住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『閻魔様のエンマ帳』 〔後編〕

 天上から降りて来られた〔仏様〕はおっしゃいました。
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 「これ、閻魔殿や。そなたに申したき事があり、参ったぞよ」と。
 閻魔様は『ハハーっ』とひれ伏しました。
 「閻魔殿、そなたの《エンマ帳》と、私の持つ《ホトケ帳》の中身が、少し違うようなのじゃよ。・・・というのはな、先程の〔オバマ〕、ちゃうちゃう〔お婆〕の事じゃがな、生前のお婆の〔仏の功徳〕が、私の帳面には『毎日、お経を読み続け、仏の功徳をたくさん積んだ善き者』と記されておるのじゃ。」と〔仏様〕は言われました。
 それを聞いて〔閻魔様〕は・・、
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 「恐れ多きことなれど、仏様。・・あの〔お婆〕、毎日、お経は読んでおりますが、一向に心が籠っておりません。
 きっと毎日、うたた寝でもしながら、お経を読んでおったのでございましょう。・・ですから、この《エンマ帳》には記録されていなかったものと思われます」と答えました。
 すると〔仏様〕は・・・、
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 「その通りじゃ、閻魔殿。
 しかし、そのような信心の者でも、毎日、毎日、毎日、毎日、お経を読み続けておったればこそ、カミナリが落ちた『いざっ』という時、仏にすぐに心を向ける事が出来たのじゃよ・・。
 私の《ホトケ帳》には、そのような信心の者でも、すべて記録されるのじゃ」
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 「閻魔殿、どのような者でも、毎日、毎日、一心不乱に拝み続けるというのは難しい事じゃよ。
 時には心が籠らず、拝む日もある。
 しかし、そのような信心でも良いのじゃ。・・要(ヨウ)は日々、信心を持ち続ける事が大事なのじゃよ。
 それがいつしか〔誠〕の功徳となってゆく。〔仏の功徳〕とは、そういうもんじゃ。
 おお、そうじゃ。閻魔殿、私の《ホトケ帳》をこれからそなたに預けることにしよう。
 私の《ホトケ帳》とそなたの《エンマ帳》。これよりこの二冊をじっくり照らし合わせて、人間の〔地獄〕行き・〔極楽〕行きを決めてくれんか?」と、そう言って〔仏様〕は閻魔様に《ホトケ帳》を手渡されました。
「はは~、かしこまりました」と、《帳面》を頂き、閻魔様は深々と頭を下げられました。
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 そして天上にお帰りになる〔仏様〕を、いつまでも、いつまでも見送られたという事です。 めでたし、めでたし~ おしまい

コメント一覧

らむね 2008年11月14日(金)19時12分 編集・削除

悪いことしてないのに地獄に落ちるのは何だかおばあさん可哀相。「神曲」では地獄と天国の間に煉獄という中間地点があって凡人が行くのに都合良さそうですが、仏教にはそういう場所はないんでしょうか?

観念亭主 2008年11月15日(土)10時49分 編集・削除

らむね様
コメントありがとうございました。
仏教の中での《中間地点》って何なんでしょうね?
『六道輪廻』の世界での〔人間界〕あるいは〔天界〕なのか?又あるいは〔満中陰〕にならない宙ぶらりんの彷徨う世界か?・・往ったことないのでワカラナイというのが本音です。一遍、エンマさんに聞かなあきまへんなぁ。
 ちなみは僕は漫画家 永井豪さんの漫画〔神曲〕がスキです。リアルです・・。関係ないか・・〔笑〕

らむね 2008年11月15日(土)13時17分 編集・削除

「中有」っていうのはまた別物ですか。あれは場所ではなく状態を言うんでしたっけね。

私も永井豪さんの「神曲」持ってますー。「魔王ダンテ」も持ってたような。手塚治虫の「ブッダ」とか。
「スウェデンボルグの大霊界/かきざき和美」なんてのも持ってたりして。

観念亭主 2008年11月15日(土)14時30分 編集・削除

らむね様
マニアックなコメント有難うございます。
『中有』とは、「意識を持った者が死んでから次の世に〔生〕を受けるまでの《中間期》をいう」と松涛弘道師著の『仏教のわかる本』に書いてありました。
 ・・『中有(中陰)』とは、『状態』の様ですね。
 ちなみに、僕も「デビルマン」を持ってたりして・・「たま」出版も好きやったりして・・。

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