住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その6最終回)

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さぁ、今回で最終回ニャ〜。
それでは、ここで僕の本当の姿をお教えしましょう。
‥実は、僕はただのクロネコじゃないんだよ。
袋中さまの守護神[主夜神(しゅやじん)]という仏様からのお使い(使者)なんだ。
僕はその仏様から「袋中上人を守るように!」という、いわゆるボディガードの役目と、福を招くようにという、『二つのお役目』を命じられたんだよ。
諸説によれば、この事が後の『招き猫』の始まりになったとも言われているんだよ。
そのお陰かはわからないが、袋中さまは87才まで長生きされるんだ。
又、『沖縄民謡エイサー』の完成という大きな(当時の日本)本土との交流(橋渡し)も出来たし、本当に良かったよ。
それじゃ、みんなこの辺でお別れだ。又、何処かで会おうね!さよならニャー、ゴロニャーゴ!
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おしまい

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その5)

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‥そして三年が経ったニャー。
琉球の人たちに惜しまれながら、袋中上人は(日本)本土に帰る事になった。
〜〜〜
その後、琉球王国は大きな変化があったニャ。
それは九州の薩摩藩(今の鹿児島県)が、琉球国に突然、武力制圧を掛けて来たんだ。
それに対して、琉球王国は争わず降伏。
そして琉球国は、薩摩藩の支配下に入ったんだ。‥つまり琉球は、これで正式に日本国の一つに入ったんだニャー。
‥きっと琉球王は、(師であった)袋中上人からの『戦争という争いからは何も生まれない。平和が一番大事』という、仏教の教えを身をもって受けられ、実践されたのだろうと思うけどニャ〜、知らんけどニャ。
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そして琉球王は、日本を治める徳川将軍に挨拶をする為に江戸に向かい、その帰りに京都に立ち寄られた。
そこで、袋中上人と涙の再開をするんだニャ〜。
お互い懐かしく、嬉しかったに違いない。
僕も思わずもらい泣きしたニャ〜。
この後、袋中上人のお寺『檀王(だんおう)法林寺』と琉球国との交流はずっと続いて行く事になるんだニャー。
‥さぁ、そろそろこのお話もおしまいに近づいてきたニャ。つづく

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その4)

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こうして、袋中(たいちゅう)上人は説明されたニャー。
「‥たとえば、苦しい事や悲しい事が起こった時、ナムアミダブツと念仏を称えると、阿弥陀(アミダ)仏という仏様が助けに来て下さるのです。
すべて、阿弥陀仏にお任せするのです。
ご先祖様も私たちもすべて助けて下さいます。
その為の修行などは何一つ入りません。
‥その有り難い阿弥陀仏に我々は感謝して、喜びや悲しみもすべて身体全体で表現して、仏様やご先祖様の為に、踊る事が良い事だと私は思っております。
‥このように・・、」と言って、袋中上人は王様達の前で、ご自分の故郷で行なっていた[(ジャンガラという)念仏踊り]を太鼓を出され叩き、舞い始めたのだニャー。
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その念仏踊りを見られ、日頃から悩みの多かった王様は救われたような気がされたんだニャー。
そしていつの間にか、ご自分も踊っておられた。
やがて、それを見られた妻や家来たちも、踊りに参加されたんだニャー。
本当にみんな楽しそうだった。
もちろん、僕も踊ったニャー。
その時。誰かが『みんな集まれ!』という意味の掛け声『エイサー!』と声を掛けたり、『よいしょ!』や『それっ!』というお囃子の意味の『イヤーサーサー!』と声を上げたりして、大変盛り上がった。
これが後の『沖縄民謡エイサー』になっていくのだニャー!‥知らんけどニャー。いや、そういう説が多いのだニャー。
そして、王様は袋中上人の心の弟子になられ、和尚人の為に[桂林(けいりん)寺]というお寺を建てられたんだニャー。つづく

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その3)

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「おい、クロ。寝てばかりじゃダメだぞ。もう陸地に着いたぞ!」
「ハァ〜イ、えっ⁈もう明国に着いたのですか?」
「そんな顔するなよ。違うよ。ここは琉球国(沖縄)だよ。・・残念ながら、明国には入れなかったんだよ。」
「えっ⁈どうして?」
「それはね、かつて我国は、豊臣秀吉公が朝鮮・明国と戦争をした為に、彼の国は怖がってまだ我が国の船を明の港に入れてくれなかったんだよ。・・本当に残念だよ。」
「じゃあ、これからどうするニャ?諦めて我が国に帰るかニャ‥。」
「うーん、どうしようかと迷っているんだ?‥だが、これも考えてみれば、仏様のお導きかもしれない。一つ琉球国で仏様の教えを説いてみようかなと?‥今そう思っているんだ。」
こうして、袋中さまはご縁を頼り琉球国の王さま(尚寧王(しょうねいおう)に拝謁する事が出来たんだよ。
そして、琉球国の王様の居られる首里城に案内されたのさぁ。ゴロニャーゴ。凄いニャ!
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王様は言われたニャー。
「袋中上人とやら、我はこの国の王.[尚寧]じゃ。よく、広大な海を越えて参った。
明国に行けなかったのは残念じゃが、どうじゃ、わしに仏教という教えをわかりやすく教えてくれぬか?‥そもそも、仏教とはどのような教えなのじゃ。この国でも役に立つのか?‥和尚の知る、仏教を教えてくれんか。」
「‥はい、わかりました王様。私が学んだ『念仏』という仏様の教えをお話し致しましょう。」つづくにゃ。

