おシャカ様はまだ灯り続けるこの〔灯明〕を見て、弟子たちに、「見よ、この灯明を!どのような嵐が来ても、この光を消すことはできないであろう。なぜなら、この油はわずかではあるが《真心》がこもっているからだ。真心の火というものは、どんなことがあっても決して消えないのだ。ずっと〔萌え~(ちゃうちゃう)〕《燃え》続けるのものなのだ!」と言われたということです。おしまい
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記事一覧
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紙芝居:『消えない灯明(アカリ)』~貧者の一燈(イットウ)~
紙芝居:『殺人鬼になった修行僧』
・・おシャカ様の弟子に元・《殺人鬼》と呼ばれた男がいた。
彼のあだ名は《アングリ・マーラ》、〔指の首飾りの悪魔〕という意味である。おシャカ様は大きな罪を犯した人間でも、その者が心から反省すれば自分の弟子になることを許された。今日はそんな『憎むな、殺すな、赦しましょう』という《月光仮面》の理念のようなお話・・。
〔あらすじ〕 (仏教もの15)
昔、インドに〔アヒンサ〕という名の若くオトコマエの修行者がいた。 彼は〔師匠〕の家に下宿し、日夜まじめに修行に励んでいた。
その師匠には淫乱な妻がいて、ある日、この妻は夫の留守中に〔アヒンサ〕を誘惑した。・・が、まじめな彼はこれを拒否!怒った妻は、夫が帰って来た時「アヒンサに乱暴された」と嘘を夫に訴えた。
これに怒った夫は弟子に対して残酷な復讐方法を考え出した。それは〔アヒンサ〕に「人を100人殺し、その死者の指で(首飾り)を作れば、お前の修行は完成する」という催眠術をかける事であった。
それから間もなく、インド中に夜な夜な《辻斬り》が起こった。そして決まってその遺体から(指)が一本無くなっていた。・・そう、それは催眠術にかかった〔アヒンサ〕が起していた事件であった。
そして、いつしかその犠牲者は99人となっていた。・・今や《アングリ・マーラ》と呼ばれるようになった彼は、或る晩、最後の一人を襲う。
しかし、それは彼を改心させようとしていた〔アヒンサ〕の母親であった。(最後の一人はおシャカ様であったという説もある) 母親が彼の名を大声で叫ぶと〔催眠術〕は解け、彼は正気に戻った。(・・ここで、もう一つ余談。これは、やがて日本で『弁慶と牛若丸』の五条大橋の出会いのおとぎ話としてパクられていく!)
そして深い慙愧の念に彼は、おシャカ様に助けを求める。
理由を聞いたおシャカ様は、その場で彼の髪を切り弟子入りを許す。そして次の日から、彼に対して町に出て〔托鉢〕の修行を命ぜられる。
町に出た彼は、彼が殺した人達の遺族から連日、石や棒で危害を加えられる。・・が、ひたすら彼は耐える。
それからやがて王様の軍隊が、〔アヒンサ〕を《極刑》にする為、お寺に彼の引渡しを要求に来るが、おシャカ様は断固拒否される。(ここで『憎むな、殺すな、赦しましょう』と言ったかどうかはわからんが・・、余談ついでに『月光仮面』の作者であるお寺に生まれの故・川内康範氏もこの理念を実行して『森S一』氏を最後は赦してあげれば良かったのになぁ・・と思う)
やがて、毎日ボコボコになって托鉢から帰って来る〔アヒンサ〕であるが、最後は悟りを開くことになる。
この〔托鉢〕時の面白いエピソードも色々あるのだが、それは又別の話。今日はこれにて、おしまい。
紙芝居:『悪いことをするな 善いことをせよ!』
《・・諸々(モロモロ)の悪しきことをせず、善い事を実行せよ。そして自(オノ)ずから、その意〔こころ〕を清めていくこと。これが諸仏の教えである・・『法句経』より》
(仏教もの37)
〔あらすじ〕
昔々の中国のお話・・。
