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紙芝居:「実録 稲むらの火 (復興編)」 後編

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 〔浜口梧陵(ごりょう)〕先導のもと、四年間に渡る〔広村堤防改修工事〕は、無事に終了しました。
 これは、その完成直前のエピソードです。
 昔から、人々の為に力を尽した人が、『神様』として祀られることがよくありました。
 〔梧陵〕にも、そんな話がきたのです。
 村の長老が、梧陵に言いました。
「梧陵の旦那様、どうか我々の願いを聞いてくだせぇ。旦那様は、村の復興の大恩人じゃ。だから『浜口大明神』として、お社を作らせて頂けませんですか? 皆で、旦那様を拝みたいんでなぁ。」と。
 しかし梧陵は、「私は人として、やるべき事をやっただけ。『生き神さま』の話は、お断りいたします」と辞退したのでした。
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 その後、時代は『江戸』から『明治』へと変わり、梧陵は、跡継ぎにお店を譲りました。
 このお店が、現在の『ヤマサ醤油株式会社』です。
 そして、そののち、梧陵は『国政』に参加し、〔郵政大臣〕や〔和歌山県県議会 初代県議会長〕などを務めます。
 そして晩年は、アメリカ合衆国に渡り、若い頃からの夢であった、海外視察に出るのです。
 ・・が、明治18年、ニューヨークにて病いで亡くなります。行年66才でした。
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 『稲むらの火』が燃えた、〔安政地震大津波〕から92年後、再び〔昭和南海大地震〕が起こり、大津波が、広村に押し寄せます。
 しかし、〔梧陵〕達が作った『広村堤防』のお蔭で、被害は最小限にとどまりました。
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 現在、広村(今の広川町)では、安政地震大津波が発生した、旧暦11月5日(現在は11月3日)に、全国でも珍しい『津波まつり』が行われています。
 この日は、地元の子供たち一人ひとりが、防波堤に土を運び、郷土の安全を願い、そして、〔浜口梧陵〕の偉業を讃えているという事です。
ファイル 677-5.jpg(現在の広村堤防:歩けます!)
それにしても・・、
 『ごりょ、ごりょ、ごりょう(梧陵)さん~、お金をようさ~ん、使(つこ)たのね、・・ヤ・マ・サ!』・・倒産せんとこが凄い!
 おしまい。