住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その4)

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 その頃、時代は大きく変わろうとしていた。
 いわゆる戦国時代の始まりだ。
 それは、本願寺教団にとっても、無関係ではいられなかった。
 ある日、守護代名と争って負けた門徒の百姓たちが、蓮如上人の元にやって来た。
 彼等は、お上人に「代名との仲直りを取り持って欲しい」と頼みに来たのだ。
 この時、取り次ぎ役のオレは『本願寺の力を見せてやれ!』という気持ちで、つい嘘を言ってしまった。
「その大名を成敗せよ!」と蓮如様はおっしゃっておられるぞ!力を尽くせ」と。
 門徒の百姓たちは、半信半疑ながら、しぶしぶ帰った行った。
 が、この意向が、北陸一帯を瞬時に駆け抜けて大騒動になっていった。
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「蓮如様が、守護代名を成敗せよ!とおっしゃっておられるぞー!
 我らは仏が付いておられるぞー!皆の者、力を尽くて仏敵をやっつけろ!!」と、大百姓の一揆になったのだ。・・いや、これはもはや、一揆という次元ではなかったかもしれん。
 そして、これはのちの話になるが、結果的にこの一揆は、大名を滅ぼして、加賀の国は百年に渡って『百姓の持ちたる国」といわれるようになった。
 が、しかし、この事にビックリされたのは、蓮如上人だった。
つづく

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その3)

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そして、オレは蓮如上人の信頼を得た。
 やがて、上人の懐刀とまで呼ばれるぐらいまで出世したのだ。
 オレは嬉しかった。尊敬する蓮如さまの元で働けることが嬉しかったのだ。
 その頃、上人は京の山法師たちからの迫害に合って、都からオレの故郷[越前の国]に避難されて来られたので、オレと上人の距離は益々近くなっていたのだ。
 ところで、蓮如上人の分かり易いお手紙・伝道方法[ご文章(御文)]に、最初に目を付けたのはオレだ、オレだ、オレだ!
 『この(みんなに向かっての)手紙という、新たな布教方法を使えば、お念仏のすばらしさに、たくさんの者はきっと目を開いて信仰心を持ってくれるはずだ!』と、オレは思った。
 そして、蓮如さまに(お手紙=)『ご文章』の執筆をより多くお願いした。
 これは当たった!
 この結果、この方法で、全国各地に膨大な信者(門徒)の数が増えたのだ。オレの鼻は高々だった。
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 そしてオレは[本願寺大教団]の中で大出世した。
 足利幕府や守護代名たちとの、難しい付き合いや舵取りも任されるようになったのだ。
 オレは、この教団をもっと大きくしたい、蓮如さまをもっと有名にしたい、喜んでもらいたいと頑張った。
 そんな頑張っている姿を見て、蓮如さまはオレを秘書にして外交すべてを任してくださった。
 ・・やがて、オレのもとに、金銀の財宝・米俵などがわんさか入るようになった。
 それはいわば、オレの一言で、教団内の地位・あるいは行政が決まるものなのだから、門徒や各地のお寺の僧侶からの付け届けが、このオレ様のもとにたくさん入ってくるようになったのだ。
 いつの間にやら、オレの直属の部下は数百人。
 そして、財宝の蔵は十三棟にもなった。
 オレは、得意の絶頂だった。 つづく
 

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その2)

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 そもそも、オレが蓮如上人に出会ったのは、旅の途中、京の都に寄った時であった。
 偶然、[大谷]という所にある寺で、オレは蓮如上人のお説教を聞いたのだ。
「念仏一つで、仏さまに救われるのです!」という、蓮如上人の言葉にオレは度肝を抜かれた。
 そして、その場でオレは蓮如上人に弟子入りをお願いしたのだ。
 お上人は喜んで快諾してくださった。
 オレは、浄土真宗という教え、いや⁈
蓮如上人のお人柄に惚れたのだ。
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 オレは浄土真宗の僧侶になった。
 が、元来、文字の読み書きが出来なかったオレだ。
 一人前の坊主になるには、絶対、教養は必要だ。
 そこで、オレはもう勉強を始めた。
 四十の手習だ。
 文字の習得は、イロハから始め漢字も覚えた。
 そして、やがて開祖・親鸞聖人のお聖教を写せるようにまでなった。
 そんな姿を見て、師匠の蓮如上人は本当に喜んでくださった。
 つづく

