(狭山池博物館)
今、『大和川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり』という紙芝居がようやく60パーセント程完成し、めどがついた為、その次の紙芝居『狭山池の底の石棺 ど根性!重源和尚の究極のリサイクル』という紙芝居の製作に入っている。
が、この紙芝居製作が(中甚兵衛さん以上に)困難を極める。
・・ということで、今日、この紙芝居の舞台『狭山池博物館』へ(又)行って、(多くの疑問点を)学芸員さんやガイドボランティアさん等に御教えを受け、疑問を解消してきた。
(今も展示されている石棺)
鎌倉時代の僧『重源』さんは、当時、干上がっていた狭山池の水を、「短期間でダムを復活させて水を溜め、その後、田んぼに水を潤すように」という事業を請け負ったため、工事を受け持つ地域住民に一つの条件を命じる。
それは、近くにある古墳から大量の「石棺」を取り出してくるようにという命令だった。
つまり、その石棺を改造して、ダムの底の前と後ろ(吸水と排水)に通す(水道管〔石樋管〕のような)トンネルを作ることを思いついた訳なのだ。(・・言葉では解りにくいので、又紙芝居が完成したら見てください)
でも、これは考えてみたら、むちゃくちゃな方法で、静かに祭られているお墓を荒らして、今の生活に役立つように、墓(石棺)をリサイクルするという方法なのだ。
この墓荒らし行為を(国家的規模で)しかも僧侶でありながら、どうどうと命じ、今、飢餓で苦しむ人々の為に実行に移した重源さんの行動力とアイデアはスゴイの一言だ。
どう考えても、紙芝居向きのドラマチックな人ではないか!
後は、うまく物語風に起承転結つけられるかどうかに掛かっている。
(狭山池の夕陽)
「紙芝居が完成したら、是非この博物館で上演して下さい」と、館長さんにも言われたので、がんばって(春までには)作ろうと思う!
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狭山池博物館への取材
羽曳野市「くすのきデイサービス」への出前
(くすのきデイサービス)
本日、羽曳野市にある「くすのきデイサービス」へ、お寺の出前に行って来た。
こちらへは、年三回ほど寄せてもらっているだろうか?
デイサービスなので、毎回、同じ人にお出合いする事は少ないのだが、その度に違う紙芝居を持って寄せて頂いている。
さて今日は、1時間の出前タイムなので、「嫁脅しの面」と「地獄のはなし」、「極楽のはなし」の三本の紙芝居を演じさせて頂いた。
「嫁脅しの面」では、皆さん、身近な話題「嫁と姑の話」ということで(笑い)、食い付くように、前のめりになって見て下さり、こちらも熱が入った。(途中、「私は嫁と仲良くやってますよ」と、聞きもしない感想が出て苦笑してしまった。)
最後は、いつものように『鬼』に変身。
皆さん「あ~~恐。」とか、中には「住職さん、今日はその面付けて帰りなはれ」とか言われ、ちょっと僕が遊ばれたりした。
そして、受け持ち時間の1時間が終り、帰ろうとしたら、「ああ、おたくは、以前もここに来て下さいましたね。」と、ぎりぎりになって気がつかれ声を掛けてくださった女性が現れ、思わず僕は「・・気がついてくださったのですね。僕の帰り際に・・・間に合いました。ありがとう」と笑いながら、すっとぼけて帰ることにした。
忘れてもらって結構ですよ。・・ご希望とあれば、まだまだこれからも何回も寄せてもらいますからね。その時、思い出してね。合掌
昨日の夜の「白寿苑」法話会
(法話会開始前の準備段階)
昨日の晩は、特養老人ホーム『白寿苑』の月例法話会の日。
出発前には、自坊では雪が舞いそうな感じだったので、(凍結を恐れて)いつもの高速道路を使わず、下の道路から行った。(やはり、約1時間30分は掛かった。・・やっぱり高速の方が早いなぁ。当たり前か。・・でも結局、住んでるこちらは雪でも、大阪市内は雨やった。)
到着したら、ホールでいつもの「紙芝居法話」の準備開始。
