住職のつぼやき[管理用]

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『ケアリビング楽寿』への出前

ファイル 127-1.jpg (『楽寿』苑内での〔出前〕の様子。)
『ケアリビング楽寿』というのは、大阪市内の都会のど真ん中にある〔有料老人ホーム〕の名前である。
 昨日、この施設へ、これで三度目になる《出前訪問》に行って来た。(年一回のペースで行っている)
 ここの長所は、賑やかな町中にある為、寂しくなく、家族さんも通いやすい。
 そして短所は、交通の要所である為、車の騒音があり、空気も悪い・・ように感じる。・・又、あえて言うなら、《有料老人ホーム》なので諸費が多く掛かる・・らしい。(家族さんの声)

 さて、一年ぶりの訪問で、「皆さーん、僕のこと覚えてはりますか?」という挨拶で始めさせて頂いたのだが、半分以上の方が手を挙げて下さり嬉しかった。(中には、意味がよくわからんまま手を挙げておられる方がいたような気もする〔笑い〕)
 それでも、しっかりとした或る方は、去年に僕と一緒に撮った記念写真を今もベットの手すりに貼って眺めています、とおっしゃってくださって、これも嬉しいことの一つであった。(今年も又、記念に一枚撮った)

 ・・そしてここの苑では、「私は『お寺の出前』のファンです!」とおっしゃって、私のお寺に手紙や電話なども掛けてきて下さる熱烈な入居者家族のおばちゃまファンがおられ、一年ぶりにお会いし、又色々とお話を聴かせて頂いて懐かしい一時を過ごすことができた。

 「又、来年お会いしましょうね~。それまで皆さん、お元気で!」と言って今年もこの施設を後にした。
 
 

宗教の違いも何のその!施設の名前は『十字の園(ソノ)』

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『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。〔聖書より〕』
・・・この言葉が、《寝屋川十字の園》という特養老人ホームのパンフレットの最初の〔挨拶欄〕に記載されている。
 ・・そう、ここは《キリスト教》を基盤とする老人福祉施設なのである。
 この施設は、月一回、苑内で『介護予防教室』という講座を開いている。
 対象者は、外部の人も参加自由で、苑内の入居者やそのご家族、そしてスタッフはもちろん、地域の民生委員や他の施設のホームヘルパーさんなども参加される。(今日は子供たちもいた)
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 この『講座』に年一回、講師として招かれる様になって五年が過ぎた。(お葬式が入って休んだ時もある・・・)
 初めは《キリスト教》の施設でお話するというので、「本当に僕で良いの?」という気持ちが強くビビッていたが、五年目ともなると、なぜか慣れっこになってしまうから不思議だ・・。
 おそらく、『宗教は、本来皆一緒!』という気持ちが、この施設に一歩入れば、僕を被ってくれるのだと思う。
 さて、今日は『愛』について・・、そんなテーマで『紙芝居』とお話をした。
 ちなみに仏教では『愛』という言葉は使わず、その代わりに『慈悲』という言葉をよく使ったりする。
 でも僕は「仏教徒も《愛》という言葉を使っても良いやん』と思っている。
 なぜなら、妻にプロポーズする時も、「愛してるから結婚してください!」と(今ならもう少し考えるが・・)言ったし、その後も(適当に・・?)この言葉を使っている。決して「愛してる」の代わりに「君を慈しんでるよ」とは言わない。〔笑い〕
 僕は言葉の表現のこだわりより、常にそれが現実に適応したもかどうかを優先してしまうのだ。・・仏教徒としては、それは良くないのかもしれないが・・・?。
 それより、僕は現実を大いに受け入れ、色んな《宗教》や《イデオロギー》を持った人達と自由に交流したいのである。
 その方が面白く生きれそうで・・・。〔笑い〕