杭州(コウシュウ)の奉望(シンポウ)山という所にひとりの変わったお坊さんが居た。彼の名は〔道林(ドウリン)〕という禅僧で、お寺に住まず、老いた松の上に(ゲゲゲの鬼太郎のように)住んで修行していた。
ある日、この〔道林和尚〕の元に〔白楽天(ハクラクテン)〕という高名な政治家であり詩人でもある男が訪ねて来た。
白楽天は木の上の和尚を見上げて〔禅問答〕を吹っかけた。
「和尚!『仏様の教え』とは一言であらわすと何でありましょうか?」・・と白楽天は尋ねた。
すると和尚は「《悪いことをするな、善いことをせよ》である」と答えた。
白楽天は「平凡すぎる・・」とガッカリした。彼はもっと哲学的な答えを求めていたからであった。
そこで、「和尚!そんなことぐらい、三才の子供でも知っていますよ」と続けて叫んだ。
すると和尚はすかさず・・、
「しかしなぁ、それを実行するのは八十才の長老でも難しいぞ!」と答えた。
白楽天は「負けた!」と思った。「・・確かにその通りだ。善い事をしようと頭ではわかっていても、いざ行動を起こすとなるとこれ程難しいことはない。逆に悪いことはダメだと思っていても《わかっちゃいるけど、やめられない!(それ、スイスイスーダララッタ・・〔失敬〕)》・・年齢など関係のないことだ!和尚のおっしゃる通りだ。大事な教えを有難うございます」・・。
こうして白楽天は道林和尚にお礼を言って帰っていったという。おしまい
おしゃか様ってどんな方?:紙芝居『おしゃか様物語』
4月8日は〔花まつり〕、おしゃか様の誕生日である。
そこで今日は、その《御生涯》を悟りを開かれるまでを中心にお話したい。
あらすじ (仏教もの6)
今から約二千五百年程前のお話・・。
今のネパールの地に《シャカ国》という小さな国があった。
そこの王様の名は〔スッドーダナ〕といい、お后様を〔マーヤ〕と云った。
ある日、マーヤ夫人は白い大きな象が天から降りて来て、お腹に入る夢を見られた。
その不思議な夢の後、夫人は懐妊され・・、そしてご出産の為、実家へと帰られるその旅の途中、《ルンビニー》という森の花園で、突然産気づかれ、かわいい男の子をお生みになった。
この男の子が、のちの《仏様》こと〔おシャカ様〕であった。
この時、天の神々は喜ばれ天空から〔甘露の雨〕を降らせたという。(これが『花まつり』に甘茶をかける由来となるのである)
男の子の名は〔シッダールタ〕と名づけられ、何不自由なくすくすくお育ちになった。シッダールタ王子は、やがて結婚され、赤ん坊まで授かった。
(絵を〔クイック〕すると大きく見れます)
ある日の事、王子はお城の《東》《南》《西》の門から、連日散歩に出られ、そこで人は皆《老いるという事》《病になるという事》そして《死ぬという事》の事実・〔苦〕を目の当たりにされる。
・・これらの事実は、誰もが避けられない〔苦〕だと知った王子は、最後に《北》の門から出られる。そこで《出家・修行者》と出会い、自分も《出家》して、これらの〔苦〕を超越できる道を探したいと思われた。・・そして29歳の時、ついに何もかも捨てて〔出家〕し、苦行一筋に苦しみを解決する方法を探されるのである。

・・やがて(6年ののち)厳しい苦行の結果、シッダールタの体は骨皮筋ェ門になるが、この方法では〔悟り〕は開かれないと思い、或る一人の少女との出会いを機に苦行をやめ、今度は自分の心を深く内観する〔瞑想〕の行に入られる。
やがてシッダールタの心が澄み、いよいよ〔悟り〕が開かれようとしたその時、〔魔女〕と〔悪魔の大王〕が突然現れ、妨害を始める。
〔魔女〕は「なぁ兄ちゃん、私と遊びましょ。1ルピーぽっきりでエエから・・(なんで関西弁やねん〔笑〕)」と誘惑するが、シッダールタが無視するとやがて泡ブクのように消えてゆく。
その後、今度は〔悪魔〕が「おんどりゃ、ええかげんに修行やめさらさんかい!やめんとお前の喉チンコ引っ張り出して奥歯ガタガタゆわすぞ!」とこれも(関西弁?)の恐怖で脅してくる。
