住職のつぼやき[管理用]

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親死に、子死に、孫が死ぬ・・

 今年は、なぜかお葬式が多い。
 今日も、お葬式が一つあった。
 亡くなられたのは、96才の檀家のお婆ちゃん。
 大往生なのかもしれないが、やはり家族・親戚の方の悲しみや喪失感は、ひしひしとこちらに伝わってくる。

 ・・葬儀会館も忙しいようで、葬儀が終って、再び会館で〔還骨・初七日勤行〕のお勤めをさせて頂こうとしたら、職員さんが、さっと近寄って来られて「住職さん、何分ぐらいで終られますか?・・後の予約の方が待って居られますので。」と今日も聞かれた。
 確かに、何人かの男性が煙草を吹かして、外で待っておられた。
 僕は、「解りました。30分で終わりますので」と言って、読経を始める。
 25分で読経終了後、ご家族さんの方へ振り返って挨拶をしたら、皆さんお疲れのご様子だ。目がとろ~りとしておられる。又、会館のお部屋も、眠気を誘う暖かさだ。
 僕は、皆さんに「お疲れさまでございました。・・一分で終りますので、もうちょっと我慢して話を聞いて下さい」と言って、首をひねる。
 だって、そうは言ったものの、一分で終る法話なんか無いもの・・。
 そこで、はっと思い出したのが、一休さんのお話。
 これやったら、一分で終るわと思って話し始めた。(いつでも、僕はその場しのぎの、思いつきおしゃべり男です。・・すんません)
 こんなお話。
「皆さん、ご存知の一休さんにこんなお話があります。(本当は、これは一休さんが言ったのでなく、仙崖和尚が言ったという説が有力なのだが、そんなことは今どうでも良い。)
 ある家を新築したご隠居さんが、何か〔家宝〕に成るような有り難い文字の書いて『額』にして飾りたいと思いました。それを一休さんのところへお願いに行きます。
 すると一休さんは、快い返事で筆を取ります。
 すらすらすらっと書かかれたその額には、次のような言葉が書かれてありました。
 『親死に、子死に、孫が死ぬ』と・・。
 これには怒ったご隠居さん。「何で『死』ばかりの文字が有り難いのか!」と怒鳴ると、開き直った一休さん、『ではその逆の言葉が有り難いですかな?』と言って、では、今度は『孫死に、子死に、親が死ぬ』と書きましょうか?と言われた。
 そして「順番どおりに、親、子、孫と死んで行くのが、有り難い事なのじゃ・・。逆はつらかろう」と付け足され。
 生まれた以上は、死ぬのが定め。
 別れの悲しみを、今、こうして、自分は不思議に生かされている有り難さと受け取り、お婆ちゃんが順番どおりに逝かれた事の不思議さに感謝し手を合わせてみるというのはどうでしょうか。・・はいっ、一分。合掌」と言って終わった。
 そして、皆さんがイビキをかく前に、すたこらさっさと帰りました・・とさ。 おわり・・今日のほんまの話でした。
 

コメント一覧

抹茶ソフト 2013年02月07日(木)00時14分 編集・削除

今年、お葬式多いですか!?
実は私も恩師、お世話になったかたを相次いで亡くし
今年に入って訃報が続きました。
生かされている“今”をしっかり悔いなく
生きようと思います。
出逢って“今”目の前にいてくださるかたを
本当に大切にしたいです。
『ありがとう、ごめんなさい』も素直に言います。

悲しむよりも、突然のお別れに
ビックリしている状態です。
正直なところ、亡くなられた事を受け入れられなくて
ご冥福、祈る気持ちになれません。。

感謝合掌

カンネン亭 2013年02月07日(木)21時05分 編集・削除

・・わたしもそうですよ。
 お葬式のたびに、亡くなられた方を受け入れたくない自分が常にあります。
 だから、なるべく亡くなられた方のことを、寝る前など、思い出さないようにしています。
 寂しくて潰れそうになってしまうことがあるからです。
 宗教者として、弱い自分があるのです。

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