住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「走れメロス」 その5

(続・閑話休題・・又、かいっ!)
 昨年は、『太宰治生誕百年』ということで、太宰文学の様々な作品が映画化された。
 角川映画「人間失格」もその一つであり、ファンの僕は映画館に観に行った。(ちょっとがっかりした作品であったが、映像化したのはそれはそれで凄いことだと思った。)
・・で改めて、「人間失格」の主人公〔大庭葉蔵〕と、「夫婦善哉」の主人公〔柳吉〕が、よく似た性格だな~と思ってしまったのだが、・・それは僕だけだろうか?(話のジャンルはまったく違うが・・)
 この二人、『人間大失格』な性格でありながら、どこか憎めず、大好きで、共感してしまう。
・・僕はだらしなく、弱く、繊細な人間が本当に好きなのかもしれん。それは僕の本来の姿かも。でもそれって、もしかしたら誰でもか・・?
 そして、メロスにもそんな弱い部分が・・・。続きをどうぞ。
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 「おい、小僧!ここから先へは行かさんぞ!」と突然、三人の山賊が通せんぼをしました。
「そこをどけ! 私は陽が沈まぬ内に、お城に行かねばならんのだ!・・いや、お前たち、ひょっとすると王に命を受け待ち伏せしておったな!」とメロスは叫びました。が、山賊達は何も答えず、いきなりメロスに襲いかかってきました。
 しかし、元より力自慢のメロスです。
 山賊たちの武器を奪ったと思うと、あっと云う間にやっつけてしまいました。
 「よっしゃ~、今日のところはこのへんにしといたる」と、捨て台詞を吐いて、山賊達は散々の態で逃げてゆきました。 
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 しかし、さすがのメロスも、激流を泳ぎ、山賊達と格闘した事によって疲労困憊しておりました。
 メロスはフラフラになって、自分自身に言いました。
「あぁっ、もう一歩も歩けない。・・もう、ここまでで良いじゃないかメロス。 お前はよく頑張った。 ここまでやったら、神も許してくれよう。・・これも運命なのだ。 
 友よ、こんな私を許してくれ。・・私は負けたのだ。
 そうだ、王は私に『もし遅れたら、友は殺すが、私は助ける』と言った。 ・・きっと私は助かるだろう。 しかし、そうなったら死ぬよりつらい。・・・ええい、かまわぬ。このまま悪人として生きてやれ!」
 そしてメロスは、その場に倒れこんで、まどろみ始めました。
 『立つんだ!立つんだジョー!・・じゃなくてメロス!』
 あしたはどっちだ!? つづく

紙芝居:「走れメロス」 その4

 (閑話休題) 
 この場をお借りして(どの場や?)、マニアックなご質問にお答えしたいと思います。
 まず一つ目。 
 Q「なぜ、紙芝居の登場人物が、よく名古屋弁になったりするのですか?・・大阪弁ならわかるのですが?」
 A「良い質問ですねぇ(笑い)。答えは簡単。私の母親が名古屋出身なもんで、時々、僕もうつったりして、登場人物にも反映される為です。」
 もう一つのご質問。
 Q「今回の紙芝居に、お得意の『続編』はないのですか?」
 A「これも、良い質問ですねぇ。 続編ではありませんが、メロスの親友〔セリヌンティウス〕の三日間を描いた紙芝居、『待てど暮らせどセリヌンティウス』は、裏紙芝居として企画中です。
 これは、若き日のセリヌンティウスとメロスとの出会い。なぜ二人は親友になったのか?・・牢獄の中のセリヌンティウスの回想の中で、単純でやたら正義感が強いくせに、人を巻き込んで迷惑を撒き散らすメロスと、その内気な妹に恋心を抱いたゆえに、どうしてもメロスから離れることができなかった、そんなセリヌンティウスの三っ日間の葛藤を、〔名古屋弁で〕描こうとしているオリジナル作品です。・・さぁ、セリヌンティウスファンのマニアの皆さま、乞うご期待を!」・・質問の時間、終わり。さぁ、続きをどうぞ。
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目の前を見てメロスは「あっ」と驚きました。
 そこには、昨日の雨で海のように溢れかえった川があったのです。
 「あぁ、どうしたものか・・。」と迷ったメロスでしたが、意を決して「えぃっ」と川に飛び込み、満身の力で泳ぎ渡りきりました。
 「・・疲れた。しかし、時間を使いすぎた。休んでる時間はもうない・・。さぁ、行こう。」と、又走り出しました。
 その時です。
 「待て、小僧!」と、突然、三人の山賊が道をふさぎました。
 どうなる?メロス。 つづく(余計な余談を余っさほいと書いてたから、時間なくなってしもた。)
 
