住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『富山・魚津の母たちと米騒動』(その2)

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大正7年7月23日の朝‥。
漁師町、魚津の母たちは60人程集まり、「お米を旅に出さんといてくれ!」と、港で積まれて行く米俵に必死に取りすがり、積み出しを阻止しました。
がしかし、そこに警察官が来て、母達の抗議は失敗。‥母達は解散させられました。
が、この騒ぎは地元の新聞社が富山県全体に記事にして載せた為、‥のち、これが大騒動になってゆきます。
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さて、一旦解散させられた母達でしたが、
「やはり、このままでいかんちゃ!わしらの子どもが飢え死にしてしまう!」と一人が言うと、別の母が‥、
「そうじゃ!わしらは何もタダで米をくれとは言うとらん。元の値段で売ってくれと言うとるんじゃ!よしっ!今度は役場か、米倉庫、米問屋に行って頼んでみようっちゃ!」
と、米の価格の引き下げを要求しに行きました。
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「米を安う売ってくれー!頼みますっちゃ!」と、母たちは声を上げました。
‥ところが、この騒動はやがて富山全土に広がってゆきます。おそらく地元新聞紙の影響が大きかったのでしょう。
‥最初の騒ぎから一ヶ月もすると、約一千人の大騒動になっていきました。
(おそらくこの騒ぎの大きさに一番驚いたのは、母親達ではなかったでしょうか。‥知らんけど)
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そして富山内で、やがて米問屋への投石などが起こり、店が壊れ、その結果約30人が警察に逮捕されたりします。
 町の議会はこの状況を重く受け、お米で困った人達に限り、米の価格の引き下げを決定。
 この騒動は次第に治ってゆきました。(良かった良かった!)

‥がしかしです。
その後、全国の新聞紙が『‥女房連の一揆!米高にたまり兼ね、『餓死する!』と口々に騒ぎたて、300名米屋へ押しかく!』と報道。‥この報道が徐々に全国各地の民衆へ飛び火し、各地で一揆打ち壊しのような大暴動騒ぎになってしまいました。
 その結果、政府は軍隊を出動させ暴動を鎮圧。
検挙された人は、全国で二万五千人を越したと記録されています。 つづく
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(舞台地・魚津。今は平和な『魚津埋没林博物館』)

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