住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「ただ、ただ人の為に・・、行基さま」(その1)

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 ある時は、荒れ狂う川に橋を架け・・、
 又ある時は、水に困る人あらば、池を作り、
 悩める人には、寄り添って仏法を説き、
 そして、最後には奈良の[大仏]を作った僧侶。
 彼の名を[行基(ぎょうき)]と言いました。
 これは、ただただ、人の幸せの為に生きた男の物語です。
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 なぜ、行基さまは、そのようなボランティアスピリットを持っていたのでしょうか?
 それは、彼の生まれにあるかもしれません。
 西暦668年(飛鳥時代)、行基さまは、河内の国(今の大阪府堺市)の貧しい村に産まれました。・・当時、裕福なのは一部の豪族だけだったのです。
 行基さまの両親は、貧しい百済系の渡来人でした。
 そして、彼は苦しい環境で懸命に働く、多くの人々を見て育ちました。
 『いつの日か、貧しい人々を僕の手で救いたい!』と、少年[行基]は心に誓いました。
 そして、15歳で『お釈迦様のように、苦しむ人々を救いたい』と思い、出家したのでした。
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 行基さまの師匠は、『道昭(どうしょう)』と言う名の、超エライお坊さんでした。
 道昭さまは若き日、遣唐船で中国(唐)に渡り、あの(西遊記の)三蔵法師(玄奘)の直弟子となり、新しい知識を多く学んで帰国した僧でした。
 行基さまは、その弟子になったのですから、彼もラッキーでした。
 行基さまは、道昭さまについて、『仏法』の他に、『貯水池や橋づくりの技術』なども学びました。
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 そして道昭さまが亡くなったのち、行基さまは一度、山に籠って修行を積まれます。
 それから「お師匠さまの後を継ぐぞ!」と、優れた知識と技術、そして仏の心を持って、各地を巡る旅に出たのでした。つづく
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(行基さま誕生の地、堺市[家原寺])

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