昨日、河南町の『近つ飛鳥博物館』にて、舘野和己館長による『寛弘寺古墳群と紺口県主ー古墳時代の地域と王権ー』という講演を聞いて来た。
寛弘寺古墳とは、自坊のすぐ近くの古墳である。
近くに住みながら、知らないことだらけの地域の歴史。
それを少しでも勉強せねばと思い行ってきたのだ。
うちの寺には、『寛弘山(かんこうざん)』という山号が付いている。
今回の講演会で判ったのは、この『寛弘(かんこう)』というのは、昔この辺りを納めていた豪族『紺口(こむく)』という豪族長の名が、訛って『寛弘』へと変化したのではないか⁈ということであった。
しかも、現在の古墳の規模は小さいが、当時の勢力は結構大きいものであったようだということが分かった。
僕は、土地の大御先祖様に恥ずかしくないような生き方をせねばと思いながらも暑さには耐えられず、ソフトクリームをなめなめ食べ食べしながら帰って来たのであった。