「見てくれてたのね・・掲示板」

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 《掲示伝道》って知ってますか?・・
 それは、お寺などの門前にはられた〔掲示〕された言葉です。
 たとえば、『散る桜、残るさくらも散るさくら (良寛)』とか、『過ちを改めざる これを過ちという (論語)』とか・・、どこかで一度は見たことがありますよね。
 これって結構、お寺を身近に感じてもらえる効果があるのです・・・ね。
 うちの寺でも、毎月の初めに新しい文句を書いて貼ってます。(写真)
 先日、偶然、近所の小学生の女の子がノートに書き写しているのを見てしまいました。
 後でその子のお母さんに聞いてみたら、毎月の学校の(お習字)の時間に書く練習の〔文句〕にしているとの事でした。
 毎回、写して来ては両親とその〔掲示文〕の意味について、あーだ・こーだと話し合ってるとも聞きました。
 この話には驚きました。
 こっちは、「あ~、もう一ヶ月が経つ・・、又〔掲示文〕を考えなあかんのか~。・・今度はどこから文章を探してこよかなぁ~、又書かなあかんなぁ・・」とエエ加減な気持ちでやっていたのに、〔そこまでして読んでくれてる人があったのだ!〕と知ると軽いショックを覚えました。
 〔これは少なからず、みんなに影響を与えているかもしれん!〕と思ったら、ちゅ~と半端な気持ちではなく、しっかり書かなあかん、と思った次第です。 内容はできるだけわかり易く、考えてもらえるような言葉を選び、しかも短く・・。(それって、このブログの趣旨と一緒かも・・??)
 

つばめが飛んだ日!

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今日、ツバメたちが無事に巣立ちをした。
 良かった!ほっとした。
 まだ近くの電線に止まって羽をバタバタさせて、練習を繰り返し、夜には巣に帰って来て寝ているが、ヘビなどの天敵に襲われても、もう自力で脱出できるであろう。
 実は2~3年前になるが、ヘビに食べられて全滅した事があって、(それを見てしまい、)今度はそうはさせまいとずっと見守っていたのである。
 ・・が、ヘビも生きねばならないのだから、これは仕方がないことなのだ。・・とは思いながらも、やっぱり雛たちに一人前になってほしかった。
 願いが叶った。
 ・・これでこのブログの《ツバメ・コーナー》は一応終わるとする。めでたし、めでたし・・でした。

《ボーダーライン》のあっちとこっち

 一昨日、特養老人ホーム『甍』に〔出前〕に行った時の事・・。
 この日、僕は《僧侶の仕事って何だろう?》というお話を後半していた。
 その時に出た、或る男性入所者の方からの言葉が、短いが非常に印象的だったので、今日書かせてもらう。
 この方は次のようにおっしゃられた・・。
 「病院の医者は、私らを《ボーダーライン》(生死の境界線という意味らしい)のこっち(この世)に引き戻そうと仕事をされますが、住職さんの仕事は《ボーダーライン》のあっち(あの世)とこっち(この世)を、行ったり来たりして、『あっちに行くも良し!こっちに戻るも又良し!』というようなお話をして、私らを安心させて導いてくださる事ではないでしょうか」と言われた・・。
 『凄い!なんという深みのある言葉だ!この方は僕の仕事をそのように理解してくださっているのだ』とびっくりした。
 ちゅ~と半端な気持ちで仕事をしている僕としては、大変恥ずかしくなった。
 『しっかりせな、あかん!自分の仕事に誇りを持て!』と自分自身に言い聞かせた〔出前〕であった。

いわゆる、ひとつの『業界紙』・・

 世の中には、色んな『業界紙』がある・・。
 僕らが生きる《宗教界》にも、そんなジャンルの雑誌が何種類か発行されていると思うのだが、昨日、〔お寺の出前〕の現場に取材に来られた『月刊 仏事』という月刊業界誌を発行されている《鎌倉新書》という出版社の理念には少し驚いた。
 まず、この月刊誌だが、〔葬祭業界〕・〔仏壇仏具業界〕・〔墓石販売業界〕そして〔寺院、神社、教会〕向けの《隣接業界情報紙》として出されていて、そのコンセプトとなる言葉は《供養》だそうだ。(なんか言葉がやけに生々しくて変っている)
 ・・この雑誌からその会社の《趣旨》を少し抜粋して見る。
『《供養》に対する消費者の意識は日々変化しています。その為に幅広い情報を得ることが、これからの時代の経営には求められています。特に関連業界(葬祭業・仏壇仏具・墓石販売業)の隣接業界の情報を知ることによるメリットははかりしれません。』とある。
 そう、この雑誌は《供養》商売(言葉が荒っぽくてすんません)の情報・業界紙なのだ。
 ・・昨日、僕はこのような情報誌がある事を始めて知った。
 今の時代、みんな《情報》を欲している。
 上の業界もそうだ。〔仏事〕離れが進んでいる昨今、非常に関連業界は危惧し、生き残りを賭けて頑張ってるらしい。
 そしてそこには《供養》には欠かすことのできない《宗教界》のさまざまな〔活動情報〕も欲しいということで、たまたま、ホームページで『お寺の出前』の欄を見つけ、今回のうちへの取材となったそうだ。
 ・・ただ、僕の活動を雑誌に掲載しても、各業界の〔営業活性化〕には何のメリットもないと思うのだが、記者曰く「・・ただ情報を流すだけではなく、オモシロい試みをしている人間の記事を、たまに載せるのも〔各業界〕と〔雑誌〕の活性化には良いのだ」・・とのことだ。・・それって褒め言葉と取って良いの??