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その2)

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あ〜又、袋中さまのブツブツ一人事が始まったにゃ。
「あ〜ぁ、やっぱり(中国の)明(みん)に直接行って見なけりゃ詳しい仏教の教えはわからない・・。行ってみたいな〜、明の国へ!・・よし、もう我慢できない。お寺の仲間には内緒でこっそり出かけよう!クロ、お前も行くかい?」
「かってん、承知ニャー!』
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・・という訳で、袋中さまと一番弟子の黒ネコの僕は、お寺の仲間達には内緒で、南国行きの貿易船に乗せてもらい『明国』に向かって出発した。
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ところで、どうしてネコの僕も船に乗る事が出来たのかって?それは、船には食べ物を食い荒らすネズミたちがよく居たからさ。
僕はそんなネズミを見つけて退治する仕事があったので、船乗りたちには昔から大事にされてきたのさ。
僕は船の守り神だね。
袋中さまも、さぞや鼻が高かったろう。オッホン!
つづく

紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』(その1)

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ニャ〜オ!皆さん、こんにちは。
僕は招き猫のクロと言いますニャー。
僕の飼い主は[袋中(たいちゅう)上人]という偉いお坊さまだニャー。
このお坊さまは戦国時代の終わり頃に、東北地方の福島で生まれたんだニャー。
袋中さまは幼い頃、おじさんのお寺でお坊さまになって一生懸命に仏教の勉強をされたんだ。
そしてやがて不思議なご縁で琉球国(今の沖縄県)に渡り、そこの王様と出会い、仏教の『踊り念仏』を教えられる事になったんだ。
やがてそれが沖縄民謡[エイサー]踊りのルーツになってゆくのだニャー。
それではその袋中上人と沖縄王国とのお話の始まりはじまりだニャー。つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その5 最終回)

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阿国から始まった芸風は、庶民文化の中で、街中の[チンドン屋さん]へとも、変わっていったのです。
‥楽しく賑やかになり、現代に至っています。
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今、日本を代表する文化となった歌舞伎。
それは、今から400年前の阿国という一人の女性から始まりました。
彼女の喜びや悲しみの踊り舞いが、やがて今日の日本伝統文化[かぶく]=歌舞伎という派手な衣装を身につけたお芝居となり、人間国宝を生み出すようになったのでした。 おしまい
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(前進座お芝居『出雲の阿国』より)

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その4)

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‥その後、[阿国歌舞伎ロス]になった京の都はどうなったでしょう。
知恵のある?都の商売人たちは、こう思いました。
「女性の肌を露出する踊りが、風紀上良くないのなら、男性が肌を見せるなら良いだろう。」と言って‥、
都の商売人たちは、次に若い超美男の男性を集め、今でいうイケメンの若者を募り、歌い踊らせ芝居をさせました。(‥あまり現代と変わらないような‥?)
これは『若衆歌舞伎(はたまた野郎歌舞伎)』と呼ばれて、大ヒットしました。
‥しかし、これも江戸幕府に目をつけられ『これも風紀上良くない!』と禁止にされてしまいました。
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そしてその後、歌舞伎は(お堅い真面目な?)大人の男性だけが、男役、女役を演じる芸能芝居に形を変えて全国に広がり、日本の文化になってゆきます。(幕府の風紀係はもうあまり介入しませんでした‥)
さらに、阿国歌舞伎から、もう一つ新しく分派した商売がありました。それは‥.つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その3)

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やがて、その『阿国』の噂を聞いた時の二代将軍[徳川秀忠]は、「その京の都で人気の踊り子、阿国とやらのかぶく踊りを是非、お城で見てみたい!」と所望し、呼びつけて観覧しました。
‥が、(超まじめ人間)秀忠は、その阿国が肌や素足を露わにし、髪を振り乱し踊る姿を見て、「‥徳川幕府がこれから築いてゆく社会の風紀に、この踊りの芸は良くない!」と、阿国歌舞伎を禁止にしてしまいました。
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‥落ち込む阿国。そしてその後、彼女は都から忽然と消えてしまいます。
それから、阿国はどうなったでしょう?
‥おそらくこれは想像ですが、阿国は故郷の出雲に帰って、静かに余生を過ごし亡くなったと考えられます。
現在、島根県出雲市に、[歌舞伎始祖]として阿国のお墓が建っています。つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その2)

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‥時代は[徳川時代]に移ります。
そして、阿国は恋をします。
その相手は[名古屋山三(なごや・さんざ)]という、彼も天下一派手な[かぶく侍]でした。
阿国と山三のカップルは、あっという間に都中のうわさの人気者になってゆきました。
‥しかし、その幸せもつかの間、恋人の山三は侍同士の争いに巻き込まれ、亡くなってしまいます。
阿国のショックは、それは大きいものでした。
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その悲しみを癒やす手立ては、やはり踊る事しかありません。
阿国は悲しみを忘れようと、必死になって踊りました。
そんなある日、阿国は恋人[山三]の霊が乗り移ったかのように、彼の形見の刀を持ち出し、彼の十字のロザリオを身につけ扇子を片手に、狂ったかのように髪を振り乱し、[山三]自身に成りきって踊り始めたのです。
それを見ていたお客たちは、その鬼気迫るその迫力に、「おお、あれは正に[山三]の霊が乗り移った姿!‥おお、阿国!天下一!阿国かぶき、天下一!」と褒めたたえ、その舞いに熱狂しました。
‥が、しかし、つづく

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