住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『福の神と貧乏神』

 ・・この物語の最初に登場する《迷った男》のような〔質問〕を、実際に何度か聞いた事がある。
 その度にこの『話』を思い出す。
 これは時代を超越した〔普遍的テーマ〕の話かもしれない。
ファイル 119-1.jpg 〔仏教もの10〕『大般涅槃経』より
 昔むかし、ひとりの男が肩を落として、おシャカ様のお寺にやって来た。
 男はおシャカ様に言った。「どうして私はこうも運が悪いのでしょうか?ほとほと生きてゆくのが嫌になってしまいました。」と・・。
 おシャカ様はお答えになった。「何があったか知らないが、仏の教えに〔運が良い〕とか〔悪い〕というものはない。すべて《縁》によって生じるのだ」と言われ、次のような喩え話をなさった・・・。
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或る家に、光輝く美しい女性の旅人が訪ねて来た。
 家の主人が「何の御用か?」と尋ねると、女は「私は《福の神》と申します。どうか一晩だけ泊めてください」と言った。 主人は快く迎え入れ、手厚くもてなした。
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 しばらくすると、又ひとりの女性の旅人が訪ねて来た。
 彼女は自分を《貧乏神》だと名乗り、やはり一晩泊めて欲しいと言ったのだった。
 それを聞いて主人は、「今日は大切なお客様が来て下さっているのだ。お前なんか泊めるわけにはいかない。帰ってくれ!」と言って、戸をあわてて閉めた。
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 すると戸の外から、女の笑い声が聞こえてきた。「オホホホッ、あなたはなんておバカさんなんでしょう。その大切なお客さんというのは、私の姉の《福の神》でしょう。姉があなたの家に向かったので、私もあなたの所にやって来たのですよ。
 私達〔姉妹〕は常に一緒に行動しているのです。私を追い出せば、姉もいなくなりますよ。」と言った。
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「まさか!」と思って主人があわてて奥の部屋を開けてみると、すでに《福の神》は消えていた・・・・。
 
 おシャカ様はこのお話をされた後、目の前の男に次のような話をされた。
 『生があれば死があり、幸いがあれば災いがある。・・人はこの事を知らなければならない。 愚かな者は、ただイタズラに災いを嫌い幸いだけを求めるが、道を求める者は、この二つを共に越えていずれにも執着してはならないのだ』と・・。 おしまい

紙芝居:『新兵衛のかたち』

 先日、大阪の或る《有名料亭》が潰れた・・・。
 女将は「(のれん)に(あぐら)をかいていたのかもしれない・・」とテレビで言っていた。
 有名になると、自分の実力以上の〔何か?〕の作用が勝手に働きだすのかもしれない・・・。
ファイル 117-1.jpg  (あらすじ)〔文学もの4〕
 昔むかしの戦国時代。
 摂津の国に豪傑で知られる〔中村新兵衛〕という武士がいた。彼は力自慢でもあったが、それにもまして、彼の着飾る華やかな《鎧や兜》は他国でも大変有名になっていた。
 一度合戦が起こると〔新兵衛〕は必ず一番先に飛び出し、槍を入れるので、敵兵はその姿かたちに恐れをなし、ただ逃げ惑うのみであった。
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ある時、〔新兵衛〕の屋敷にひとり若武者が訪ねて来た。
 彼の頼みは、《初陣》に当たり日頃より尊敬する〔新兵衛〕の《鎧と兜》を貸してもらい、手柄を立てたいという事であった。
 おだてられると嬉しい。〔新兵衛〕はその頼みにOKした。
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そして、やがて合戦の日を迎えた・・。
 〔新兵衛〕の鎧をつけた若武者は、一番先に敵に向かって突進して行き、敵はその姿に恐れをなし、見る見る内に倒されていった。
 〔新兵衛〕はそれを見ていると、「おおっ、これ程までにわしは皆から恐れられていたのか!わしもたいした者じゃのう・・」と愉快でたまらなかった。そして「そろそろ本物のこの新兵衛様が二番槍を入れてやるか!」と自分も突っ込んで行った。
 ・・が、いつもとは様子が違っていた。
 いつもなら逃げ惑う敵が、今日に限って、突いても突いても、自分に襲いかかってくる。それはまるで、自分の鎧を着た若武者の復讐をするかのように・・・。
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 そして疲労の中〔新兵衛〕はようやく気がついた。「・・そうか、敵は今までわしの力を恐れていたのではなかったのだ。わしの《兜や鎧》・・そう、わしの姿をした《かたち》を恐れていたのだ・・」。
『頭の中が真っ白・・』・・『頭の中が真っ白・・』と、(女将が、いや)自分の心が、そうささやいた次の瞬間・・・、
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 ひとりの敵兵の槍が〔新兵衛〕の腹を鋭く貫いたのだった。 おしまい