しかし、シッダールタはこの〔恐怖〕にも打ち勝ち、悪魔は「よっしょ~、今日はこのへんにしといたる」と言って消えてゆく。
・・そして12月8日の明け方、ついにシッダールタは〔悟り〕を開き、人々の苦を解決する方法を見つけられる。(その悟りの内容については、いずれ又このブログでゆっくり書きたいと思います)
とにもかくにも、シッダールタは悟りを開き、《仏・ブッタ(目覚めた人という意)》となり、そののち、80才で亡くなられるまで、たくさんの人々に〔苦〕を解決する方法を説いて回られたということです。・・長くなりましたが、これにておしまい。
お彼岸を迎えて:紙芝居『二河白道物語』
ユーミンの曲に『水の影』という名曲がある。
『・・時は川 きのうは岸辺 人はみなゴンドラに乗り いつか離れて 想い出に手をふるの・・』という歌詞の1節がその曲にある。
僕はこの曲が好きだ。
又、『お彼岸』が来る度にこの曲を思い出す。
『お彼岸』というと《彼(カ)の岸》。つまり《あの世・死後の世界・悟りの世界》を意味する・・と言っても良い。
つまり『お彼岸』とは《死》の向こう側の世界に思いを馳せる期間と考えても良いのではないかと僕は思っている。
僕はこのユーミンの曲を何度も聴きながらこの紙芝居を作った。
あらすじ (仏教もの12) 善導大師作
昔、広い荒野をひとりの旅人が西へ西へと向かって長い旅を続けていた。それは、遥か西の彼方に行けば《仏様の国》が見つかると聞いたからだった。
どれぐらい歩いたであろうか・・しかし、なかなか仏様の国は見えない。
その時、突然目の前に大きな《二つの河》が現れた。

それは不思議な恐ろしい河で、南側は炎の河。そして北側は嵐の河であった。そして、その大河の間には細い一本の《白い道》があり、その向こうに光り輝く《仏様の国》が見え隠れしていた。
「この白い道を行けば《仏様の国》に行ける!」と旅人は解ってはいるものの目の前の大河の恐ろしさで足がすくんだ。
その時、突然後ろから、盗賊や猛獣たちが襲い掛かって来た。
今や旅人は絶体絶命であった。
・・と同時に、目の前の西の国から〔阿弥陀(アミダ)〕という仏様が現れ、「心配するな!守っているから安心してここまで来い!」と言われた。又、東から〔釈迦(シャカ)〕という仏様も現れ、「大丈夫、その道を歩め!」と指さされ言われた。

その声に、旅人は勇気を出して一歩一歩、歩み、そしてついに《仏様の国》に辿り着いた。
〔阿弥陀〕という仏様は、旅人をしっかり抱きしめながら次のようなお話をされた。
「よく勇気を出してここまで来た。あの恐ろしい二つの河の名前を教えてやろう。あの炎の河は〔怒り〕という河じゃ。怒りははお前の心を乱し、いつしかお前自身を滅ぼしてしまう。又、嵐の河は〔貪(ムサボ)り〕という河じゃ。今の自分に満足せず、感謝せず、もっと欲しいあれも欲しいという心は、嵐のように荒れ狂い、いつしかお前を飲み込んでいく。
私や〔釈迦仏〕の声を信じ二・三歩進めども、その道の細さに心細くなり、又、後ろからのシャバ世界の悪たちがお前を呼び戻す。しかし、お前はそれにも負けず、我を信じここまで来た。《信じる》というのは誠に苦しいものよなぁ。しかし《道》は細くとも、もうすでに完成しておるのじゃ。だから真っ直ぐ進むだけで良かったのじゃよ」・・と言われたそうです。おしまい
紙芝居:『盾(たて)と矛(ほこ)』 〔矛盾の話〕
「自分で選んだ《好きな仕事》をしているくせに、『仕事がしんどい!』とボヤくのは、お父さん(僕の事)は《矛盾》してるわ!」と、・・時々、妻は僕を叱る。
叱られる度に「あなたのおっしゃる通りでございます」と心の中で妻に謝る。・・腹が立つから言葉にはしないが・・。
そんな僕の中の《矛盾》から、その言葉のルーツを調べたくなり、そして「この話おもろい!『紙芝居』にしたろ」と思って作ったのがこのお話。
(昔ばなしもの10)
昔むかしの中国のお話。
