住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『知識の巨人 木村蒹葭堂(けんか)堂』(その1)

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 面長な顔、大きな鼻、温厚そうな眉、・・・これが今も残っている[木村蒹葭堂(きむらけんかどう)]の似顔絵です。
 蒹葭堂の[蒹葭(けんか)]とは、西洋のパスカルの言葉、『人間とは考える葦(あし)である。』の植物の葦のこと。(決して暴れん坊の喧嘩好きの意味ではありません)
 これは、彼が自宅の庭で井戸を掘っていたら、偶然、(葦(あし)=けんか)が出て来た為に喜び、庭の名前を[蒹葭堂(けんかどう)]と名付け、それが結局、彼のペンネームみたいな呼び名になり、後世までこのように呼ばれるようになったそうなのです。(何故?葦が出て来て喜んだかというと、古歌に[難波に名高い葦がかつて何処かに生えていた]と覚えていたからである。)
 ・・それでは、いったい彼は何をしたのでしょうか?
 どうして、歴史に名が残ったのでしょう。
 ある人は彼を「偉大な薬草学者だ」と言い、又ある人は「彼は一流の芸術家だ」と言い、又又ある人は「彼は友達の多かった商売人だ」と言いました。
・・人が良く、頭が良く、お金持ちで何でも興味あるものは買い求めた収集家の蒹葭堂。
 それでは今から、この偉大な知識の巨人の生涯を紙芝居でみて見ましょう。
はじまり、はじまりー。
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 木村蒹葭堂、・・通称、木村吉右衛門は江戸時代中期、大阪は北堀江の大きな造り酒屋の長男に生まれました。
 幼少より身体が弱かった為、父は「この子にはこの大きな店を継がせるのは体力的に無理だ。・・絵や歌などを好きに習わせて活かせてやろう。」と、一流の先生につかせて習わせました。
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 幼い頃から、絵や歌、詩を学んだ蒹葭堂。
元々、あらゆる事に興味を持ち、好奇心旺盛だった為、メキメキと習う事全てに才能の花が咲きました。
「もうあなたには教える事はない!この道の師匠になりなさい。」と、あらゆる先生に言われますが、彼には地位や名誉などの欲は無く、
「いえいえ、私にはこれらの事は趣味でしかありませんので。」と丁寧に断ったそうです。つづく

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(大阪市西区の木村蒹葭堂の屋敷跡の碑。現在、中央図書館横に立っている。屋敷跡に図書館は彼にピッタリだ! やはり、ここは蒹葭の生える地だったのだな。)

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