昔々の室町時代・・。
足利尊氏(あしかがたかうじ)、天下を納め、武士の幕府を開いてみたが、平和はまだまだ遠かった。
それは天下に二人の帝(みかど)。
朝廷二つの南北朝。
お互い『私がホントの天皇だ!みんな私の配下におなり。』
こんな言い合い続けたら、武士や公家ほか庶民まで、これでは日ノ本真っ二つ。
その時、若武者現れた。「私は何があろうとも、敵が百万居ようとも、後醍醐天皇守ります。南の朝廷守ります。これは父親[正成(まさしげ)]の遺言ですから守ります。」
そう誓ったは我らが河内(かわち)、楠木党(くすのきとう)の跡取り息子、楠木正行(まさつら)でありました。
さあてさて、このお話は[小楠公(しょうなんこう)]こと、正行公の意地と忠義と優しさがあふれた武士道ものがたりです。それでは、はじまりはじまりー。
話は少しさかのぼり・・。
湊川(みなとがわ)での戦が終わり、悲しいしらせが舞いこんだ。
ここは南の河内の屋敷。
楠木正成(まさしげ)、妻と子は悲しみこらえておりました。
それは父親正成(まさしげ)の首と戦死の知らせとが、届いたからでありました。
涙と共に正行は「父上、ご無念お察しします。私も一緒に参ります。」
短刀抜いて、切腹しようと思ったその瞬間。
母親それを止めました。
「正行よ、ここで死んではいけません。朝廷守る事こそが、お前の父から引き継いだ、大事な大事な約束じゃ。そなたがここで死んだなら、父との約束どうします⁉」
母は涙を流しつつ、正行公に言いました。
「・・私が愚かでありました。切腹などはもうしません。
私はこれから学問し、剣術励んでまいります。父に劣らぬサムライに、私はきっとなりまする。」
若き棟梁正行の新たな誓いでありました。 つづく
(正行公を祀る四条畷神社内の母と子の銅像)
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