住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「狭山池の底の石棺」(その2)

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 それは、河内の国(今の大阪府東南部)に位置する『狭山池(さやまいけ)』という大きなため池の修復工事の依頼でした。
 この池の歴史は古く、遥か飛鳥時代には、すでに日本最初のダム式人工池として誕生していました。
 この池の豊富な水のおかげで、近隣の国々まで作物が豊かに実り、人々は餓えずに済んだのでした。
 ・・しかし、長年の風雪や自然災害によって堤(つつみ)は壊れ、今、『狭山池』は泥沼に変わってしまっていたのでした。
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 《以下、(独断と偏見にて)オール河内弁で・・》
(農夫)「あっちゃー、こりゃあかんわ!食い物にならんっ。やっぱし、狭山池の水が無かったら作物は育たんわぃ・・。しかし、このままやったらワシ等はみんな、来年あたり飢え死にしてしまうなぁ・・。早う、何とかせんとなぁ・・。」

(農婦)「でもあんた、わて等には、どうする事もできまへんで。とてもあの崩れた堤は直せまへんよ・・・。あっ、そやぁ!確か、奈良のお寺に〔重源(ちょうげん)〕っちゅう、どえらいお坊さんが居って、この方は壊れた橋や港など、何でも直して下さるって聞いたことありまっせ。
 一遍みんなで、お願いに伺ったらどないでっしゃろか!?」。

 こうして村の代表が決まり、〔重源和尚〕のお寺に向かうことになりました。
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(村の代表)「ほんま、お願いしますわ。重源さま!どうか、わて等の願いを聞いてください。
 泥沼になった『狭山池』をどうか、生き返らして下さい!
 あの〔ため池〕が無かったら、わし等は来年には皆、飢え死にしてしまうんですわ。」
(重源)「・・ふむふむ、解った。
 お前達の真剣な願い、この重源、確かに聞かせてもろたで。・・しかし、一遍、その〔ため池〕を見に行かな、どんな状態になってるのか解らんなぁ・・。
 よしっ、行こう!狭山池に!!」と言って、重源和尚はお供をつれて、河内の国へと向かうことにしたのでした。 つづく

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