 

紙芝居:「走れメロス」 その3

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 メロスが王に会ったその日の深夜、親友〔セリヌンティウス〕はお城に呼び出されました。
 彼等は二年ぶりに逢ったのでした。
 こんな真夜中に、突然呼び出された(舌を噛みそうな名前の男)セリヌンティウスは、「そりゃ、どえりゃあ迷惑でいかんわ~」などと愚痴一つこぼさず、メロスの事情に無言で頷きました。
 そしてセリヌンティウスは、「おみゃ~さんの事は、ずっと信じて待っとるよ~。頑張って行って来てちょー」と、ギリシャ中部地方のなまりで答えました。
 そして、セッセッセリヌンティウスは、縄を打たれました。
 そしてすぐにメロスは、自宅の村に向かって走り出したのでした。
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 メロスは一睡もせず走り続け、次の日、村に着きました。
 そして妹と婚約者に、「すぐに、結婚式の仕度をしてくれ!」と頼み込みました。
 「なぜなの、兄さん?」と妹は問いましたが、メロスは一言も理由を言わず、強引に〔結婚式〕を挙げさしたのでした。
 〔結婚式〕が終ったのは二日目で、その日メロスはぐっすり眠り、休みを取りました。
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 メロスが目を覚ましたのは、約束の三日目の早朝でした。
 「しまった!少し寝過ごした。・・いや、今からすぐに出発すれば、約束の日没までには間に合う」と、メロスは小雨の中、矢の様に走り出しました。
 メロスは走りながら思いました。
「私は今宵殺される。私は今宵殺される・・。が、身代わりの友が私を信じて待ってくれている!・・どうしても行かねば!」
 野を越え、森を越え、もう全工程の半分まで来ました。
 「もうここまで来れば、大丈夫だ。」と思った矢先、メロスは「あっ」と声を上げました。 
 なんと目の前には・・、つづくっかい!?

紙芝居:「走れメロス」 その2

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 王はメロスに向かって言いました。
「お前はわしを殺しに来たんだろう・・。誰に頼まれて来たのじゃ。命は助けてやるから言うてみよ。」と、顔面蒼白で眉間にしわを寄せて問いました。
 「私は病気の王から、町を救いにココに来たのだ!」と、メロスは悪びれずに答えました。
 「何?・・お前がか?」と王は笑い、そして、「しかたのない奴じゃ。・・お前などに、このわしの〔孤独の心〕がわかってたまるか?!」と言うと、メロスは、
「言うな!」といきり立って叫びました。そして、
「人の心を疑うのは、もっとも恥ずべき悪徳だ!王は町の人々の忠誠までも疑っておられる」と続けました。
「だまれ、だまれ、だまれ!・・下賤の者め!人間とはもともと私欲の塊りではないか。口でどんな清らかな事を言っても、わしは騙されんぞ!」
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 王は続けて言いました。
 「お前だって今、わしが『磔の刑じゃ!』と命じたら、泣いて詫びよう。」
 それを聞いてメロスは、
「私は死を恐れはしない!ちゃんといつ死んでも良いという覚悟はできているつもりだ。命ごいなど断じてしない。ただ・・、」と、メロスは足元に視点を落としました。
「ただ?・・ただ何じゃ?」
 「王よ、もし私に情けを掛けたいと思うなら、〔三日間〕だけ日限を頂きたい。・・私には一人の妹がいる。三日の内に、私は村に帰り、妹に結婚式を挙げさせ、そしたら又必ずここへ帰って来る。」
「嘘をつけ!!」と、それを聞いて王はしわがれた声で低く笑いました。
 メロスは「そんなに私が信じられぬなら、・・そうだ、私にはこの町に無二の親友〔セリヌンティウス〕がいる。彼を人質としてココに置こう。〔三日目〕の日暮れまでに、私が帰って来なかったら、この親友を殺してくれ!」と言いました。
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 それを聞いた王は、残虐な気持ちでそっと微笑み、
『生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないに決まっている。・・そうじゃ、この嘘つきに騙された振りをして、放してやるのも面白い。・・そして、身代わりの男を〔三日目〕に殺してやる。『ああっ、これだから人は信じられぬ!』と、町の奴等の前で、わしは悲しそうな顔をして叫んでやる。世の中の〔正直者〕というやつばらに、うんと見せ付けてやる。』と、心の中でそう思いました。そして、
「よし、わかった。お前の言う通りにしてやろう。〔三日目〕の日没までには帰って来いよ。・・遅れたら、お前の〔身代わり〕は必ず殺すぞ!・・・まぁ、ちょっとだけ遅れて帰ってくるが良い。そうすれば、お前の命だけは助けてやる。・・どうじゃ?」と言いました。
 メロスは「何を言うか!」と叫びました。
 「はっはっはっはっ、自分の命が大事だったら、ちょっとだけ遅れて帰って来い。・・お前の心はわかっておるぞ。」と、王はそう言って奥の間に引っ込んでゆきました。 つづく