 
 


 

紙芝居:『めぐみの雨』

 いよいよ《梅雨》シーズンの到来である。
 そこで、6月始めは『めぐみの雨』という題名の紙芝居からスタートしたい。
ファイル 115-1.jpg 〔『法華経』薬草喩品より〕(仏教もの8)
 ある時、おシャカ様はお弟子さん達に、次のようなお話をなさいました・・・。
 「この世界中の山や、川、谷、平地には、さまざまな種類の草や木が生きている。
 今、空に雨雲が広がり、いっせいに雨が降り出したと想像してみよ・・・。
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雨は、大きな木にはたくさん降り、小さな草には少ししか降らないということはない。
 どの木、どの草の上にも、同じように降り注ぐのである。
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・・でも、雨を受ける草木は、ひとつひとつ違う。
 同じ雨雲から、同じ雨を受けても、成長の速さが違う。咲く花が違う。成る実も違う。
 草木は、それぞれ自分にあった姿に成長し、やがて美しい花をつけて、実を結ぶのである。
 弟子達よ、今の話は喩(タトエ)話である・・。
 ここでいう〔草木〕というのは、〔人間〕のことだ。
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雨を降らしているのは、私〔仏〕であり、・・〔雨〕とは、〔私の説く教えだ!〕。
 私の教えは、特別な人だけのものではない。常に皆に降り注いでいるのだ。
 草木が、それぞれ違うように、人間も体型や性格などさまざまに違う。
 私の教えは平等だが、それぞれに受け取り方が違う。
 ・・が、それぞれ自分に合ったように成長し、やがて自分達の能力を十分に伸ばし、社会の為に役立てていくのだ。
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この世に、一人としてダメな人間はいない。
 そのままが特別なオンリー・ワンだ。 
 私の教えを聴いて、自分の良い性格を伸ばし、精一杯生きるのだ!それが大切なことなのだ!〔・・これでいいのだ!(これはおまけ)〕・・・」と、おっしゃられたそうです。 おしまい

