(昔の青谷町〔願正寺様所蔵〕)
・・余談になるが、今年の三月、源左さんの故郷〔鳥取県:青谷町〕へ、紙芝居の取材の為に行って来た。
そして、源左さん所縁の檀那寺『願正寺』さまにお参りさせて頂き、ご住職に、今や伝説となった『源左さん』の様々な逸話の信憑性や、そのお人柄なども、興味深く(かつ深く)聞かせて頂いた。
(そのお話の中身などは、おいおいこのブログに書かせて頂く)
(願正寺御住職と)
又、古い貴重な写真なども、許可を得て写させて頂いた。
やはり、現地に行ってその土地の空気を吸い、現地の方がたのお話を直接お聞きするというのは、大切なことだと痛感した旅行であった。
(若き日の源左さん〔願正寺様所蔵〕)
さて、そろそろ『紙芝居』に戻らねば・・。
悩み続ける源左さん(30才)に、ついに転機が訪れます。
それは或る日、山へ牛と共に草刈に行った帰りでした。
その日、四束を牛に担がせ、一束は自分が担いで帰っておりました。
途中、あまりに重かったので、自分の束も牛にポンッと担がせました。
その時です。
源左さんは、フイッと気が付いたのです。
(・・余談ながら、願正寺住職から、「ここのところは(悟りを開くような)『パッ!と』ではなく、『フイッと』なのですよ。」とチェックが入った。・・そうなのです。真宗では『パッ』と悟るのではなく、長い時間を掛けて苦しんで来たことが、(氷が解けてゆくかのように)『フイッと』光に包まれるように、理解(=安心)できるのです)
(源左)「そうかっ!わかったぞ。この一束の重い草のような自分の悩みも、阿弥陀(仏)さまに、ポンッと背負ってもらえばエエンじゃ。・・いや、もうすでに阿弥陀様は、すべての人の苦しみを背負い、救って下さっている仏様じゃった。
・・そうなんじゃ、阿弥陀さまはすでに、この赤子のような源左の悩みや苦しみもご存知で、背負って下さっておられるんじゃ。
・・だから、後は安心して、親である阿弥陀様任せの生活をすれば良いんじゃ。
・・ああっありがてえ。これが『親様、頼め』っちゅうことだったんじゃ!」と、叫びました。 つづく
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紙芝居:「因幡の源左さん」(その2)
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