住職のつぼやき

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紙芝居:『決め手はワクチン!めっちゃ医者 笠原良策先生』(その6 最終回)

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そして嘉永4年(1851)、福井藩は公立の[種痘所]=(ワクチン接種無料の『除痘館』)を作った。
ここの責任者となった良策の悲願はついに達成されたのである。
「もうこれで沢山の大八車に乗せられた遺体の行列を見なくて済む・・。わしは果たした。」と良策は呟いた。
 この良策の仕事は、この2年先の嘉永6年(1853)までに、6595人の庶民にワクチンを接種することができたという事である。
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 そしてやがて江戸時代は終わり、近代国家・明治時代に移り・・。
 良策は、福井で「種痘事業」が完全に根を下ろした事を見届け、その後、東京へと移住する。
 そして明治13年(1880)、病いに倒れ亡くなった。
 享年72才。
 その死顔はワクチン事業を成し遂げた満足気な表情であったそうである・・。

 それでは、この紙芝居は笠原良策の残した一つの歌で終わるとしましょう。
『たとえ我、命死ぬとも 死なましき、人は死なさぬ 道開きせん』=(たとえ自分は死んでも、死ななくても良い人は絶対死なせない。そういう道を私は開きたい。)
お墓は、福井県の大安禅寺にあります。
 おしまい

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