住職のつぼやき[管理用]

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「中山久蔵」さんのお話・・再び

 「皆さんは、北海道の(初代:米作り)ヒーロー『中山久蔵(ナカヤマ キュウゾウ)』さんって知ってますか?・・実はこの御方、大阪(太子町)出身なのですよ」・・というような形で始め、二年前に(何度か)〔ブログ〕を書いた。
 そして『青年よ、大志を抱け・・この老人のように!(出前メニュー99)』という紙芝居を作り、このホームページで発表した。
 この紙芝居を作った時から二年が経ち、僕の記憶から『久蔵』さんが薄れ始めていた時、再び、『久蔵ワールド』に引き戻される事態が起こった。
 しかも、今度は(遥かに)スケールアップして『北海道』北広島市の議員さん達と、地元大阪は『太子町』の役場関係者、教育委員会の方達、そして、『久蔵』さんの旦那寺「光福寺」のご住職、檀家さん、そして、久蔵さんのご実家の子孫の方たちが集合しての大会合となった。(何か訳解らんわ~)
ファイル 767-1.jpg(光福寺内で)
 まぁ、はっしょって簡単に説明させてもらうと、『久蔵』さんの事を(地元北海道で)いろいろと調べておられる「北広島市」の橋本議員さんという御方が、今年の夏、うちの寺に突然、お電話を掛けて来られた。
 その内容は、僕のホームページを見て、地元:大阪太子町での『久蔵』さんのことがいろいろと解ったので、一度そちらに(久蔵さんのマル秘情報など報告を兼ねて)行かせてもらうという事であった。それで来られたのだ。・・まぁ、こんな感じやったかな。
ファイル 767-2.jpg
 それで、先ほども書いたように、久蔵さんの(ご実家の)御子孫の方やら、久蔵ファンの方やらが、旦那寺の『光福寺』さんに集まり、一同顔合わせとなったのだ。
 もちろん、僕はこの場の『おまけ』のような存在ながら、久蔵さんの『紙芝居』をさせて頂くという名誉を頂いた。(が、この紙芝居、久々にやったんで、何度も噛んだわ。〔笑い〕)
 でも結果的に、僕の『紙芝居』が(北海道と大阪の架け橋)の役目をさせて頂いたようで、ほんま嬉しかったわ!又、誇らしかった!
ファイル 767-3.jpg
 長くなった。
 最後に、皆で記念撮影。
 写真を撮ってもらいながら、こちらの住職と「いつか、ここのお寺で『中山久蔵資料館』が出来たらエエのになぁ」と語り合った。
 いや、いつか、出来ますよ!・・「久蔵」さんの功績は偉大やもん。・・なんやったら、光福寺の外のトイレを潰して、そこに建てまひょか?(笑い)

 ちなみに「中山久蔵さん」の『紙芝居』はこちら
 https://o-demae.net/blog/archives/292.html
 https://o-demae.net/blog/archives/293.html
 https://o-demae.net/blog/archives/294.html

 又、それ以外の2009年に『久蔵』さんについて書いた二つの「エピソード」はこちら、ご参考までに
 https://o-demae.net/blog/archives/295.html
 https://o-demae.net/blog/archives/288.html

コメント一覧

lako 2011年09月29日(木)16時48分 編集・削除

見ました!
世の中には、知らんヒーローがおりますなぁ!
なんちゅうでも、無償で種を広めたたところが
本物中の本物ですな。

日清食品の安藤百福さんも、インスタントラーメンのノウハウを他の会社に伝授したそうで・・・

世に名を残す人は、自分の利益だけでなく
世の中の利益が優先なんですなぁ。

見習いたいもんです・・・

聖徳太子の幽霊って、実話ですか!?

カンネン亭 2011年09月29日(木)17時41分 編集・削除

らこはん

うそです。
・・だから、カットしました。
 でも、そんなのがあっても、紙芝居やから許されると思います。・・いつか『裏バージョン』書きます。

愛子 URL 2011年09月30日(金)00時55分 編集・削除

私も聖徳太子のお話が凄い印象的でした。
先日、lakoさんらな丸さんと叡福寺に行ったとこですしね。(笑)

そやけど、人間40過ぎてもこれから出来る事があるということ、人間死ぬまで何か役目があること、不思議な巡りあわせやら幸運があること、素敵やな~と思います。

先日、田んぼアートを見に行きました。
赤毛ってこのあたりでも使えるのかな・・・と
私が見た田んぼは黒い稲でしたが、丹波の方の田んぼアートは確か赤も有ったはずなので、
赤毛やったんかな~~と思いながら読ませていただきました。

しかし、凄いヒーローですね。

カンネン亭 2011年09月30日(金)13時38分 編集・削除

愛子さん
 今回の会合で、新たに解ったことが一つありました。
 それはなぜ、大阪から江戸へと家出した『久蔵』さんが、『仙台藩』との《縁》ができたのか?
 それは、大阪の太子町に『仙台藩』の元藩士の方(「伊達騒動」があって移って来られたらしい)が住んでおられ、その方とのご縁で、仙台藩に就職することができたそうなのです。
 そこから、久蔵さんの北海道へのご縁(当時、仙台藩は北海道の警備を任されていた)が生れたのです。
 縁とは、本当に不思議なものですね。
 これは、北広島市の橋本議員さんからお聞きしました。(僕の胸の痞えがひとつ取れました。)

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