老人ホームは、皆さん、早くからお集まりになるので、(午後7時からの開始なのだが、)いつも6時半頃からすでにお話(雑談)を開始している。
「風邪引いてませんか?」とか、「もう、お風呂入ってこられましたか?」とか、「今日の晩御飯のおかずは何でしたか?」とか、他愛もない事をべちゃべちゃ喋っている。
その内、皆さんお集まりなり「法話会」の開始である。
昨日は、二月恒例の「涅槃会」のお話と、『お釈迦様最後の旅』という紙芝居をする。
その後、いつもと同じように皆さんと一緒に「語り合うコーナー」のはじまりである。
昨日は、「お釈迦さんは北枕で亡くなられたんですよ。又その後、ご遺体は火葬されましたんやで。」とか言うと、「ほな、私等、日本人はお釈迦様のまねしてまんなぁ。」と感想が返って来たりして、盛り上がる。
内容自体は、単純な事ばかりなのだが、皆さんが興味を持ってくださればそれで良い。
昨日も、そんな感じの法話会であった。めでたし、めでたし。
今年の観念寺「写経会」

昨日の夜、(雪が降りそうな寒い晩でしたが、)観念寺の「写経会」は、20名のご参加があり大変盛況でした。(有難うございました)
(テキスト「正信偈」本)
さて、今回から「テキスト」本を使って、「正信偈」の写経を筆ペンを使って、などってゆく形式をとりました。
まずは、短く「お勤め」をし、その後、「塗香」で身を清め、クローブの実を噛んで口の中を清め、写経を開始したのでありました。
約五十分間の写経タイムでしたが、皆さん真剣で、咳払い一つ無い、緊張感のある良い時間となりました。
終れば、お茶とお菓子で雑談し、楽しい一時も過しました。
ご参加された一人のご婦人は、帰り際、「家ではなかなか、こんなに集中して真剣に文字を書けませんわ。・・すぐ、家の用事が気になりますので・・。なんか、今、気持ちが落ち着いて、たいへん身体の調子が良いです。住職さん、貴重な時間をありがとうございました」と、言われて喜んで帰っていかれた。
嬉しいお言葉です。・・こちらこそ、ありがとうございました。次回、四月に行いますので、又の御来院をお待ちしております。合掌
降り続く雪を見ながら・・・
・・この四日ほど、ブログを書いていない。
最近、何日もブログを書かないと、友人から「ついに、倒れたのかと心配してます」と、携帯メールが入る。
まだ、倒れてませんよ。・・(何とか)生きてますよ。
まぁ、年なので、ハードなスケジュールを終えたら、二・三日は放心状態が続くのですが・・。
それで、今日はお寺に降る雪を見ながら、生きてることを皆様にお知らせする為に、このブログを書きました。
実は、この二・三日、ゆっくり「放心状態」を続けていたかったのですが、そうもしていられなくて・・、
僧侶としての仕事もあって、お寺の「研修会」に出席したり、昨日は昨日で、お昼は「特養老人ホーム」の評議員会議に出席したり、夜は「グリーフ(悲嘆)ケアを考える勉強会」に出席していたりしてたのです。(頭の三分の二は寝てました)
で、観念寺に降り積もってゆく雪を見ていたら、又、眠たくなってきたので、「こら、あかんわ。寝てまうわ」と危惧し、このブログを書き、今から大阪市内にある「特養老人ホーム甍」へ『紙芝居法話』に出発するのでありました。(今日は『涅槃会』の日やから「おしゃかさま最後の旅」の紙芝居でもするか・・・な)
あかん、何を書いてるのか解らんようになってきたから、止めて出発します。それでは行ってきます。
専宗寺さまの「定例法座」への出前
(東大阪(本願寺派)専宗寺さま)
今日、東大阪にある(本願寺派)専宗寺さまの「定例法座」にお招き頂き、紙芝居法話をさせて頂いて来た。
こちらのお寺とのご仏縁は、今回で二度目。
(飛び出す観念寺)
一応、「飛び出す観念寺」を使っての自己紹介はしたが、皆さん、僕のことを覚えていて下さったようで嬉しかった。
さて、今日は「定例法座」なので、浄土真宗のお話をせねばと、最初は紙芝居『アミダ仏物語』を演じる。
(大阪商人に変身)
