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紙芝居:「法然上人物語・念仏への道」 その7(最終回)

 法然上人の「流罪」は長くはなく、半年程でした。
 しかし帰って来ても、すぐに京に入る事は許されず、結果的に大阪の『箕面(みのお)』と所で、四年間滞在されました。
 その後、ようやく京に入ることが許されたのですが、その時すでに、上人のお身体は衰弱され、八十歳で病床に付かれました。
 しかしそれから、お上人は最後の力を振り絞り、形見として念仏の肝要をまとめた『一枚起請文(きしょうもん)』という書を書かれました。
 そして、いよいよ法然上人は、『臨終』の時を迎えようとされていました。
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 一人のお弟子が「・・お上人さま、お亡くなりになられたのちは、どちらに『墓所』を築けば良ろしいでしょうか?」と聞かれました。
 するとお上人は、
「私の墓は建てなくても良い。後にお墓を建てると、そこにしかお参りしないだろう。
・・私の遺跡は全国にある。
 それは、念仏の声のある所だ。
 念仏の声ある所、みな私の遺跡なのだよ。
・・だから、みな念仏を続けておくれよ。」とお答えになり、やがて静かに念仏を称えながら、息を引き取られました。
 
 法然上人。・・それは父の遺言を守り『仇討ち』ではなく(怨みを晴らすのではなく)、多くの人々に、安心と信仰を与え続けられた、まれなる宗教者でありました。享年八十歳 南無阿弥陀仏
 おしまい
 
 (あとがきにかえて)
 この『紙芝居』は十年以上前に作ったものである。
 どんな内容で作ったか、細かいところは、とうに忘れてしまっていたのだが、このブログに発表することによって、当時の記憶が鮮明に甦った。
 法然上人をおまつりする『知恩院』へも行って簡単な取材もし、「ちゃんとした紙芝居が作れますように」とお参りもして来た・・そんな思い出が甦った。
 又、浄土宗の僧侶に間違った記述は無いか、何人かにお尋ねもした。
 今、再度読み直しても、恥ずかしいばかりの「紙芝居」ではあるが、当時の僕には、これが精一杯の作品であり、法然上人を慕う気持ちだけで一気に作ったものである。
 書き足りない部分は多々あるが、それは「法然上人」専門書にお任せすることにして、これでこの紙芝居は取り合えず終ることにする。合掌