病院を退院した妻吉(のちの順教尼)は、生活の為に働かなければなりません。
両腕を失い舞妓に戻れなくなった彼女でしたが、大阪の寄席に出て、三味線に合わせて長唄を歌いました。
見物客は、『堀江の六人斬り事件』の生き残りを、一目見ようと、寄席は連日、大賑わいであったそうです。
それから、彼女は旅芸人の一座と共に、日本中を旅することになります。
そして、旅の一座が東北の仙台の旅館に泊まった時の事です。
その宿に[カナリヤ]の鳥かごが吊るされていました。
その鳥かごの中を見ると、小さな雛が居て、親のカナリヤがくちばしでエサを懸命に運んでいました。
妻吉は「あぁ・・、この鳥たちは羽があっても手は無い。なのに、口を使って一生懸命にエサを運び育てている。
そうだ、私にも口がある!・・できないはずがない!」 と、彼女の前に小さなカナリヤを通して、大きな世界が見えた一瞬でした。
この時、妻吉19歳でした。 つづく
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その5)
トラックバック
- この記事のトラックバックURL
https://o-demae.net/blog/diary-tb.cgi/1775