紙芝居:『蓮崇(れんそう)と蓮如上人』(その1)

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 [はじめに]
 蓮崇(れんそう)という名の悪僧がいる。
 ・・いや、悪僧とも一概には言えない。
 精いっぱい自分の置かれた地位で、尊敬する人の為に、愛する教団の為だけに生き抜こうとしたことが、誤って悪僧と呼ばれた由縁かもしない。
 いや、愛することがいつの間にか、ちょっとした錯覚でそれが野望へと変わり、いつの間にかとんでもない大事件を起こし、その名を歴史に『悪僧』という汚名を刻んだのかも・・。
 それが浄土真宗の中興の祖[蓮如(れんにょ)上人]の右腕とまで云われた『下間蓮崇(しもつま・れんそう)』である。
 それでは、今からその[蓮崇]の波乱万丈の生涯を紙芝居で見て頂きます。はじまり、はじまりー。
 
[蓮崇]「オレの名は下間蓮崇(しもつま・れんそう)。
 本願寺の中興の祖、蓮如上人の名参謀と呼ばれた男だ。
 そもそも、オレは[蓮崇]と言う名ではなかった。
 越前の国(今の福井県)出身の無名のオレが、わが恩師・蓮如上人から篤い信頼を得て、[下間蓮崇]という大そうな名を頂いたのだ。
 それでは今から、オレの栄光と挫折の話を聞いて頂こう。」つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その9・最終回)

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ペスト禍の翌年1666年、ロンドンは大火事に見舞われた。
 この火事によって、ロンドン市内の住宅の85%(13200戸)は、焼失した。
 が、幸いな事に、(これだけの大火事の割には)死者は少人数であった。
 のち、ペストの原因とも言われたネズミも、この大火災で死に絶えこの伝染病が収束したと言われている。
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 そして、このペスト伝染病の恐怖は終わり、平穏な暮らしにどうにか戻った。
 が、私はこの伝染病というものは、滅びたのではないと思っている。
 ただ眠ってくれているだけだ・・と思う。
 おそらく、いつか又形を変えて、人間世界で目を覚ますに違いない。
 その時の為に、私はこのイギリスロンドンで起こった事を、後世の人々に(我々がこの伝染病に対して行った精一杯の(愚策ともいえるかもしれないが)対策や事件などを)記録した。
 後世の人々よ、どうかその時が来たなら、その時代の智恵を出し合って、試練をどうにか乗り越えて欲しい!
 おしまい

 終わりに
 イギリスにも行った事が無い人間が、この国難とも言えるコロナ禍に、何か、紙芝居でお役に立てないだろうか?と大急ぎで資料を集めてこの紙芝居を作りました。原作は『ペスト』という長編です。この機会に一度読んで見て下さい。
 それと、うがい、手洗い、マスクを忘れずに・・。

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その8)

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 が、このような状況下、悪いことばかりでもなかった。
 それは、このロンドンのベスト禍の噂を聞いたイギリスの地方の町から、たくさんの義援金や必需品が送られてきたからだ。
 これによって、ロンドンでは一人も餓死者が出なかったのである。
 又、余談になるが、有名な科学者アイザック・ニュートンもこの時のペスト禍の渦中にあり、ロンドンから田舎に避難・疎開していた。
 そこで引きこもりながら、リンゴの落ちるのを見て?万有引力の法則を発見している。
 後日、ニュートン自身がこの時の(自粛)疎開が無かったら、万有引力を発見できてなかったと述べている。
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 このペスト大流行の悪夢の年(1665)の冬近く、なぜか、その流行が収まって来た。その死者の数も減ってきたのだ。
 その理由は今もわからない。
 それは、神様の思し召しなのか?、あまりに人が亡くなったので人口が減り、密しなくなったせいか⁈、自然治癒力が増加して来たからか⁈
 ただ、ペスト禍が去ったという噂は、直ぐ各地方に広がった。
 その噂を聞き、避難していた貴族たちが、我先に帰って来た。が、これが良くなかった。
 警戒心の無い生活にすぐ戻ってしまい、二次感染、三次感染ブームが起こってしまったのである。
 ・・が、それもあまり大きくならず、徐々に感染は少なくなっていった。 つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その7)