紙芝居:「走れメロス」 その1

 (プロローグからの続き~)
 もう一つ、言い忘れた事が・・。
 それは、この紙芝居を作ろうと思った動機である。
 理由は簡単。この「物語」が好きだからだ。
 人間の「信頼(関係)」をテーマにしたこの小説。
 「信頼」とは、もろいものである。・・が、美しいものでもある。 
 そんなことを皆さんと共に、今一度考えてみようと思って作ったのである。
 ・・それでは、はじまり、はじまり~
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 昔、ある村に〔メロス〕という、羊飼いの若者がおりました。
 〔メロス〕には、一人の妹がおりました。
 その妹は、近々結婚することが決まっていて、兄のメロスは、その妹の為に町へ、花嫁衣裳やご馳走を買いにいくことにしたのでした。 
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 町に着いてメロスはびっくりしました。
 やけに、町全体がひっそりしているのです。
「おかしいなぁ~、二年前に来た時は、夜でも賑やかな街だったのになぁ。まるで違う町になってしまったようだ。」
 しばらく歩いた後、メロスは一人の老人を見つけ尋ねました。
 「なぜ、町全体がこんなに寂しくなってしまったのですか?」
 老人はあたりを憚るように、小さな声で答えました。
「この町の〔王様〕がいけないのじゃ。ここの〔王様〕は『心の病』に掛かってしまったのじゃ。」
 「えっ、『心の病』ですって!?」とメロスが驚くと老人は続けて、
「ふむ、〔王様〕は人間というモノがすべて、信じられなくなってしまったのじゃ。・・それで悲しいことに、ご自分の家族までも処刑してしまったのじゃ」
「なんですって!」
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 「その後、王の病は益々悪くなり、町の人間に対しても疑い始め、『家族の中から一人ずつ、お城へ人質を出すように』と、お布れを出したんじゃ。・・そしてそれを拒めば、死刑なのじゃよ。・・今日も六人が殺された。・・それで町に活気が無いのじゃ。」
 それを聞いてメロスは激怒しました。
「あきれた王だ。許してはおけぬ!」
 メロスは人一倍、正義感が強かったのです。
 メロスは、王様に意見しようと、堂々とお城に入って行きました。 
 が、すぐに疑われ、家来に捕まってしまいました。(単純な計画性の無い男、メロス!)
 そして、王様の前にひき立てられる事になったのです。 つづく

紙芝居:「走れメロス」 プロローグ

 小学生の頃に読んだこの〔太宰治〕氏の短編小説は、ずっと『ギリシャ神話』か何かを題材にして創作されたものだと思っていた。
 確かにこの小説の最後に「古伝説(ギリシャ神話)とシルレルの詩(ドイツ人:シラーの詩)から」と、あるので、外国のお話をヒントに書かれたものには違いないが・・、
 でも、これって〔太宰治〕の実体験も入ってたって知ってましたか?
 熱海の旅館の宿泊費に困った〔太宰〕が、友達(壇一雄)を、宿泊費の人質にして、「必ず、僕はお金を持って帰って来る!信じて待っててくれ!」と言って、そのまま帰ってこなかった〔太宰〕。
 「おい、おい、おいっ」と言いたくなるエエ加減な「人間失格」男〔太宰〕。
 このお話は、そんな〔太宰〕の「反省」の為に書かれたものだったのかもしれません。・・いや違う。太宰治はそんな内省的な人間ではない。きっと「これはエエ小説のネタになるわ~」と思ったのでは・・?(人間失格仲間の僕としては、とっても共感するわ~。) でも、可哀相なのは〔壇一雄〕ちゃん。壇一雄は、どんな気持ちでこの「走れメロス」を読んだんやろなぁ~。きっと「怒るで、しかし!笑うで、しかし!」と、横山やすし風に読んで叫んだんやろなぁ~。
 又、「メロスは激怒した」で始まるこの小説。
 本当は、「壇一雄は激怒した!」ってな事件があったのではなかろうか?・・(笑い) 
 プロローグが長なったでしかし~。
 それでは次回からの「紙芝居」をお楽しみに~。お話そのものは、とっても感動的な物語ですよ~ つづく

