住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「ダム湖に消えた村」(その5 最終回)

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(お爺さん)「そしていよいよ、ダムの建設工事は始まった。昭和四十八年のことや。
 このダムは、滝畑の一番深い渓谷の[ガランド]という両側から山が迫る、一番狭い所を堰き止めて造り始めたんや。」
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(お爺さん)「そして、昭和五十六年。
 滝畑ダムは、九年間を掛けてついに完成した。
 そして、水は徐々に溜まっていったんや。
 あのなぁ、このダムは大阪府で一番大きな多目的ダムなんや。
 さっきも言うたけど、このダムの水は、河内長野市・富田林市の大事な水道水になってる。又、石川下流の羽曳野市に至る灌漑用水にもなってるらしいんや。
 もちろん、洪水防止の為の水を堰き止める大事な役目もある。
 ・・これで、わしの話は終わりや。」
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(お爺さん)「このダムが完成したおかげで、たくさんの市民が恩恵を受けてる。
 ・・しかしな、最近みんなが忘れてるような気がしてなぁ。
 このダムを造るために、多くの滝畑の住民が故郷を無くし、涙したことを・・。
 今でも、湖が干上がる時、ここから、家が在った後の井戸や橋などが見えるねんで。
 それを見たら、なんか切なくなるんや。
 そやから、時々ここで昔を思い出して、手を合わせるんや。滝畑の沈んだ村よ、有難うってな。」

(母親)「切ないけど、良い話やねぇ。」
(父親)「いや、ごっつい大事な話や、これは!・・忘れたらあかん。」
(子供たち)「お爺ちゃん、僕らも手を合わさせて!・・『僕らの為に沈んだ滝畑の村、有難う』って。」

(お爺ちゃん)「おおきに、おおきに。きっと湖の底の村にその気持ち、届いてるで。」
 おしまい
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(現在の滝畑ダム湖)
 ※製作にあたって、新滝畑台の皆さん、滝畑村のTさん、河内長野観光ガイドボランティアのみなさん、ご協力ありがとうございました。

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