法話紙芝居第一号:『くもの糸』と『続・くもの糸』

ファイル 112-1.jpg 〔文学もの1〕
『くもの糸』と『続・くもの糸』・・これが僕の紙芝居、第一作目の作品である。
 これは今から13年前、《老人ホーム》での『法話会』用に作った作品で、今振り返れば〔雑〕な絵ながら(今もあまり変わらんが・・)思い入れも深かった。
 《『紙芝居』を使ってお話を進める》という、『法話会』の形は決めていたのだが、いざ始めるとなると、どんな内容の『紙芝居』にするか悩んだ。
 そこで苑内で《アンケート》を取ってみたら『地獄・極楽〔あの世〕の話が聴きたい』というのが一番多く、それで、この芥川龍之介さんの有名な作品を選んだのだ。
・・ただ、これは悲劇的結末で終わる為、これを見られた〔お年寄り〕が、ガックリされてはいけないと思い、又、「こんな話やったら、もう来月は参加せんでおこう」と思われるのが嫌で、オリジナルの『続編』も加えた。(そんな《製作裏話》が実はあったのです) それではここらで、本編のはじまり、はじまり~・・。
 〔あらすじ〕
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 昔、《地獄》の血の池に〔カンダタ〕という名の或る大泥棒がうごめいていた。この〔カンダタ〕、生前悪い事ばかりやってきたが、一度だけ〔生きているクモを助ける〕という良い事をしたことがあった。
 それを思い出された《極楽》の〔おシャカ様〕は、極楽のくもの糸をお手に取って、〔カンダタ〕の元におたらしになった。
 それに気がついた〔カンダタ〕はしっかりとくもの糸を握りしめ、上へ上へと登り始めた。・・が、なかなか《極楽》には着けず、ふと下を見ると、自分と同じように数限りない罪人たちが登ってくるではないか。この細いくもの糸がこれだけの重さに耐えられるはずがない。〔カンダタ〕は《おシャカ様マジック》を知らなかったのだ。・・・そこで〔カンダタ〕は「このくもの糸は俺様のものだ!みんな降りろ!」と叫んだ。そのとたん・・、
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 今までなんともなかったこの《くもの糸》は切れ、罪人たちは皆、元の地獄の底に落ちてしまった。その一部始終を見ておられた〔おシャカ様〕は、悲しそうなお顔をされながらその場を去って行かれたという。 おしまい・・・いや《続編》に続く。
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 あの〔カンダタ〕が、血の池に落ちてから何年、いや何十年かが過ぎた。おシャカ様は又、ふと〔カンダタ〕の事を思い出され、再び《くもの糸》を血の池におたらしになった。
 それに再び気がついた〔カンダタ〕は又、糸を握り締め上へ上へと登り始めた。・・が前と同じ、やはり下を見ると、数限りない罪人たちが登ってくる。
 この時、〔カンダタ〕は考えた。『自分さえ良ければよい、という考え方がダメなのだ!』と・・。
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 そして〔カンダタ〕は叫んだ。「このくもの糸はみんなのものだ!さぁみんなで極楽に行こう!落ちそうな者は俺につかまれ!」と・・。やがてすべての罪人の心にも《仏心》が涌き起こり、みなで助け合いながら極楽へと行く事が出来た。その様子をずっと見ておられた〔おシャカ様〕も今回は大変満足そうであった。
 やがて・・今ではもう誰もいなくなった《地獄》の存在意義はなくなり、ぺんぺん草が生えているという。 ・・すでに《極楽》に〔ドッキリ・レジャー施設〕として売却される日は近いとのもっぱらのうわさである。おしまい。


 

紙芝居:『親鸞さまがゆく』

 5月21日は〔浄土真宗〕の開祖、《親鸞聖人》の誕生日(新暦)である。そこで、今回は《親鸞様》のドラマチックな御生涯を紙芝居を通して紹介したいと思う。
ファイル 109-1.jpg (僧侶もの2)
 今からおよそ八百年前、〔親鸞〕聖人は京都でお生まれになった。父は〔藤原の一族〕の流れをくむ《公家》であった。
 時は《源平の戦い》の真っ只中で、父もその戦さに巻き込まれ、一家は離散した。そして親鸞様は九才で出家得度をする事となった。
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そして親鸞様は約二十年間、比叡山で修行をする事になる。・・が、心の迷いを取り去る事ができず、ひとりで〔六角堂〕というお堂に籠り、やがて〔救済観音〕の夢のお告げを受け、生涯の師となる《法然上人》と出会う事になる。
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 こうして《法然上人》の弟子となった親鸞様は、熱心な《念仏信者》となり、ようやく〔心の平安〕を掴めたのだった。・・が、ちょうどその頃、バッド・タイミングで朝廷から《念仏禁止令》が出され、〔念仏信者〕達は皆罪人となり、親鸞様は《越後の国(新潟県)》に流される事になった。
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 厳しい越後での生活!しかし親鸞様は決して自分の信仰を捨てなかった。この地でも布教を続け、やがてこの地で結婚もされた。(この当時、僧侶が堂々と結婚するのは画期的な事であった!)
 親鸞様、四十二歳の時、ようやく罪が許され、関東での長期の布教を経てのち、六十二歳で京都に還られる。
 そして京都で〔執筆活動〕に入られ、『教行信証』などの多くの書物をお書きになる。
普通ならここで、〔めでたし、めでたし〕となるのであろうが、そうはいかなかった。
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 『ちゅ~と半端』な形で、関東から京都に帰って来た為、関東の地で〔念仏〕の教えに関して、自分勝手な解釈を称える〔異端者〕が多く現れパニックを起こし始めたのである。
 親鸞様はそれを収めるべく、自分の名代として息子の〔善鸞〕さんを派遣する。・・が、〔善鸞〕さんまでも異端者の仲間に入ってしまい、親鸞様は息子を《義絶》するという、苦渋の決断を下す。(いつの時代も親子関係は難しい・・うんうん) 
 ・・さらに奥さんの〔恵心尼〕様までも、この前の年には、実家に帰らねばならぬという事情が生じ去っておられ、親鸞様は年老いて孤独の〔ダブルパンチ〕を食らったのであった。
 しかし、落ち込む暇はなかった。それは次から次へと〔念仏の教え〕を乞う者が絶えなかったからである。(偉大な人って忙しいのね~)
 しかしさすがの親鸞聖人も人間である。やがて九十歳(この当時にしてはすごい長生き!)でお亡くなりになる。
 波乱万丈な聖人の御一生でした。おしまい

