住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『富山・魚津の母たちと米騒動』(その1)

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今から、およそ100年程前の大正時代‥。
ここは越中富山の漁師町(今の魚津市)です。
ここで『越中女一揆、起こる』と、新聞に書かれた主婦たちの『米騒動』が起こりました。(いわゆる近代の『米騒動』発祥はここで起こったのです)
この小さな町の騒ぎが、やがて日本全土に広がり、最後は軍隊が鎮圧せねば収まらなくなります。‥結果的に日本政府の総理大臣が責任を取り、内閣総辞職する事になるのですが、それはこの紙芝居の後半で‥。
では、なぜ?その様な騒動が起こったのかを全三回の紙芝居で観ましょう。はじまり、はじまりー。
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「母ちゃん〜、腹へったよー。もっと何か食うもんないかの?」
「すまないね〜、あんた達。うちの米びつにはもうお米は無いんだよ。‥父ちゃんは出稼ぎに出て居らんし、母ちゃんが「米俵運び」で日当を稼いでも、この頃、米の値段が異常に上がってしもうて、買えんようになってしもたんよ。すまんちゃねー」と泣いて嘆いています。
しかし嘆いていたのは、この漁師の家だけでありませんでした。
町全体が同じように泣いていたのです。
そのお米の値上げの訳は‥、
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この頃、日本の国は第一次世界大戦に参戦する事が決定しました。
それで、外国に行く兵隊さんの為に、食料としてのお米をたくさん必要とし始めたのです。
‥日本政府は急いで日本中のお米を集め出しました。
当然、それを見越した大商人たちは「今、お米を買い占めれば儲かるぞ!」と思い、高い値段での買い占めが始まったのです。
その結果、日本中のお米が足りなくなり、お米は高価な品物となった訳なのです。
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それで、ここ富山・魚津の港でも、たくさん米俵が倉庫から運び出されておりました。
‥お米を戦地へ運ぶ為です。
それを担いで、倉庫から船まで運び出すのが、子を持つ母親たちの仕事(今のアルバイト)でした。
「‥重いっちゃ、この米俵。でも、もうちょっとじゃ!」と毎日、背中に米俵を背負い船まで運びます。
‥がしかし、その日当賃金はわずかです。
 目の前のお米を見ながらも、その日当賃金で満足にお米を買う事も出来ません。
「もう、我慢ならんちゃ!わしらのお米を旅に出すな!と頼むまいけ!」と、一人の女性が叫びました。「そうじゃ!そうじゃ!皆で頼みに行こ!』 つづく
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