え~、皆さんは、落語(らくご)はお好きですか?
『落語』というのは最後にオチがつく、日本の伝統的話芸の一つです。
それでは、その落語の基(もと)を作ったのは、戦国時代のお坊さんやったって、知ってはりましたか?
落語というのは、元々、お坊さんの説法の一つとして始まったんでっせ。
そう言うたら、落語家も僧侶も、どちらも座布団に座って、扇子持って、ようしゃべる・・、何か似てまんなぁ。
それを作ったのが、今からお話します『安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん)』さんなんです。(有力な一説なんでっせ。)
では、いったいなんで?[策伝]さんは、オチのある説法を考え出しはったのか?
そのルーツと、策伝さんの紹介を生涯?、いや、生涯を紹介させてもらいまひょか。もう、ボケかましてまんなぁ。
それでは、はじまり、はじまりー。
昔々の戦国時代の初期。
今の岐阜県で、策伝さんは生まれました。
父は、[金森定近(かなもり・さだちか)]という戦国武将。
策伝さんは、次男であった為、七歳で、近くのお寺浄土宗[浄音寺]様で出家得度しました。
策伝さんは、頭が良く記憶力に優れておりました。
師匠の教えを素早く吸収し、法話の達人へと成長してゆきました。
又、本来、ユーモアのセンスもあって、何かおもろい事があると、忘れないように、紙にメモしていたそうです。
これが、後年、落語の基に成ることも知らずに・・。(本来のお笑い好き坊主やったんでんなぁ・・。)
(策伝さんが得度をした岐阜県[浄音寺]様。 10年程前に取材に行きました。・・紙芝居を作るのに構想から10年も掛かってしまった!)
つづく
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