住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その2)

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金剛たち3人は、この倭の国(日本)の難波の地(今の大阪)に、五重の塔を建てようと話し合い設計を開始しました。
「どうやら、この倭の国は地震が多いらしい。巨大な地震が起きても倒れないようなお釈迦様のお骨の埋まった宝の塔を作ろうではないか!我らの知恵と技術を結集して!平和を願う太子の為に!」
こうして、五重塔は組み立てられていきました。
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 それからおよそ15年が経ちました。
 593年、この五重塔の建つ場所は、聖徳太子が[四天王寺]と名付け完成しました。
 太子は言われました。
「ようやって下さった。金剛殿を中心とされた3人の宮大工の方々。おおそうだ。これから、そなた達を「チーム金剛・・いや『金剛組』と呼ぼう!
これからもこの倭の国に残って、多くのお寺を作ってくだされ。」と。
 これが、会社組織「金剛組」の始まりでした。
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金剛たち宮大工が作った四天王寺は、当時なにわの海(現大阪湾)に面した場所にありました。
 ですので、朝鮮半島、東アジア諸国の船団との交易の窓口、つまり玄関口にこのお寺は築かれたのです。
 海外から来られた外交官や商人達は、都へ向かう途中このお寺の五重塔を見て、さぞや日本という国の文化の高さに驚かれたでしょう。つづく

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