(大阪狭山市〔狭山池〕)
大阪狭山市に〔狭山池(さやまいけ)〕という、古くは『日本書紀』や『古事記』に登場する日本最古のダム式の美しい『ため池』がある。
ちなみにこの池は、僕のお寺から車で約15分ほどの所にあり、運動不足の僕はよく妻から「運動不足やねんから、狭山池の周りを歩いてらっしゃい!」と言われ、天気の良い日はよくウォーキングに通った。・・いや、現在も通っている。
そう、現在「狭山池」の回りは(程よい)ウォーキングコースになっているのだ。
(大阪府立狭山池博物館)
そして、「なんで(妻から)そんなに偉そうに言われなあかんねんな・・ブツブツ」と、つぶやきながら歩いていた僕は、いつのまにか、この池周辺の風景の美しさがすっかり気に入ってしまい、今では好んで歩くようになっている。
さて、歩きながら僕は、この池の北側に建つ『大阪府立狭山池博物館』という近代的建物に(入館料無料というのもあって・・)よく立ち寄るようになっていった。
(展示されている石棺)
そしてその度、いろんな展示物を見て回るようになったのだが、一つとても気になっている展示物があった。
それはいびつな形の『石棺』であった。
これはレプリカではなく、すべて本物と展示されているのだが、『なぜ?石の棺おけが、改造されたかのような形になって、この博物館で展示されているのだろう?』と、日に日に気になって気になってしかたがなくなっていった。
(博物館内の『重源』像)
それで真剣に、そのなぞを調べようと思い、そのなぞを解く鍵は、館内にあるこの(写真)の『重源(ちょうげん)』という(頑固一徹のような顔の)お坊さんにあると解った。
そして調べていく内に、『なんと、おもろい発想力を持つ坊さんなんだろう!』と感動してしまい、いつしかこの『お坊さん』と『狭山池の石棺』の事を紙芝居にしたいと思うようになり、こつこつとここ何年か、資料を集めるようになっていった。
又、狭山池博物館のガイドボランティアさんたちのご協力も得て、解りにくかった部分もなんとか(自分なりに)納得でき、絵に描けるようになり、先日この『紙芝居』が完成した。
随分と前置きが長くなってしまったが、それではその出来上がった『紙芝居』を(何回かに分けて掲載しますので)宜しかったらご覧になって下さい。
それでは『狭山池の底の石棺 ~アイデア和尚重源さまの究極のリサイクル~』のはじまり、はじまり~・・
皆さんは、『重源(ちょうげん)』という名のお坊さんを知っていますか?
この坊さんは、平安末期から鎌倉時代に掛けて、活躍されたスゴイお坊さんなのです。
たとえば当時、戦乱によって焼け崩れた『奈良の東大寺・大仏さま』を修復したり、新しい道を作ったり、橋を架けたり、港を直したりして、世の為、人の為に働かれたお方なのです。
しかも、そのほとんどが、60才を過ぎた頃から行われたというのですから驚きです。(シニアの鑑やね)
いわば、鎌倉時代の『復興事業請負人』と言っても、過言ではないでしょう。
この超人的和尚『重源』様、82才の時、又一つ大きな仕事が舞い込んで来ようとしておりました。 つづく
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紙芝居:「狭山池の底の石棺」(その1)
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カンネン亭 2013年04月23日(火)10時00分 編集・削除
・・そうですか。
テレビ取材があったのですね。
放映日を楽しみにしております。
又、皆さんの「(生)紙芝居」の実演も楽しみにしております!
それと、もう一つ、先日おいでになった、博物館の学芸員さまから、先日マロンさんから教えて頂いた狭山池の『新聞記事』を送って頂きました。
改めて、素敵なお出合いに感謝申し上げます。
マロンさん 2013年04月23日(火)06時31分 編集・削除
素晴らしい狭山池の重源さんの紙芝居を造って頂き有難うございます。初めの写真の様に素晴らしい風景です。先日読売テレビの「情報ネットTEN」が撮影に来ました。若一光司さんの『あなたの町のミステリー』の謎を解くと言う事で、工楽館長の話や武田会長に話を聞かれて居ました。5月8日の4時47分からの予定です。館では紙芝居の公開へ向けて急ピッチで準備されて居ます。有難うございます。