その後、休憩を挟んで、東日本大震災(三回忌)の日が近いので、『稲むらの火』の紙芝居をし、そしていつものおまけ紙芝居『大阪に津波が来た日』を演じる。
(住職家族と共に)
最後は、住職さんの子供達と一緒に記念撮影。撮影は坊守さんにして頂きました。お疲れのところ有難うございました。
可愛い子供ちゃんと一緒に過ごせて、賑やかでたいへん楽しい一日になりました。 専宗寺の皆さま、御法縁ありがとうございました。合掌
栄照寺さまの「涅槃会」法要への出前
(浄土真宗(本派)栄照寺様)
今日、大阪市城東区にある浄土真宗本願寺派「栄照寺」さまの『涅槃会』法要へ、紙芝居法話に行かせて頂く。(正直、連日の出前でちょっと疲れてきていたが・・)
こちらの寺院、今日初めてご縁を頂いた所だったのだが、(偶然であるが)僕の実家の近くであった。
で、久々に実家に寄って母親の顔を見てから、お寺の法座へ行かせて頂く。
さて、こちらのお寺を一目見て驚いた。
なんと全体が近代的な、いや近未来的な感じの、モダンな雰囲気のコンクリート寺院なのである。
そして本堂の中も、天井が高く、まるでレストランを思わせるような素敵な雰囲気なのだ。(一辺で気に入りました)
(天女の顔の共命鳥)
また、ご本尊の阿弥陀如来像の横には、二つの天女の顔を持つ『共命鳥』の絵が飾られてあった。
僕も以前、『共命鳥』の紙芝居を描いたことがあるのだが、僕の絵の場合は、チョコボールのキョロちゃんの顔を模して書いた。・・ぜんぜん、発想が違うやんけ(笑)
後でご住職にお聞きしてみると、有名な画家(金閣寺の天井の絵を描かれた絵師)に描いてもらった絵であるらしい・・。(比べもんにならんなぁ・・笑うしかない)
まぁ、でもそんなことはどうでも良い。
今日は『涅槃会』、つまり(平たく言うと)お釈迦様のご命日法要なので、僕は『おしゃか様物語』の紙芝居を中心に、『共命鳥』や『三尺三寸の箸』などの紙芝居をさせてもらった。
でも、紙芝居が終った後、皆さん、急にご本尊横の『共命鳥』に(改めて)興味を持たれたらしく、若住職にご教授を受けながら、身近でじっと眺めておられた。
まぁ、これも『紙芝居』効果か?・・ということにしておくか。 合掌
東日本大震災物故者追悼三回忌法要/復興支援チャリティイベントvol.3
(富田林市すばるホール)
本日、「富田林市すばるホール」にて、『東日本大震災物故者追悼法要/復興支援チャリティイベントvol.3』を、浄土真宗本願寺派僧侶有志主催で、開催した。
大ホールをお借りしたため、収容人数がMAX800人で、これだけ大きなホールに、ご門徒さまを、どれだけ御呼びできるだろうか?という不安は一杯あった。
が、蓋を開けば、700人は来て下さったようだ。ほんまに有り難いことだった。
まぁ、いろいろとハプニングはあったが、結果オーライだ。
被災地への募金も85万円以上は集まったし、ご門徒さんも喜んでくださったし、タレントの西川きよしさんのトークショーも面白かったし、法要は厳粛に行えたし、・・ああっそれと、『紙芝居法話』もなんとかうまくいったし、よかった、よかった。
檀家の皆様のご協力、スタッフの御尽力、ほんとうに有難いことでした。合掌
出前は、愛知へ (後編)
(お城から見た岡崎市)
次の日、お寺での法話の(僕の)出番は、お昼からの為、午前中、岡崎市内を散策する。
(家康誕生の地:岡崎城)
最初は、宿泊したホテル近くにある、岡崎城へ。
ここは、徳川家康誕生の地であった。(恥ずかしながら知らんかった・・)
ちなみに岡崎公園内には、家康産湯の井戸などもあった。
又、余談ながら、お城の中では『(テレビアニメ)エヴァンゲリヲンと日本刀展(=アニメに登場した刀を実際の鍛冶師が製作した物を展覧)』という催し物が開かれていた。
そのため、若者たちが結構、朝早くから来場していた。
お城のスタッフに聞くと「お城に若いもんを呼ぶには、ヒットアニメの力が必要なのです。」と、おっしゃっておられた。
(八丁味噌の郷)
さらに、そこから歩いて、「八丁味噌の郷(さと)」にも、見学に行く。