楚(そ)という国にいい加減なひとりの商人がおりました。この男、矛(ホコ)や盾(タテ)など、武器を売る商売をしておりました。
今日も今日とて、人の集まる市場で商売を始めましたが、この日に限って一向に売れません。
・・そこで、ある事を思いつき口上を始めました。
「さあっいらっしゃい、ここに取り出したるは、世界で一番頑丈な〔盾〕だよ!この盾はどんな鋭い矛で突いても跳ね返すよ。さぁ買った買った!」
この言葉にたくさんの人が集まり『おおっ』と歓声が上がりました。
そこで気を良くしたこの商人は次に・・、
「さて、次に出したるはこの〔矛〕。これで突かれたらどんな盾でも穴が開いてしまう世界一鋭い矛だよ!」と言いました。
それを聞いたひとりのお客が・・、
「それじゃ、その何でも跳ね返す〔盾〕に、その何でも貫くその〔矛〕を突いたら、いったいどうなるのかね?」と聞いた。
商人はその言葉に答える事ができなくて・・、
顔を真っ赤にしたまま、あたふたと道具をまとめて、帰ったそうです。
やがて、このお話から《矛盾》という言葉が生まれたという事です。おしまい。
(今でも、外国の《TVショッピング》で、なんか有りそうな感じ・・〔笑い〕)
紙芝居:『仏さまの思し召し』
皆さんは自分の身にどんな〔悪い事〕が起こっても、それは『神様・仏様の思し召し(お考え)』なのだから、「へっちゃらさ!」と思うことができますか?
これは、それを実践していた一人の信心深い〔おじいさん〕のお話です。
あらすじ (仏教もの16)

昔むかし、ある所にたいそう信心深い正直者の機織職人のおじいさんがいた。
このおじいさんは何が起こっても「・・これは仏さまの思し召しなのだ」と言うのが口癖であった。
ある日の事、その日の仕事を終えたおじいさんは、外で夜風に当たりながら一服していた。
その時、盗賊の一団が通り掛かった。盗賊の頭は、盗んだ品物を背負わせる荷物持ちが一人欲しくて、そのおじいさんを無理やり引っ張り連れて行った。

そして或る店に泥棒に入り、片っ端から盗んだ品をおじいさんに背負わせた。
その時、盗賊改めのお役人達が踏み込んで来て、盗賊達は蜘蛛の子を散らしたように逃げ去った。
・・が、何もわからぬおじいさんは逃げもせず、そのままお役人に盗賊と間違われて捕まってしまった。
次の日、取調べが始まった。

お役人は、事の次第をおじいさんに問いただした。
おじいさんは、淡々と語り始めた・・。

「昨日あっしは、仏さまの思し召しで外で一服しておりました。その時、・・仏さまの思し召しで、盗賊たちが現れあっしを無理やり連れて行きました。・・そしてある店に泥棒に入り、仏さまの思し召しであっしに品物を背負わせました。・・その時、仏さまの思し召しでお役人の旦那方が現れ、何も盗む事ができず盗賊たちは逃げました。そして、仏さまの思し召しであっしだけが捕まり、今日仏さまの思し召しで、この白砂で事の次第をすべてお話しております」と言った。
それを聞いたお役人は思わず笑い出して言った。
「お前は何があっても〔仏さまの思し召し〕であると思っておるのだなぁ・・。」と言うと、「はい、あっしはすべて自分の身に起こる事は〔仏さまの思し召し〕だと信じております」と答えた。
「あいわかった。そなたの正直なもの云い、すべて真実だと信じよう。これからもその信心を大切にしてまじめに生きよ。そなたを解き放つ!」と無事釈放されることになった。

家に帰って来たおじいさんを村のみんなは心から喜んだ。
そしておじいさんはみんなに言った。
「お蔭さまで〔仏さまの思し召し〕によって無事に釈放されました」と・・。おしまい
・・余談になりますが、私も〔仏さまの思し召し〕によって、この《ブログ》を今日書く事ができ、皆さんも〔仏さまの思し召し〕によって今日これを読まれたのかもしれません。・・それでは〔仏さまの思し召し〕によってこの辺で終わりたいと思います。又、〔仏さまの思し召し〕によってお会いしましょう!
