この日、いつものように吉兵衛さんは、ご住職に(いつもと同じことを)尋ねました。
「西法寺のご住職様、わては常々、仏法を聴聞してます。・・しかし、このままでは死んでいけまへんのや」と。
すると、西法寺の[元明]住職は一言。
「・・そのまま、死んだらエエやないか」と。
そして、その後、一冊の経本を取り出して、《領解文(りょうげもん)》という一文を読み始められました。
『もろもろの、雑行、雑修、自力の心をふりすてて・・』と。
これを訳すと『私は自分の力で、仏になる考えを捨てました。・・ですから、阿弥陀仏さま、私は(来るべき)往生の一大事の時、あなた様にすべてをお任せしております。』という意味です。
そして、元明師は一言。「このとおりや。」
これを聞いた吉兵衛さん。『・・この人は解ってはる。大事な事を悟ってはる。おぉっ、この人や、この人について学ぼう!そして、わしの疑問を解決させるんや!』と思ったのです。
この出会いがあってから、吉兵衛さんは又、旅に出ることが多くなりました。
しかし、今度の旅は[元明師]のお供の旅でした。
師の荷物を持ち、お説教をされる所なら、どこまでもついて行き聴聞しました。
吉兵衛さんにとって、この旅は、《宗教的安心》をつかまれる為の、命がけのものでした。
が、その為に、手持ちのお金(=財産)が無くなりました。
このため、自分の田んぼを切り売りしてお金を作り、聴聞の旅を続けたのでした。
この旅の途中、吉兵衛さんの一人息子が病にかかって亡くなるという事も起こりました。
しかし、そんな時でも、お葬式を簡単に済ませて、すぐに師について、又旅を続けたそうです。つづく
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