住職のつぼやき[管理用]

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平和を求める祈り

 僕の好きな〔お坊さん〕に、『聖フランチェスコ』がいる。
 彼は、中世の西洋のお坊さんである。
 僕がこの方を最初に知ったのは、大学生の頃であったろうか。
 ちょうど、クリスマスの晩、深夜テレビで『ブラザーサン・シスタームーン』という〔フランチェスコ〕の生涯を映画化した番組がやっていて、偶然、僕は録画しながらそれを見た。
 ・・恥ずかしながら、感動で涙が止まらなかった。それから、この映画を何度も、何度も、何度も、何度もテープが擦り切れるぐらいみたし、映画の中で出て来る〔フランチェスコ〕の詩歌も、静止ボタンにして、全部ノートに写しだした。
 あぁ、今思い出してもウルウルしてくる。(これは年のせいかも・・)
 余談ながら、のちDVDも買ったし、聖フランチェスコに関するあらゆる本(詩集・研究書など)を買い揃えた。
 それぐらい好きなのである。(もちろん、近い将来『紙芝居』にさせて頂きます)
 こんな立派なお坊さんはいない・・と思う。
 宗教は違うが、『聖フランチェスコ』は僕の理想である!
 「お寺の出前」の原点も彼の行動にあると言っても過言ではない。
 又、彼に憧れて僕は宗教者になったといっても、大げさにはなってないと思う。(だけど、僕は《仏教》を選んだ。・・僕の中では、やっぱり仏教だったのだ)
 実は僕の机の上に、『お釈迦さま』と『ラーマ・クリシュナ』と『聖フランチェスコ』の絵像が飾ってあり、毎日眺めている。・・もちろん、『親鸞さま』の絵像も掛け軸で飾ってある。(コレ言うとかな〔笑い〕)
 長くなってしまったが、簡単に『聖フランチェスコ』の生涯を述べる。
 13世紀のイタリアで、裕福な商人の一人息子として、彼は生れ何不自由なく育った。いわば、ボンボンである。
 青年になったフランチェスコは、仲間と共に〔十字軍〕の戦いに参戦。
 しかし、捕まって捕虜となり、又、重病も患い故郷になんとか帰って来る。
 生死を彷徨いながら、彼は奇跡的に回復。・・と、同時にフランチェスコは自分の中で起きた大きな変化に気づく。
 それは、神への《信仰心》だった。
 それから、彼は富や財産を拒絶して、次第に修道の道に進んでゆく。・・ここから先は、レンタル屋さんで借りて見てください。一見の価値は、あると思う人には、あると思う。
 長くなり過ぎた。
 今回は、その『聖フランチェスコ』の「平和を求める祈り」という(やはり僕の机の上に飾ってある)詩を書きたかったのだ。
 もうちょっと我慢して、読んでください。

 「平和を求める祈り」
 『わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
 憎しみあるところに、愛を
 いさかいあるところに、許しを
 分裂あるところに、一致を
 疑惑あるところに、信仰を
 誤っているところに、真理を
 絶望あるところに、希望を
 闇にも、光を
 悲しみあるところに、喜びを
 もたらすものとしてください。
 慰められるよりも、慰めることを
 理解されるよりは、理解することを
 愛されるよりは、愛することを
 わたしが求めますように。
 わたしたちは、与えるから、受け
 ゆるすから、ゆるされ
 自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。

 《アッシジ(土地の名)の聖フランチェスコ》の詩より
 
 
 

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