(・・余談になるが、この『紙芝居』は《裏バージョン》として『善鸞独白バージョン』という、『裏紙芝居』がある。これは義絶された善鸞さんが、父を非難しながらその生涯を語るという設定にしている。・・そうこの『紙芝居』は《グリコ》のお菓子のように一粒で二度おいしいお話なのである!・・又なんかの機会にはそれを書きます)
 

 

紙芝居:『おがみます物語』

・・神・仏に対して手を合わし拝(オガ)めても、生きてる人間に対して、それをするのは難しい事ではないだろうか・・?これは、それを実践して《生仏》となった男のおはなし・・。
ファイル 107-1.jpg 〔仏教もの41〕『法華経〔常不軽菩薩品〕』
あらすじ
 昔、インドに〔サダーパリブータ〕というひとりの修行僧がいた。
 彼は〔お経〕も唱えず、人に〔説教〕もせず、ただ人を見ては「私はあなたを拝みます。それはあなたは拝まれるにふさわしい人だからです。決して軽んじません・・。いずれあなたは《仏》となるでしょう」と言い、手を合わせて拝み旅をしていた。
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 この僧侶は、誰を見ても〔この挨拶〕を実践していた為に、みんなは気味悪がり、中には〔石〕をぶつけたり、棒で叩いたりする者もいた。
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ある日、この修行僧は〔渡し船〕に乗った。
 船頭は僧侶を見て言った。「あなたはあの〔軽んじません〕と言って、誰にでも拝むお坊さんではありませんか?」
 「はい、そうです。私はあなたも軽んじません。私はあなたを拝みます」と僧侶は答えた。
 「ああ、それはどうも・・。ところで、あなたにそう言われる事で、腹を立てて暴力を振るう人もたくさんいるでしょう。・・そんな人をあなたは憎んでいるのでしょうね?」と船頭が尋ねると、「いいえ、私は憎んではいません」と僧侶は答えた。
 船頭は言った。「あなたはどうかしてますよ!だいたい人は、無条件に拝まれると返って反発しますよ。・・だって誰だって、魂の深い処には〔傷〕や〔影〕がある事を、自分でもよーく知ってますからね。そこをついて相手を不愉快にするんですよ。・・ところで、なぜあなたは〔お説教〕をされないのですか?そうする方がよっぽどお坊さんらしいのではないですか?」と聞いた。
 すると「はい、私は教えを説いたりするよりも、ずっと大切な事があると思っているのです。・・それは人を讃える事です」。
 それを聞いて、「ではあなたは悪党でも讃えるのですか?」と船頭が言うと、僧侶は「はい、人は誰でも本来〔清浄な魂〕を内に秘めていると思うのです。だから、私は讃えずにはおられないのです」とそう答えた。
 やがて船は岸に着き、僧侶は降りて去って行った。
 船頭はつぶやいた。「・・うむむ、彼は本当のバカなのか?それとも、すさまじい男なのか?」と・・。
やがて、こののち、この僧侶は天からの《光の祝福》を受けて〔生き仏〕となったという。
 そうこの男、〔拝むだけ〕でその言葉の通り、仏となったのであった。
 これはおシャカ様の前世が〔軽んじない男〕と呼ばれた時のお話と伝わっている。 おしまい
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《母の日に・・》 紙芝居:『ふたりのお母さん』