〔ツバメの成長〕と〔ちょっとおもろかった話〕

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 今日は雑談を二つ!(いつも、そのようなものだけど・・)
 まず一つ目は〔ツバメの雛〕の事。
 〔写真〕のように、雛はだいぶ大きくなってきた。もう羽毛も生え揃ってきたようで、時々巣の中で広げて、回りの雛達のヒンシュクをかっているようだ。又、親たちは必死になって何度もエサを銜えて往復している。(親というのは皆、大変だ!)
 面白いと思うのは、親たちは夜には必ず巣にかぶさって、雛を守りながら眠っていることだ。ライトを当てても(意地悪をしているのではない。警備だ警備・・)爆睡していて気が付かないので余程疲れているのだろうと思う。巣立ちの日も近い、頑張れ!ツバメ。
 もう一つ・・。
 昨日、〔お墓参り〕の仕事があって、お墓の前で待機していた時に聞いた、退屈していた〔おっちゃん達〕のおもろかった会話。

おっちゃんA:「お前、まだ毎日、酒飲んでんのか?ええかげんに節制せいよ」
おっちゃんB:「わかってるわ。焼酎をちゃんと割って薄めて飲んでるわ」
おっちゃんA:「何で割って飲んでるねん。ソーダか?水か?」
おっちゃんB:「日本酒で割ってんねん・・」
おっちゃんA:「よけい濃くなってるやんけ。それは〔割る〕とは言わん。〔カケル〕ていうんじゃ。しゃあない奴っちゃなぁ・・。これからはウイスキーで割れよ」
おっちゃんA・B:「わっははははっ!なぁ、おもろいやろ、住職さん、こんな会話ばっかりやってまんねん。」
僕:「わかりましたから・・、早よお参りして下さい。」
 昨日の実話でした・・。

 

ツバメの巣!

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今、お寺の『外階段』の裏に、ツバメが巣を作っている。
 どうやら、卵も無事にみな孵ったようで、今、親ツバメが忙しくエサを運んで来ている。
 僕は《ツバメ》が好きだ。
 あの優雅に颯爽と飛ぶ姿は、見ていて本当に気持ちが良い!
 お参りから帰って来たら、まず(これを見る為に買った)《双眼鏡》で雛(現在五匹確認!)がみな無事か確認している。(あまり覗きすぎて、外から《覗き魔》と勘違いされないように注意はしている・・。)
 親ツバメはエライと思う。それは必ず、雛たちのフンまでも口で運んで、どこかに捨てに行ってるからだ。清潔第一と考えているのだろうか?(これを見てたら今の人間よりも健気だと思ってしまう)

 ・・ところで、僕の『紙芝居』にツバメが登場する物がある。
 それは『幸福の王子』という外国の物語で、《王子の銅像》と一匹の《ツバメ》が貧乏で苦しむ人々を助けるという、優しくそして切ない、素敵なお話だ。
 僕はこの話が大好きだ!
 一昨年も《介護職員》の為の研修でこの紙芝居をやった。(いずれこのブログにも書きます!)
 ・・実はこの紙芝居を書く為に《ツバメ》の絵ばかり書いていた時期があって、実際《ツバメ人形帽子》まで作り、今もこれをかぶって毎回この紙芝居は演じている。(以前、《淀川キリスト教病院》で、これをやって〔変な坊主〕やと思われたことがある・・〔笑い〕》
 ファイル 103-3.jpg 〔ツバメ帽子・現物〕
 ・・おお、そろそろ又《ツバメ観察》の時間がきたようだ!
 よっしゃ~今日はこのへんに、しといたる・・。又何か変化があったら書きます!
 