《そうじ力の元祖》紙芝居:『愚か者のパンタカ』
先日、大きな書店に寄った時の事・・。
店の前棚に《あなたの夢を叶える〔そうじ力〕!》という本が山積みされていた。その回りにも同じような題名の本が並んでいた。・・つまりこの手の本は今の売れ筋なのだろう。
掃除をする事によって自分の内面も綺麗にして、その結果〔幸運〕を招き寄せ、〔夢〕を叶える・・ということなのだろうか?
話は変わるが、お釈迦様の弟子にも〔そうじをする事によって悟りを開いたお坊さん〕がいる。
・・今日はそんな〔お坊さん〕のお話をしたいと思う。
(仏教もの5)
昔、お釈迦様の弟子に〔愚か者のパンタカ〕と呼ばれる者がいた。
どれぐらい愚かだったかというと、時々自分の名前も忘れてしまう程だった・・。
ある日、パンタカは油を買いに御使いに出る。・・が、その途中、何を買うべきだったかも忘れてしまう。
途方に暮れ、自分の愚かさを歎くパンタカに、偶然出会わせたお釈迦様は「自分の愚かさを知ってる者は、決して愚かではない」と教えを説かれる。そして「・・パンタカよ、誰にも苦手な事はある。反対に誰にも得意な事があるものだ。お前は何が得意か?」と訊ねられる。
するとパンタカは「私は掃除が得意です」と答える。
・・そこで、お釈迦様はご自分の部屋にパンタカを招き、「パンタカよ、お前は今日からこのホウキを持って『塵を払い、垢を除かん』と称えて一心に掃除をしなさい」と言われる。
・・それからというものパンタカはただひたすらに掃除を続け、やがて三年の歳月が経とうとしていた。
パンタカは、掃除を続ける内に「・・ああ、人間も同じなのだ。心の中の塵や垢を除くことが大事なのだ!」と気づき、やがて大きな真理を得る。
こうして愚か者と蔑まれていたパンタカは、やがて皆から尊敬される立派なお坊さんになったということです。おしまい。
余談になるが、日本では『茗荷(ミョウガ)』を食べ過ぎると、モノ忘れがひどくなると云われている。これは、パンタカの墓の回りに〔家の周辺という説もある〕『ミョウガ』がたくさん生えていた事から云われ始めた・・と伝わっている。〔でもこれは良くない言い伝えだと思う。悟りを開いたパンタカが可哀想ではないか?・・いったい、誰が言い始めたんじゃ!〕
「ハニカミ王子」と『聖徳太子』:紙芝居の話
「ハニカミ王子」というのは今流行りの若きプロゴルファー。
もちろんそれはニックネーム(愛称)である・・。
それでは西暦622年2月22日に亡くなられた『聖徳太子(しょうとく・たいし)』は?・・実はこの有名なお名前も「ニックネームなのだ」と言われている。・・ちなみに太子の本当の名は、馬小屋の前で生まれたので〔廐戸皇子(うまやどのみこ)〕と呼ばれていた・・らしい。(西洋の誰かさんみたい・・)
この『聖徳太子』という名は、太子の師であった〔恵慈(えじ)〕という外国の僧が、太子が亡くなられた時「玄(はるか)なる聖(ひじり)の徳をもち、日本の国に生(あ)れませり」と言われた事から没後に付いたのだ、と伝わっている。(ではいったい誰が付けたのだろう?・・僕はそんな事が気になってしょうがない。)
(仏教もの26)
『聖徳太子』は政治家であったと同時に、日本仏教の《祖》であると言われている。
それは太子が日本に仏教を積極的に招き寄せ、その普及の基礎を築いたからである。
太子は今から千四百年前に《王族》の皇子として生まれた。
この当時、まだ日本は政治的に不安定で、各地域の《豪族》達が、お互い権力争いをしていた。
特に〔仏教大好き一族の《蘇我(そが)氏》〕と〔仏教大嫌い一族の《物部(もののべ)》氏〕という二大勢力はついに衝突、大戦争を起して、《蘇我氏》の血を引く〔太子〕はわずか14才で参戦して大活躍し《物部氏》を滅ぼす。(なんかこの若さで活躍するのも〔ハニカミ王子〕に似てるね・・余談)
しかし、戦場跡のおびただしい遺体を前にした太子は、「何の為に自分は仏の教えを学んだのか?」と深く落ち込み、この時の反省からのちの《『和』を以って貴しとなす》で始まる『十七条憲法』が生まれる事になる。(これも余談だが、僕は学生の時にこの『憲法』を読み、「これって『憲法』ちゃうやんか。『道徳』やんか!」と思ったのを覚えている。おそらくこれを『憲法』の第一条に持ってきたのは太子の平和を願う熱い思いがあったに違いない・・と思う)
話がそれたが、太子は戦さに勝ったのち、天皇を助けて政治を取る『摂政(せっしょう)』という位につき、次々と理想の政治改革を成していく。たとえば先の『憲法十七条』の制定。病院・薬局・福祉施設などを兼ね備えた国立の寺院『四天王子』の建立。などなど。
さらに外国との文化交流(美術・音楽・医学・建築など)を目的とした『遣隋使』の派遣なども、やっちゃっているから凄い!