 今日は《母の日》である。
 お経の中にも《母親》が主人公となるお話がいくつかある。
 今日はその中のひとつを紹介したい。(「それって、どこかで聞いた事ある話やなぁ~」と思われる方もきっとおられるはず・・)
ファイル 104-1.jpg 〔あらすじ〕 (仏教もの3)
 昔々のインドのお話。
 町はずれの林の中にキレイな泉があり、その近くに一匹の《鬼》が住んでいた。
 ある日、その泉に旅の途中の〔若い母親〕が赤ん坊をつれて水浴びに来た。
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 母親は赤ん坊を草の上に休ませ、水浴びをしていると、その隙に《鬼》は女の姿に〔変身〕し近づき、赤ん坊をさらって逃げ出した。
 「人さらいー!誰かその女を捕まえてー!」と母親は必死で叫び追いかけた。幸いなことに《鬼》は町へ逃げ込み、町の人々に《鬼》は取り押さえられた。
 ・・が、《鬼》は「この子は私の子です!あの人こそ〔人さらい〕です」と主張し、町の人々は困ってしまった。
 そこで、町一番の智恵者である大地主の若者に相談することになった。(お経ではこの若者がおシャカ様の〔前生〕の姿とある)
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若者は「よろしい、それでは私がどちらが本当の母親であるかを決めてあげよう!」と云うなり、道に一本の線を引き、赤ん坊をそこに寝かせて、お互い引っ張りあって、奪い取ったものが本当の母親であると勝負させたのだった。
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「さぁ、引け!」という若者のかけ声と共に、けたたましい赤ん坊の泣き声が響き、一瞬でその勝敗はついた。
 ・・「さぁ、みんな、どちらが本当の母親かわかったね!」若者がそう言うと、町の人々は『はい、あの先に手を離した方が本当の母親です。実の子を、あんなに引っ張り続けるような母親などいません!』と言った。
 「その通り!」と若者は言い、赤ん坊を実の母親に渡して、偽の母親の《鬼》をその後、改心させたという事である。
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 そう、これって『大岡越前』のドラマに、必ず一回は出てくるお話ですよね! 実はこの《大岡裁き》のエピソードも『仏教』のパクリだったんですね。(こんなん、ばっかりかい!)おしまい

紙芝居:『看病用心鈔の世界』 (後編)