ここは、NHKの朝の連続テレビ小説『純情きらり』の舞台地となった味噌蔵である。(俳優さん達の写真が飾ってあった)
僕は「なぜ、八丁味噌っていうのですか?」と(割とマッチして美味しい)八丁味噌アイスを食べながら聞いた。
すると、『こいつ寒いのに、アイスを食べるなんて変な奴やなぁ・・』というような顔をされながら味噌蔵の職員さんは、「この大きな味噌の生産蔵は、昔、岡崎城より、西へちょうど八丁(約870m)行ったところのこの地にあったのです。だから、『八丁味噌』と呼ぶようになったのですよ。」と教えてくださった。
と、いうことは、もし九丁、行ったところにこの生産蔵があったのなら、今我々は『九丁味噌』と呼ぶことになったろう。 又、十一丁目なら、『十一丁味噌』。・・二十三丁目なら、『二十三丁味噌』となった・・のか。(名前ってそんなもんなんやなぁ・・余談でした)
(玉泉寺さま)
さて、そして僕はそこから車で十分ほど行った、今回の目的地『浄土真宗大谷派 玉泉寺』さまに向かう。
こちらは、由緒のある立派お寺だ。(その縁起によると、大友皇子の時代に創立されたお寺らしい。・・気が遠くなるような昔だ)
僕はそこで、親切で若い御住職夫妻にもてなして頂きながら(恐縮しました)、大阪弁で「大阪から来ましてん。・・皆さん、よろしゅう頼んまっさ」と檀家の皆さんに、お話させて頂きました。
こんな、変わり者の僕を、よくぞお招き下さいました。
ほんまに、有難うございました。・・もう、うれしゅうて、いかんわぁ。又、良かったら、いつでも呼んでちょう。合掌だがや。
(本堂)
玉泉寺さまのホームページ(ブログ)は、ここです。 http://gyokusenji.seesaa.net/
出前は、愛知へ (前編)
昨日、おとといと、愛知県岡崎市の『浄土真宗(大谷派)玉泉寺』さまの定例法座に、ご法縁を頂戴し「紙芝居法話」に行かせて頂いてきた。
こちらのお寺へは、遠方でもあるし、大雪の恐れもあった為、一泊で行かせて頂く事にした。
6日の夕方、車は大阪から(大雪に悩まされることなく)無事、愛知県の岡崎市に到着。
この時、まだ時間にゆとりがあった為、(時間を有効に使おうと)そこから大急ぎで、隣の市の知多半島にある半田市へと向かう。
半田市に何があるかというと、僕の好きな(『ごんぎつね』や『手袋を買いに』の作者こと)〔新美南吉〕さんの記念館があり、前から調べたかったことを、現地で確認したかったのだ。
(『新美南吉記念館』)
それは、僕も作った紙芝居の一つの『でんでんむしのかなしみ』という紙芝居に、仏教的背景があったのか?無かったのか?、又、あるとすれば、そのモデルは『ゴータミー』という子供を亡くしたお母さんの話を元にしたものなのか?・・をそれを調べたかったのだ。
しかし、結果的には解らなかった。
記念館の職員さんにお聞きしたのだが、「南吉さんの作品に仏教的背景があったのは事実です。しかし、『でんでんむしのかなしみ』という作品が、『ゴータミー』の話を元にしたものかは解りません。」とのことだった。
しかしながら、いくつかの収穫はあった。それは、南吉さんは、浄土真宗の門徒であり、不幸続きの幼い頃、近くの真宗寺院に通って法話を聴いていたという事実である。
おそらく、南吉さん自身が抱えていた病気の事(29才で喉頭結核のため永眠。法名『釈文成』)も、作品に反映されていたに違いないが、若き日に和尚さんから聴いた仏教法話が、その作品に多いに反映したと思われるのだ。
(生誕百年『ごんぎつね』モニュメント)
僕は『ごんぎつね』の舞台地、『中山』に建った記念館を後にし、南吉さんの生家へ向かう。
(新美南吉生家)
「なんと、小さなお家だろう。」が、僕の正直な感想であった。
「ここで南吉さんは、畳屋(のち下駄屋)を営む父親、(相性の悪かった)継母とともに育ったのだ。・・この狭い空間で、その多感な(児童文学の)心を育んだのか」・・と、今も自由に入れるその(誰も居ない)生家に一人入って、僕はつぶやいたのであった。 つづく