紙芝居:「法然上人物語・念仏への道」 その7(最終回)

 法然上人の「流罪」は長くはなく、半年程でした。
 しかし帰って来ても、すぐに京に入る事は許されず、結果的に大阪の『箕面(みのお)』と所で、四年間滞在されました。
 その後、ようやく京に入ることが許されたのですが、その時すでに、上人のお身体は衰弱され、八十歳で病床に付かれました。
 しかしそれから、お上人は最後の力を振り絞り、形見として念仏の肝要をまとめた『一枚起請文(きしょうもん)』という書を書かれました。
 そして、いよいよ法然上人は、『臨終』の時を迎えようとされていました。
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 一人のお弟子が「・・お上人さま、お亡くなりになられたのちは、どちらに『墓所』を築けば良ろしいでしょうか?」と聞かれました。
 するとお上人は、
「私の墓は建てなくても良い。後にお墓を建てると、そこにしかお参りしないだろう。
・・私の遺跡は全国にある。
 それは、念仏の声のある所だ。
 念仏の声ある所、みな私の遺跡なのだよ。
・・だから、みな念仏を続けておくれよ。」とお答えになり、やがて静かに念仏を称えながら、息を引き取られました。
 
 法然上人。・・それは父の遺言を守り『仇討ち』ではなく(怨みを晴らすのではなく)、多くの人々に、安心と信仰を与え続けられた、まれなる宗教者でありました。享年八十歳 南無阿弥陀仏
 おしまい
 
 (あとがきにかえて)
 この『紙芝居』は十年以上前に作ったものである。
 どんな内容で作ったか、細かいところは、とうに忘れてしまっていたのだが、このブログに発表することによって、当時の記憶が鮮明に甦った。
 法然上人をおまつりする『知恩院』へも行って簡単な取材もし、「ちゃんとした紙芝居が作れますように」とお参りもして来た・・そんな思い出が甦った。
 又、浄土宗の僧侶に間違った記述は無いか、何人かにお尋ねもした。
 今、再度読み直しても、恥ずかしいばかりの「紙芝居」ではあるが、当時の僕には、これが精一杯の作品であり、法然上人を慕う気持ちだけで一気に作ったものである。
 書き足りない部分は多々あるが、それは「法然上人」専門書にお任せすることにして、これでこの紙芝居は取り合えず終ることにする。合掌
 

紙芝居:「法然上人物語・念仏への道」 その6

 月日は流れ、法然さまの教えは、世に広く伝わっていきました。
 こうなると面白くないのが、比叡山や奈良の大寺院の僧たちでした。
 彼等は『念仏停止』の願いを、〔天皇〕に訴えたのでした。
 ちょうどそのような時期、もう一つ大きな事件が起こってしまいました。
 それは、法然さまのお弟子の草庵に、御所に仕える二人の女性が、天皇に無断で『出家』してしまったのです。
 天皇は、そのお弟子達がそそのかしたとお怒りになり、遂に『念仏停止』の命令を出されました。
 そして、二人のお弟子は斬首され、師の法然上人は、遠くの国(四国の土佐?或は讃岐か?)へ流される刑を受けられました。
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 この時、法然上人は75才。お弟子達は皆、そのお身体を心配されましたが、当の上人は、
「いや、遠い国の人々はまだ念仏の有難さを知らない者も多かろう・・。私はその人々に、念仏の教えを伝えるつもりだよ。」と言われ、元気に旅立ってゆかれました。
 