しかしそのあまりの激務の為、やがて太子は49才で倒れ亡くなってしまう。
それでは、天皇になれず皇太子のまま亡くなった『聖徳太子』の最後の言葉で終わりたい。「世の中は虚しい。ただ《仏》のみが誠である・・。」
『聖徳太子』は今僕の住んでいる〔河南町〕のすぐ北にある〔太子町〕で葬られ眠っている。
・・もうちょっとだけオマケの余談。実はこの『紙芝居』を何年か前に《蘇我氏》の末裔の方々に見ていただいた事がある。「へ~っ、そんな事があったんか。先祖の事もまだまだ知らん事があるねんなぁ、ありがとう」とおそらく冗談であろうが、そう言われ、僕は思わず『ハニカミ法師』になったのを覚えている。おしまい
バレンタインデーの次の日は《お釈迦様の命日?》:紙芝居『お釈迦さま最後の旅』
「・・さて、ではここで問題です!2月14日は《バレンタインデー》ですが、その次の15日はいったい何の日でしょうか?」というようなクイズ番組は見たことがない・・。 (悲しいかな・・。)
実はこの日は〔お釈迦様〕が亡くなられた日だったのだ!〔この日の法要を『涅槃会(ねはんえ)』と云う〕。
(仏教もの39)
・・35才で悟りを開かれたのち〔お釈迦様〕は、80才で亡くなられるまで、ずっと旅から旅の旅ガラスの生涯であった。
それは《仏教》を布教する為の旅でもあったのだ。
・・が、80才になられて流石のお釈迦様も疲れた。
そこで死期を悟ったお釈迦様は、最後はご自分の故郷で亡くなりたいと思われた・・。(僕は思う・・〔お釈迦様〕のようなお偉い方でも、最後は故郷に帰りたいと思うのか?故郷はそんなに良いものなのか?・・でもわかるような気がする。僕も時々育った大阪の下町が懐かしくてたまらんようになるから・・。あぁ思い出す、あの本町通りの〔たこ焼き〕の匂い・・話を元に戻す。)
・・それで〔お釈迦様〕はお弟子を連れて故郷へと向かわれた。途中、鍛冶職人の家で一泊され、そこでキノコ料理(豚肉という説もある)をご馳走になったが結果的にこれが良くなかった。
〔お釈迦様〕はひどい腹痛を起こされ寝込まれる様になってしまった(食中毒と云う説がある)。
・・が、頑張り屋のお釈迦様である。少し良くなったら、又旅を続けようとされた。 この間、まだ〔最後の弟子〕を受け入れておられるから凄い。
が、しかし《クシナガラ》という所でついに力尽き、2本のサーラ樹の間に床を敷き、北を枕にして(ここから死者の《北枕》は始まる)弟子たちに向かって最後の教えを述べられる。
「・・よく聞きなさい。私が死んでも、私の《教え》はなくならない。だから《教え》を私だと思って、怠ることなく努めなさい。・・たのんまっせ(こんな事は言ってない)。」と言いお亡くなりになられた。
この日は、〔バレンタインデーの次の日(えらいこだわるなぁ~チョコほしいんかい?《はい!》と素直に自分で認める)〕の、2月15日の夜であったと伝わっている。
・・そしてこの〔お釈迦様〕の教えは、やがて弟子たちによって編さんされ、これが今の《お経》というものになるのである。おしまい
