そして、昭和二十年九月二十六日。
終戦後も(三木清は歴史から忘れられたかのように、)釈放されず、豊多摩刑務所の中で病死します。
死因は、この刑務所の衛生状態が悪かった為だと伝わっています。
法名『真実院 釋清心』。
行年 四十八歳の若さでした。
三木清の寂しさを表わした言葉が、一つ残っています。
『孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。』
三木清は、「正しく美しく生きる事が、哲学であり、知識だけで終わらせてはダメだ。」と言っています。
現実を見つめながらも、『人間らしく生きる』為に、どうしたら良いかと考え続けた彼でしたが、その志の途中、激動時代の犠牲者になってしまいました。
彼の若き日の詩が、一つ残っています。
『しんじつの 秋の日 てれば せんねんに 心をこめて 歩まざらめや』。
今、彼の故郷、播州竜野市に、この詩と共に[三木清哲学碑]が建っています。 おしまい
(龍野市 霞城館)
(三木清コーナー)
(龍野市 三木清哲学碑)
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紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その7)最終回
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