・・ここに一人の男がいました。
名前を山田村の[伝助(でんすけ)]といいます。(※『伝助べえ』ではありません)
この男性、現在の熊本県人吉市=[相良藩(さがらはん)]出身の熱心な《隠れ門徒》でした。
伝助は、昼間は[百姓]をし、夜になると、野を越え山を越え、念仏布教の熱心な旅に出歩いていたのでした。
そして、遠くは(変装をして)京都の本願寺まで、皆から集めたお布施(浄財)を納めに行き、往復していたそうです。
・・が、しかし、
ある日、村の悪いバクチ打ちに騙され、密告されて、藩の役人に捕まってしまいました。
そして伝助の厳しい取り調べが始まりました。
「仲間の名前を吐かんとかっ!」、「念仏信仰ば、止めんとかっ!」などと、役人たちは伝助を拷問に遭わせました。
しかし、一切口を割らず、信仰も捨てず、「罪業深重の、わがままな私をば、今日までお育て下さった仏祖の恩徳に、謝すのみじゃ・・。」と、仏様に感謝の言葉を残し、60歳で処刑されたということです。
当時、この伝助のような殉教者はたくさん居たそうです。
(今も残る「鹿児島別院」内の拷問石、『涙石』=涙を流して、拷問に耐えたそうです。・・僕はこの石の前で涙しました。)
・・が、密告され、捕まり、苛酷な取り調べに耐えられず、仲間の名前をしゃべってしまった村人も多くいたそうです。
そして、彼らの多くは、隠してあった仏像や経典を取り上げられ、村の中で焼かれたそうです。 つづく
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紙芝居:「隠れ念仏の里」(その5)
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