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このような不安な世情であったので、その不安をもっとあおろうとする占い師や、おかしな魔術師、・・又、インチキ薬を売って、もうけようとする偽医者も現れた。
 そしてここにも、怪しげな裸の男が・・、
「わしは神じゃー!あの星を見よ!あれはこの世が滅亡する予兆なのじゃー。
 しかし、ワシの弟子になれば必ず救われるぞ!
 さぁ、全財産をワシの教団に寄進せよー。そしてワシの弟子になるのじゃー!」と叫んでいた。
 このような怪しげな宗教に入信し、救いを求める者も決して少なくなかったのだ。
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 又、市議会の行政は、すべての犬・猫などの小動物の駆除の法令を発令した。
 それは『これら小動物は、毛の中に悪い菌をくっつけて感染を広げているかもしれない』という医者からの勧告に従う理由からであった。
 こうして、駆除された犬が四万匹、猫は二十万匹、又ネズミなども大量に駆除されたのだ。 つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その6)

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 この大穴の中に遺体を埋葬する。
「こんな大きな穴を掘る必要はあるのか?」と私は思った。
 が、あっという間に穴は遺体でいっぱいになってしまった。
 ある日、私は埋葬人に聞いてみた。
「あんた達は感染しないのかね?」と。
すると彼は、「ワシらの仲間でも感染して亡くなった者が、多くいますよ。が、ワシは毎日ニンニクを食べ、お酢を頭にかけて絶えず湿らしているので、大丈夫なんですよ。」と。
 不思議な事だが、こういう事でペストに感染しない者もいたんだ。
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 ロンドン市議会は、このような非常事態に感染拡大を防ぐ為、人が集まる酒場や芝居小屋の営業を禁止した。(いつの世も同じ)
がしかし、(いつの世も、こりゃ又同じ)行政に逆らうものが居た。
 この酒場でも、毎晩こっそり営業をしていた。
「こんな楽しい事、やめられまへんで!アルコール消毒や!」
「ペ、ペ、ペストなんか、怖くない怖くない。」
「人間一度は死ぬんや。あの世に行ったら、神さまに文句を言うたんねん!」と、関西系のイギリス常連客達は毎晩、酒を飲み騒いでいた。
 がある日、その中一人が感染し、あっという間に皆、亡くなったという事である。つづく
 

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その5)

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「死体は無いかーい、チリンチリン。
 死体は無いかーい、チリンチリン。」
と、真夜中になると連日、死体運搬人が鐘を鳴らして、リヤカーで街を回る。
「おーい、止まってくれー。
 この家の住民も今日、みんな亡くなったんだ。遺体を窓から下ろすので手伝ってくれ!」と、一人の監視人が叫んだ。
 そして、二階から毛布に包まれた遺体が何人も下ろされてきた。
 このような光景は日常茶飯事であったんだ。 
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 そして、リアカーは遺体を乗せて、街外れの墓場近くの大穴の場所まで来た。
 この穴に遺体を(葬式もせずに)埋葬するのだ。つづく

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その4)

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 一般市民は、貴族のように街を脱出できなかった。
 そんなゆとりはなく、家族の為にペスト感染の恐怖と戦いなから、働かなければならなかったからだ。
 それで、益々人から人への感染が広がり、多くの人が亡くなった。
 仕方がなかったのだ。
 それを見た行政は緊急会議を開き、新たな感染防止の為の法令を発令した。
 それは
「ペストに感染した者、並びのその家族、女中は、家からの外出を一切禁止する!」というものであった。
 又、その為に、行政は監視人も24時間付けて、その家を見張りつづけるという念入りの入れようであった。
 残酷な方法だが、市民を守る為には、これは仕方のない事だったのだ。(自宅封鎖やねぇ。ロックダウンやなぁ)
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 ペスト感染者とその家族の、強制自宅隔離が始まった。
「誰かーっ、助けてー!ここから出してー」と、窓から感染者家族の声が聞こえる。
 しかし誰もどうしようもできなかった。
 感染者家族の食事は、監視人が用意してはこんでくれる。
 が、この外出禁止令は、家族にとって絶望でしかなく、自殺するものも多く出た。
 そして、この監視人であるが、辛い仕事なので希望者が少ないと思いきや、ペストのせいで不景気となり失業者が多くでて、監視人希望者にはそう困らなかったそうである。つづく

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