 その舟による護送の途中のことです。
 舟は京を離れ、いくつかの島を経て、『室の泊(むろのとまり)』という所に近づいた時、一艘の舟が近づいて来ました。
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 「もし、そちら御舟に〔法然上人〕様はお乗りでしょうか?」と、声を掛けて来たのは〔遊女〕たちでした。
 こちらの船頭は、「さよう、この舟に法然房は乗っているが、お前達、何用じゃ?」と答えると、
 「はい、私達は一目高名な〔法然〕さまにお会いしとうて、やって参りました。・・一つ、お聞きしたき事があるのでございます。」
 それを聞かれ、
「・・ほお、私が法然ですが、いったい何を聞かれたいのかな?」とお答えになると、遊女たちは、
「はい、私達はこの通り、はしたなき業で生活している者達でございます。・・こんな私たちでも、『後生の助かる道』はあるのでございましょうか?」と問いました。するとお上人は、
「あります。あなた達のような女人の為に、御仏は『本願』を立てられたのですよ。・・自分を卑下せず、ただ南無阿弥陀仏と称えなさい。 阿弥陀仏は、必ずあなた方を救って下さいますよ」と、言われました。
 「はい、ありがとうございます。お上人さま!」と遊女たちが答えると、
「私への感謝ではありません。南無阿弥陀仏ですよ。」と、法然さまは再度おっしゃられたそうです。
 「はい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・。」
「そう、それで良い。もう安心じゃ。」
 遊女達は、合掌しながら念仏を称え、いつまでも法然さまの舟を見送ったという事です。 つづく(次回、最終回)

紙芝居:「法然上人物語・念仏への道」 その5

 長く続いた『源氏』と『平家』の戦いも、平家の滅亡で終りを告げました。
 栄華を極めた『平家』一門の武士達も、次々に捕られ斬られました。
 〔平 重衡(たいらのしげひら)〕という武将もその一人でした。
 〔重衡〕は戦いに敗れ、捕えられ、鎌倉に護送される途中、どうしても法然上人にお会いしたいと願いました。
 その『願い』が聞き届けられ、会見が実現したのでした。
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 「法然上人さま、私〔重衡〕は、戦さとはいえ、奈良の大仏も焼き払い、人もたくさん殺しました。
 自業自得とはもうせ、このままでは『無間地獄』へ往くのは必定。・・恥ずかしながら、その恐ろしさに毎日、打ち震えておるのでございます。
 お上人さま、このような悪人にも、『救い』はあるのでございましょうか?・・いや何とぞ、お救い下さい!」
 その話をじっと聞いておられた法然上人は、やがて口を開かれました。
 「あなたの罪は、『念仏』することによって救われます。
 すでに悔いておられるのですから、犯した罪をもう思わず、ただ南無阿弥陀仏と称えなさい。
 さすれば、阿弥陀仏は、必ず迎えに来て下さいましょうぞ。」と言われました。
 「そのお言葉で、この重衡、救われ申した。あっありがとうございます!」
 やがて〔平重衡〕は、首を打たれ処刑されるのですが、その最後の時まで、念仏を称えていたということです。 つづく

紙芝居:「法然上人物語・念仏への道」 その4

 一冊の「小説」が或るとする。
 たとえば、この「小説」を20代に読んだ時と、40代に読んだ時では、当然受け取る〔感想・感動〕は違ったものとなってくるだろう・・。
 おそらく法然上人も、同じ「お経」を何度も(歳月を経て)読む中で、(その人生経験の熟された中から)違った〔感想〕を持たれたに違いない。
 それが、『念仏の救い』という教えの再発見になったのではなかろうか?
 ・・これが43歳、法然上人の新たな衝撃となり、上人の人生の大きな転機となった。
 この『念仏・再発見』ののち、突如、法然上人は、比叡の御山を降り、京の町中で万民に向けての『念仏道場』を開かれ、念仏の教えを広めてゆかれるのである。・・・では、続きをどうぞ。
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法然上人が、『特別な修行などはいらない!念仏の教え一つで、自分も救われ、万民も救われる!』と、悟られたその頃・・。
 世の中は、〔源氏〕と〔平家〕が激しい戦さを繰り返し、日本国中が戦乱の地となっておりました。
 その様子を見られていた〔法然〕様は、「今こそ、皆に《念仏の教え》を伝えるべき時だ!」と、住み慣れた御山を降り、京の〔東山:吉水(よしみず)〕という地に住居を移され、そこで『念仏道場』を開かれました。
 そこには、毎日のようにたくさんの人々が集い、〔法然〕様の教えを聴きに集まってくるのでした。
 武士・商人・農民・貴族・・、男女の区別なくいろんなジャンルの人々が集まり、上人のお話をじっと聞かれるのです。
 それはその当時、とても新鮮で魅力的な内容のお話だったのでしょう。
 いつしかお弟子も増え、その中には、のち『浄土真宗』の開祖となる、若き〔親鸞〕さまのお顔もありました。
 ・・やがて、戦は『平家』の滅亡で終わり、世は、新しい時代を迎えようとしておりました。 つづく
 
 

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