今からおよそ290年ほど前の江戸時代のおはなし。
美しくも悲しい『雨月物語』という怪奇小説を書いた[上田秋成]は、大阪は賑やかな曽根崎新地で生まれました。
彼は作家であり、国学者であり、医者でもありました。
それでは、多芸多彩で波乱に飛んだ上田秋成のお話をさせて頂きましょう。
はじまり、はじまりー。
上田秋成は、幼少[仙之助(せんのすけ)]と言いました。
仙之助こと[秋成]の実の両親については、はっきりとは分かっていません。
彼は4歳の時、[上田家]という紙油の商家にもらわれて養子になりました。
上田家は裕福な家で、秋成はそこの両親の跡取り息子として大事に育てられたのです。
・・が、秋成は5歳の時に【天然痘】という疫病に掛かってしまいます。
信心の篤かった養父は、秋成が回復するように、『加島稲荷=[現・香具波志神社]』で懸命に祈ります。
その甲斐あって、指に後遺症は残りますが一命は取り留めることは出来ました。
のち、秋成は一生この神社を大切にして、お参りを欠かせませんでした。
(香具波志神社・大阪市淀川区)
(神社のすぐ横にある秋成の墓?※見つけにくい場所でした)
つづく
[管理用]
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紙芝居:『上田秋成ものがたり』(その1)
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