《静けさ》を味わうクラブ

 昨日は、特養老人ホーム『甍(イラカ)』の《講話クラブ》の日であった。
 このクラブ活動は、毎月30名程の参加者がある。
 その中で、話の内容をはっきり理解し聞いてくださっている方は、何人ぐらいおられるだろうか?
 いつも〔シーン〕とした空気で始まり、そんでもって〔シーン〕とした空気で終わるので、(つまりあまり反応がない。) それで、そんな事が気になって、・・昨日クラブが終わってから、担当職員の若い男の子に聴いてみた。
 すると返って来た答えは「話を理解されているのは5人から10人ぐらいでしょうか。認知症の方が多くなられまして・・」ということであった。
 つまり〔3分の2〕以上の方は、僕が何を言っているかわからないままに、その場に座っておられることになる。
 ・・が、この男性職員の話はまだ続き、「・・話の中身はわからないだろうけど、《静かにしていなければいけない》という場の雰囲気は解っておられると思いますよ」ということであった。
 それは、いつもの自分の居住空間で過ごしている雰囲気とは明らかに違っていて、各自が独自の《緊張モード》に入っているように見えるからだそうだ。
 この《講話クラブ》は(ひとつのパフォーマンスとして)僧侶の姿で〔お話〕をするので、皆さん〔頭の回線〕が『坊さんの前では静かにしてなあかん』回路に繋がるのかもしれない。
 この男性職員は、次のように言って話をまとめてくれた。「講話クラブは《静》を味わうクラブ。そして音楽クラブは《動》を味わうクラブだと思います。・・どちらも入居者の皆さんにとって《人間らしく生活する上で》とても大切なことだと思います」と。
 講話に対しての反応を求めるより、ただその場に毎月僕は《存在する》だけで意味があるのかもしれないと思った。 

《サンシン》の音(ネ)・・そうそう

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・・おシャカ様が《苦行》を止め《瞑想》の行に入ったのは、ひとりの女の子との出会いがキッカケであったと前に書いた。
 その少女の名は《スジャータ》という。・・そう、日本では〔コーヒーフレッシュ〕の名としてあまりにも有名になりすぎ、この話のモデルさんだという事は(ラジオの時報ともに〔笑〕)一瞬で消え忘れ去られたようだが・・。
 話を戻す・・。
 おシャカ様は《苦行》の有り方に迷い、一度大河に入って身を清めようとされたその時、この少女が歌を唄いながら通りかかる。
 『〔楽器の〕弦(ゲン)は強く締めればキレちゃうよ~、
  弱けりゃダラリと響かない~
  中ほど締めて良い音(ネ)が出るよ~
  調子に合わせて、踊れよ、踊れ~』・・このような歌だった。
 この歌を聴いておシャカ様は「ハッ!」とされた。
 自分も〔楽器の弦〕のようなものなのだと・・。
 つまり、厳しい苦行では悟れず、身体を壊す。反対にダラダラしてても尚さらダメだ(ああ、耳が痛い!)。極端なことをせずに規則正しい生活の中にこそ、悟りへの道がある!そう、感じられた。
 そしておシャカ様はこの少女にお礼を言うと、反対に〔ミルク粥〕を布施され、それを食べて元気を取り戻してゆく・・。
 このようなエピソードがあったのだ。(今度ラジオの時報を聞いた時思い出してね!)
 ・・さて、長々と〔前書き〕を書きすぎた。(今までのは前書きやったんかーい!と突っ込みが入りそう・・)なので、本文は簡単に流すことにする。
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 昨日、特養ホーム『白寿苑』の法話会があり、僕は『おしゃか様物語』の紙芝居をして、〔前書き〕の話にテーマを絞り、その後「それでは中ほどに締めた良い音の楽器で演奏していただきましょう」と僕は引込み、それから沖縄出身の職員のK君に〔三線(サンシン)〕というヘビの皮で作った三本弦の三味線で『涙そうそう』を演奏してもらい皆で歌った。
 K君は歌の二番を地元〔沖縄方言〕の歌詞で唄ってくれて、方言とはこういうものかと僕は感心してしまった。
 たとえば『古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた』は沖縄方言では『なちかしアルバムみくてぃ かふうしどーんでぃくとぅばかき』・・となる。ぼ~っと聞いてたら何言ってるかまったくわからない!(おもしろいでしょう)
 ・・そうそう、『涙そうそう』の〔そうそう〕とは《沖縄方言》で〔止め処も無く流れる〕という意味らしい。
 まさに、この日は(止め処も無く)そうそうと良い音を聞かせてくれた。K君、《夜勤》の処に本当にありがとさんでした。

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