・・かつて《医療と福祉と宗教》が一体となっていた時代・・、この物語の主人公〔良忠〕上人は、或る時は(医者)、又或る時は(カウンセラー)として活躍された。
 上人が書かれた『看病用心鈔』は「《死にゆく人》と《看病する人》をいかに救うか」がテーマであった。
 さて、平成の時代にタイムスリップし、やって来られた〔良忠〕師は、(後編)でいったい何を見られるのだろうか・・?それでは続きのはじまり、はじまり~。
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(良忠)「《第八条》は〔遺言〕について書きました。重い病気になられた方でも、意識がしっかりしている間に「遺言などはないか?」とお尋ねしておきましょうと述べたのです。
・・おお、ちょうどこの病院でも〔言葉のキャッチボール〕が行われていますね。ちょっと聞いてみましょう・・。
(病人)「誰か私の話(遺言)を聞いてくれー。」
(ボランティア僧)「はい、はい、私が聴きましょう。」
(病人)「おおきに、おおきにありがとう。わたしゃ、あんたを信じましょう。」
(ボランティア僧)「これで二人は友達だ!」
(病人)「友達だったら、友達だ!」
(医者・看護師)「あっ~こりゃこりゃ」
(良忠)「・・・」
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「《第十二条》は〔夢〕についてでございます。もし万一、病人が怖い夢を見たなら、秘密を守りながらその内容を聞いて差し上げましょう。そして共に(念仏)を称えましょうと述べました。」
(病人)「ギョエ~ 、恐ろしか夢ば見よったと!不安じゃ~誰か話を聞いてくれー!」
(若いボランティア僧)「大丈夫ですよ、ツンクさん。いやむんくさん。私たちがついてます。」
(ベテランのボランティア僧)「そうだがや~、わし等に話を聴かせてちょう!」
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(良忠)「《第十五条》は〔死の準備教育〕です。・・『日頃から積み重ねてきた〔信仰〕により、臨終の枕辺には、必ず《仏様》がお姿を現し迎えに来られるのですよ』と、お話して上げましょうと述べました。
(病人)「いよっ、仏さま!来てくださったんかい!」
(仏さま)「はいな、私は誰一人として見捨てはしないのだよ。」
(病人)「極楽って良いとこですか?」
(仏さま)「そら~、行ってみないとわかるまい。酒はうまいし、姉ちゃんはキレイし・・失敬。」
(良忠)「・・・」
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(良忠)「いよいよ最後の段でございます。《第十八条》は〔臨終の看取り〕について。《第十九条》は〔死後の処置〕について書きました。
〔臨終の看取り〕については、『病人の息絶える瞬間を、気を許すことなく見届けて差し上げましょう』と述べ、〔死後の処置〕については『亡くなられても、その周りで騒がしくしないように』と書きました。
・・・さて、いかがでしたか?結局、昔も今も《看病をする事》って一緒なのかもしれません。ただ、私の時代ではまず《病人様の気持ち》を第一に考えて看取っておりましたが、〔平成〕の今はいかがなものでしょうか??・・ああ、もうこんな時間です。そろそろ私も還らねばなりません。それでは皆さん、又お会いしましょう。(今度は極楽で・・ね!) さようなら・・」 おしまい

紙芝居:『看病用心鈔の世界』 (前編)

 ・・あの《ナイチンゲール》よりさかのぼること600年、しかもこの日本の国で・・。これは鎌倉時代の僧侶《良忠(リョウチュウ)》上人が書き残された『看病用心鈔(カンビョウ ヨウジンショウ)』という〔仏教的ターミナル・ケア〕の本を紙芝居化したお話です。
ファイル 101-1.jpg (あらすじ) 〔仏教もの20〕
 (良忠)「・・はじめまして、ワタクシ鎌倉時代の僧侶で《良忠》と申します。ワタクシ、〔タイムスリップ〕をして、この平成の時代にやって参りました。・・えっ、(なぜ来たのか)って?それは私が書きました《病人が〔死〕に至る病いになった時の〔病人〕と〔看病人〕の心の有り方などを述べた本》=『看病用心鈔』を現代の〔医療〕と〔福祉〕に照らし合わせてみたいと思ったからなのです。それではしばらくお付き合いくださいませ・・。」
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「《全十九条》からなるこの本の内容すべてを、ここに述べさせていただく訳にはまいりません。このブログがパンクしてしまいます。ピックアップして参るといたしましょう・・。
《第一条》〔病室は日常生活の場から別に設け、病人が寝ながらでも仏様を拝めるように(仏像)を安置しその手から五色の糸を伸ばして、病人の手にしっかり握れるようにしましょう〕と私は書きました。これはいつでも〔仏様と一緒〕と云う環境作りの大切さを述べた章です。」
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「おお、これは現代の看病人〔ナース〕さん、お疲れで深夜の一服ですな・・。でもそのタバコの臭いは禁物ですぞ!病人さんもその口臭・香害を〔公害〕と受け取るかもしれませんからな。私の本の《第二条》も〔酒肉五辛(ニンニク・韮)などを食べた人は病人に近づいてはならない〕と書きました。」
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《第四条》「これは私の時代の《病院》です。そう、お寺がその役目をしておりました。これは《臨終行儀(リンジュウギョウギ)》という風景でして、重い病気の方を対象にしております。病人さんは(北枕)にして西向き(西方浄土)に寝かせます。壁には《極楽》の絵を掛け、やはり仏像からの五色の糸を伸ばし握らせ安心させます。その回りには3~4人の僧侶が、看病とともに《念仏》を称えます。これは現代では〔ドクター・ナース・御家族・ヘルパー〕さんがその役目なのではないでしょうか。」
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《第五条》「これはたくさんのチューブで繋がれた〔延命治療〕ですね。・・私の時代にも〔加持・祈祷〕という名で、この〔延命治療〕はありました。・・が、私は単に〔延命〕の為だけなら、〔祈祷〕などはしない方が良いと書きました。だって『延命を祈るうちにも 減る命』っていうじゃないですか・・私ならゴメンです。」 後編につづく・・

