一遍さまは、自分の行っている『(念仏札を配り)、阿弥陀仏を信じて、救われてほしい』と、説いて廻ることは間違いなのではないかと、深く悩みました。
そこで、本地仏(神と仏は本来、同体であるという考え)として[阿弥陀如来]が祀られている神社、『熊野本宮 証誠殿』に籠り、ひたすら祈りました。
・・すると、ある晩のこと、
ご神殿から、山伏姿をされた[熊野権現]さまが現われて、一遍さまに言われました。
(熊野権現)「・・念仏を進めている聖よ。お前は間違っている。
そなたは、自分が人を救うつもりでいる。
とんでもないぞ。
阿弥陀仏が人を救うのじゃ。
阿弥陀仏の救いはのう、もうすでに完成しておる。
すでに数億年も昔から、その救いは完成しておるんじゃ。 だから、皆、もうすでに阿弥陀仏に救われることは決まっておるんじゃ。
・・自分が浄らかだとか、不浄だとか、・・信心があるとか、無いとか、そんなことは関係ない。
すでに阿弥陀仏の救いは完成しているのだから・・。
だから、お前はそんなことを気にせず、阿弥陀仏によって救われていることを、皆に自信を持って伝え、念仏を勧めれば良いのじゃ。・・一遍、自信を持って[念仏札]を配れ!」と告げられ、やがて消えてゆかれました。
(一遍)「そうだ、そうなのだ!・・私は自分がお札を配ることによって、人を救うつもりでいた。
違うんだ!
すでに、阿弥陀様は永久の昔より、我々を救ってくださっているのだっ。
そのことに(皆に)気づいてもらうだけで良い。
その為に、私はただお念仏のお札を配る。・・それだけで良いのだ。
・・ああっ、楽になった。」と、一遍さまは今ここに、大きな悟り(気づき)を得たのでした。
つづく