(奈良県『橿原神宮』)
そしてイワレビコの命(みこと)は、大和の国『橿原(かしはら)の宮』で、初代天皇『のちの神武(じんむ)天皇』として即位の儀式をされました。
これが[建国の始まり](紀元前660年?)と云われています。
その時、神武天皇は「大きな都を開き、すべての国を一つの家のようにしようではないか!」と宣言されたそうです。
こののち、神武天皇は(126才・あるいは127才)まで長生きされたそうです。
波乱の生涯を送られた伝説の初代のミコト『神武天皇』。
今もその御一代記は『古事記』や『日本書紀』に語り継がれています。おしまい
(おまけ[大阪府河南町・寛弘寺古墳])
・・少しだけ余談のおまけ話。
神武天皇の跡継ぎ(二代目天皇)は、次男の[綏靖(すいぜい)]天皇が継がれたといわれています。
そして長男の[神八井耳命(かむやいみみのみこと)]は、弟の天皇の(なぜか?)サポートに回られました。
その舌を噛みそうな[神八井耳(かむやいみみ)のミコト]にはたくさんのお子様が居られたそうで、そのお一人のご子孫が[紺口県主(こんく(かんく)あがたぬし)]と云われています。(寛弘寺古墳の主ではないか?とも言われています)
そう!その[紺口(こんく)県主]が、私のお寺のある地名である河南町[寛弘寺(かんこうじ)]の名前の由来になっているそうです。
[こんく]、・・[こんくう]・・[かんくう]・・[かんこう]、[かんこうじ]‥・『寛弘寺』、寛弘山観念寺!バンザーイ、バンザーイ! ・・知らんけど。(笑)
[管理用]
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