ここでもう一度、《浄土真宗(=一向宗)信仰禁止令》が、出ていた地域を見て見ましょう。
九州の北側から見ますと、現在の熊本県の[人吉市](当時の[相良藩])。
宮崎県の一部を含む、現在の鹿児島県全土。当時の[薩摩藩]全土でした。
正式には、薩摩の殿様が[一向宗禁制令]を出したのは、慶長二年(1597)でした。
殿さまの[島津義弘]公は言いました。
「オイの国、薩摩は一向宗を禁止にすっど!
じゃっどん、もし、一向宗の念仏を信心するものが居ったら、厳しく処罰すっからな!そう思えっ!」と・・。
それを聞いた念仏信者(門徒)たちは、びっくり!
(全門徒)「殿さまっ!それは、なかっ!
殿さまの命令は、絶対じゃけんど、・・じゃっどん、おいたちは、先祖から念仏を信仰しとるもんで・・。
念仏は、おいたちの心の拠り所でごわんど。
親鸞さまのみ教えを捨てるなど、おいたちには、とてもできもはん!
・・何とかせにゃあ、ならんのう⁉」と、各地域の門徒たちが、それぞれに集まり、秘かに話し合いが始まりました。 つづく
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紙芝居:「隠れ念仏の里」(その2)
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