紙芝居:『悪徳商人 岩吉!』~人肉裁判のゆくえ~

これは〔シェークスピア〕の『ベニスの商人』という《戯曲》を日本を舞台に変え、パロディ化した作品である。(・・実はこの紙芝居、海外の〔臓器売買〕のニュースを見て『問題提起』をしようと思いサスペンス調に作り始めたら、いつの間にかコメディになってしまったというオチャラカな作品である!)
ファイル 99-1.jpg (あらすじ) 〔文学もの16〕
 昔、或る大きな町に〔岩吉〕という悪徳金貸しの男が住んでいた。ある日、〔岩吉〕の店に、正直者の〔太郎ベエ〕という若者がお金を借りに来た。
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 実は〔太郎ベエ〕、親友の〔コブへエ〕の《結婚資金》を何とか工面しようと、お金を借りに来たのであった。
 一方〔岩吉〕はというと、この〔太郎ベエ〕が大嫌いであった。・・それで、お金を貸すにあたり、とんでもない条件を突きつけた。それは「もし、万一期限までにお金が返納できなければ、〔砂金一袋分〕を太郎ベエの〔胸の肉〕で返さなければならない!」という条件だったのだ。
 〔太郎ベエ〕はその条件を呑んだ。・・が、しかし無情にも期限までに、お金を作ることができず、〔太郎べエ〕は〔岩吉〕との約束を守らねばならなくなってしまった。
 〔岩吉〕はほくそ笑み、《証文》を手にし、白昼堂々と〔太郎べエ〕の命を奪ってやろうと、奉行所に訴え出た。
 そして、奉行所のお白州(シラス)に、〔岩吉〕と〔太郎べエ〕そして参考人として〔コブへエ〕が召喚された。
 なんとか、《命》を助けようと〔お奉行〕も頭をひねったが、《証文》がある為にどうする事もできない。
 「もはや、これまで!」・・と、〔岩吉〕が短剣を〔太郎べエ〕に突きたてようとしたその時、「ちょっと待った~!」と奥の部屋から、もう一人の〔お奉行〕、自称《遠山の金さん》の弟、《銀さん》が現れた。
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そして《銀さん》は言った!
「この証文には、砂金一袋分の〔胸の肉〕は切り取っても良いとあるが、〔血〕の分量までは書いてない!もし、一滴でも〔血〕が流れりゃ、こんどは〔岩吉〕!お前を裁かしてもらうぜ!」と腕の《もみじ吹雪》をちらつかせ〔タンカ〕をきった。
 これには〔岩吉〕、どうすることもできず、やがてスゴスゴと退散したのだった。
 「これにて一件落着!」
 実はこのお奉行《銀さん》は、〔コブへエ〕の許婚(イイナズケ)の〔おミヨちゃん〕が変装した姿であった。
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芝居好きの〔おミヨちゃん〕、まさに婚約者とその親友を救う為に《人肌》脱いだのであった!おしまい

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